フルパワーでさばを読む
「その制服、見たことないな。どこの学校?」
彼は人のいい笑顔で、一番つつかれたくないポイントをグサッと突いた。
「ど……どこって」
わたしは答えに詰まる。じつは35才なんです。本当のことを言っても、この姿では信じてもらえない。とにかく何かを言わなければ。彼がわたしの目を見て、答えを待っている。
「恵愛女子高校」
わたしは苦しまぎれに、その昔、自分が通っていた学校の名前を出した。
「ふうん、聞いたことない。どこにあんの」
彼は、さらに掘り下げて訊いてきた。
「あの……ええと」
わたしは適当に返事なんてするんじゃなかったと悔やんだ。わたしの母校は、少子化の流れにあわせて今では共学になっていて、今では、校名がぜんぜん違うのだ。
「西浦町」
心がちくちくと痛んだ。これって結果的には、嘘をついていることになるんだろう。わたしが通っていた頃には、母校は、確かにその町にあった。でも、そのあとの市町村合併で、町は隣の市に吸収されてなくなっている。
「俺は、県立中浜」
彼は、うちの町内にある高校の名を口にする。
「俺は1年だけど、そっちは何年?」
「わたしも同じ。1年生」
わたしは腹をくくった。とにかく今は、彼の前で15才になりきるしかない。一度、嘘をつき始めたら、最後までつき通すしかない。
「そうか。一緒なんだ」
彼は人懐っこい笑顔を見せる。
「なあ、LINE、使ってる?」
彼はわたしの返事も待たず、スマートフォンをいじり出す。最近、流行りのLINEという通信手段を使えば、スマートフォンの画面上で、素早くメッセージをやりとりできる。実際に会って話すのと同じくらいスムーズに、相手と会話ができるのだ。
「一応、使ってはいるんだけど……」
わたしは答えたものの、スマートフォンが、ここにあるとは思えなかった。あれは、35才のわたしの持ち物だから。
辺りに散らばっているのはどれも、わたしが15才のときに持っていたものばかり。当時はスマートフォンなんてないし、携帯でさえまだ珍しくて、使っている人を見たこともなかった。
「どうした? 早くスマホ出して。LINE教えるから」
彼は顔を上げて、不思議そうにわたしを見る。LINEの連絡先を交換するつもりらしい。
「ちょっと待って」
通学カバンの中をひっかきまわして探したけれど、スマートフォンなんて見つからない。
「ごめんね。家に忘れてきちゃった」
わたしは言い訳する。
「じゃあ、番号教えて」
「わたしの電話番号? ええと……」
わたしは口ごもる。相手がほとんど子どもみたいな10代の子だって、初対面の人に電話番号を教えるのは抵抗がある。
「番号、覚えてないのか」
彼は残念そうにうつむく。わたしが自分の番号を忘れてしまったと勘違いしたみたいだ。
「わかった! これだ。090-○○○○-××××」
いきなり、彼がわたしの電話番号を読み上げた。
「どうして知ってるの」
わたしはびっくりして身を乗り出す。
「だって、ここに書いてあるし」
彼は、黄色の名札をつまみ上げる。
「ほら。これが、地面に落ちてた」
ひまわりの形をした名札を、彼はこちらに差し出す。
その名札には、もしもの場合に備え、わたしの電話番号を書いてある。娘が保育園に通うとき、タオルや着替えなんかを入れるバッグに、つけていた名札。
名札をつけたデニムバッグは、その昔、わたしが学生のときに、通学のサブバッグにしていた。丈夫でまだ現役だから、今も、娘の通園用に使っている。
いつもなら保育園に預けてくるはずのバッグなのに、今朝はうっかりと、保育士の先生に渡すのを忘れて、車に乗せたままだった。
「『海の子保育園 かんざき はる』。何で、保育園の名札なんてつけてんだ?」
「今からそこへ、むす……妹を、迎えに行かなくちゃいけないの」
わたしはとっさに嘘をつく。はるは『妹』じゃなくて『娘』だ。けれど、15才の姿をしている今は、本当のことを言っても信じてもらえないし、仕方がない。
「そうだ、はるを迎えに行かなきゃ。すっかり忘れてた」
大急ぎで自分の荷物をかき集め、通学カバンを自転車の前かごへ突っ込んだ。
「それも返して」
彼の手から名札をひったくって、倒れていた自転車のハンドルに、デニムバッグをひっかける。
「さっきは、助けてくれてありがとう。もう行かなくちゃ」
わたしは、彼にお礼を言う。
「もう帰んの?」
彼は、驚いた顔で立ち上がった。
「明日もまた、ここに来るかな? 俺は、毎日帰りに、自転車でこの道を通ってるし」
「どうかな。ごめん、まだわからない」
曖昧にごまかすしかない。いつまで15才の姿でいるのか、そもそも、元通り35才の自分に戻れるのかもわからないのだ。
わたしは自転車を起こして、全速力でこぎ出した。