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夢なのか、夢じゃないのか

 猛スピードで自転車を立ちこぎしている間にも、わたしの頭の中に、不安がいっぱい湧いてくる。


 15才の姿で保育園へ行っても、怪しまれて、娘のはるを連れて帰るなんて無理だろう。もし、何とかごまかして連れて帰れたとしても、はるは、15才になったわたしを見て、自分の母だとわかってくれるだろうか。はるの泣きべそ顔が浮かんで、心がぎゅっと痛くなった。


 ずっと15才のままじゃ、仕事にも行けない。どうしよう? とにかく、弟の佳祐には、15才になった姿を見せて、これからのことを相談するしかない。同じ家に住んでいるから、隠し通すなんて無理だ。


 なぜこんなことになったのか、わたしは切なくなった。どうすれば、元通りの35才に戻れるのか、見当もつかない。


 太陽は、水平線の下にほとんど隠れて、完全に沈みそう。あの男の子と話している間に、ずいぶん時間が経ったのかもしれない。


 心細さを感じるくらい、辺りがみるみる暗くなる。今日は、日が暮れるのが異様に早い。そう思った瞬間、まるでブレーカーが落ちたように、目の前が真っ暗になった。



「痛いっ」


 顔に、硬いものがぶつかった。びっくりしてのけぞると、頭の後ろには、柔らかい感触。振り向いたら、そこに車のシートがあった。私は、ヘッドレストに頭をもたれさせていた。


 バックミラーを覗くと、薄いブラウンのアイシャドウをした目元が映る。目尻に、くっきりとした小ジワ。頬には、ぽつぽつとシミも浮かんでいる。耳に黒髪をかけたショートボブのヘアスタイル。見慣れた35才の私が、そこにいた。


「夢だったんだ」


 ほっとして全身の力が抜ける。身体が15才に戻るなんてことが、現実に起こるはずない。やっぱり、あれは夢だった。


 景色や音や感触、ひとつひとつの感覚がリアルだったから、あれが夢だなんて気づかなかった。自転車のペダルを踏み込んだ感触が、まだ足裏に残っている気がした。あの高校生の男の子は、早口で、高いトーンの声で話した。目尻を下げてくしゃっと笑った。鼻の傷に彼が触ったとき、くすぐったいような痛みが走った。


 車は、防波堤沿いの道を抜けた先にある、駐車スペースの前に停まっていた。


 外は薄暗くなっていたから室内灯をつける。妙な夢を見たせいか、額にびっしょりと汗をかいていた。バックミラーを覗いて、ハンカチで顔を拭う。さっきの夢で15才の自分を見たからなのか、肌のくすみがやたらと目につく。私ってば、こんなにひどい肌をしていたのか。


 よく見ると、鼻の頭をすりむいている。たまたま、夢の中で傷がついたのと同じ場所だ。あれは夢じゃなくて、本当に起こったことだろうか。そんな思いが一瞬よぎった。


 私はあわてて、馬鹿な空想を打ち消す。さっき顔にぶつかった硬いものは、車のハンドルだろう。たぶん、そのときに傷ができたのかもしれない。私は鞄からコンパクトを出して、鼻の傷を塗り隠す。


 私は大急ぎで、保育園へと車を走らせた。



「本当にすみません! 遅くなって」


 私は謝りながら、猛ダッシュで保育園へ駆け込む。


 娘のはるは、園長先生とふたりで座って、アンパンマンのDVDを見ていた。他の子はもう帰ってしまったのか、保育ルームは遊具が片付けられてがらんとしている。


「いえいえ。書類が片付いたから、ちょっと座ってのんびりしましょうと思って、はるちゃんにお相手をしてもらっていたのよ」


 園長先生がおっとりとした口調でおっしゃった。


「はる、帰ろう」


 私は声をかけた。はるは、口をぽかんと開けたまま、DVDに夢中になっている。


 画面の中では、アンパンマンとばいきんまんの乗ったUFOが、空中戦を繰り広げていた。ちょうどクライマックスの場面。いいところだし、もう少し見ていたいんだろう。


「早くおいで」


 私はもう一度、はるを急かした。


 はるの大好きなアンパンマンだから、ゆっくり見せてあげたい。でも、おかしな夢のせいで、お迎えが遅れちゃったし、のんびりしていられない。


「まあ、いいじゃない。はるちゃんは、お母様がお迎えにいらっしゃるまで、お利口さんで待っていたものね。アンパンマンを見るのは、ご褒美よ」


 園長先生は、にこやかに私を諭す。


「あっ……そうですね」


 先生のおっしゃることも、わかる気はする。保育園へ迎えに来るまでのたっぷり半日、はるは、私をずっと待っていたんだもんね。あとちょっとでDVDは終わる。ケチなことを言わないで、待ってあげてもいいか。


 園長先生は、DVDが終わるまでつきあってくださった。はるはこちらへ走ってきて、私のスカートへ顔をうずめて、足に抱きつく。


「ママを待ってくれて、頑張ったね。えらかった」


 私は、はるの頭をなでる。


「いたい?」


 はるが私を見上げた。


「何が?」


 私は訊き返す。


 はるは、私の左ひざを触る。


「えっ、これって」


 私はひざの外側をすりむいていた。傷の周りは紫色になって腫れている。さっき夢の中で、できたのとそっくりな傷。


 はるはその傷を、よしよしするようになでた。


 何なのだろう? この傷は。

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