恋しい人は、もういない
拓途は呆れた顔をして、寿司の回るレーンに目を移した。そのまま黙って、レーンで回る寿司を見つめている。彼は伏し目がちに頬杖をつき、時折、下唇を噛む。
気まずい空気が流れている。
私は、コーンの軍艦の皿をつかむ。細かくほぐして、はるに食べさせようと思った。でも、私が箸をつけるより先に、はるは軍艦をわしづかみにしてかぶりつく。
「やだ。はる、そんな食べ方したら、喉に詰まっちゃう」
私は、はるの手から軍艦を取る。コーンがボロボロとテーブルの上へこぼれる。はるは、口の周りをご飯粒だらけにして笑う。私は、はるの口からご飯粒を取って、紙おしぼりで拭く。
はるは顔を拭かれるのが嫌なのか、わざと私に抱きついて、胸に顔を埋める。
「こらっ、はるってば。もう、しょうがないな」
私はあきれて、はるを抱っこした。そのとき。
「なあ、あんた」
拓途が急に私を呼んだ。
「えっ」
私はびっくりして彼を見る。
拓途はまっすぐに私を見つめていた。彼の目に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「俺がどうして“なつ”に惚れたか、あんたにわかる?」
拓途が思わぬことを訊く。
「ごめん、わからない」
私は答える。拓途がなぜ、15才の姿をした私『なつ』を想ってくれたのか、見当もつかない。
「いつからだと思う?」
「え? いつからかな」
彼の質問に、私は考え込む。公園で、拓途にキスをされたあの日、私はやっと彼の気持ちに気づいた。いつからかなんて想像がつかない。
「俺は、“なつ”に初めて会ったときから、惚れてた」
拓途が鼻にかかった声で言う。
「ギャップにやられた。ギャルっぽい格好してんのに、きれいな角度でお辞儀して。なんかビシッと決まってて、品のある感じでさ。この子、大人みたいだなって」
拓途と初めて出会った日、私はお辞儀をしたのか覚えていない。自転車で転んだところを彼に助けられたから、お礼を言ったのだろうか。
お辞儀の角度は、以前、デパート勤めをしていたから、そのときに、上司から厳しく仕込まれた。私が実際に15才だった頃には、きれいなお辞儀などできなかった。女子高生の姿と、大人になったあとに身につけた、きちんとした身のこなし。現在と過去、ふたつの私が重なった姿に、拓途は恋をした。
「そりゃそうだ。中身は大人なんだから」
拓途は口をぎゅっと結ぶ。
「なんか笑える」
彼は、泣くのを必死にこらえている様子だ。私は心が痛くなった。
「俺が惚れたのは、誰なんだろうな」
拓途は、妙なことをつぶやいた。
「“なつ”が俺を呼ぶとき、語尾が跳ねる。『たくとおっ』って。あんたもまったく同じ呼び方する。そういう風に俺を呼んだのは、“なつ”っていう高校生の女の子じゃなくて、あんただ」
「え?」
私は、拓途の言いたいことがわからなくて訊き返す。
「わかんないことがあるとき、首傾げて『え?』って俺に訊くのとか、『やだ』っていう口ぐせとか」
拓途が話しているのは、私の仕草のことだろうか。
「俺は、“なつ”って女の子が、何をしても可愛いと思ってた。だけど、そういう癖みたいなのは、本当はあんたっていうおばさんがやってるんだ。高校生の“なつ”じゃなくて」
拓途はため息をつく。
「“なつ”が、笑ったり、こっち見たりするたびに、『めっちゃ可愛い』ってドキドキしてたんだ。本当は、おばさんなのに。それってまるっきり馬鹿だろ、俺」
彼は投げやりな言い方をした。
「さっき、あんたの顔は見ないで声を聞いてた。そしたら、高校生の“なつ”の顔が浮かんだ」
拓途は、ごそごそとズボンのポケットを探る。
「この子の顔」
拓途はスマートフォンを出して、テーブルに置く。画面には、15才の姿をした私の写真。彼と初めて会った日に、撮ってもらった写真だ。
「声が聞こえるのに、“なつ”は、ここにはいない」
拓途は寂しげにつぶやく。
「俺が惚れたのは、あんたみたいなおばさんじゃない。“なつ”の頬って、桃みたいにぷるんって丸くて、触りたくなるんだ。今のあんたみたいに、頬が痩せてない」
写真に写る15才の私。若くてみずみずしい肌。パンパンに張った頬。
「“なつ”の手は、指先がそんな風にカサカサしてない」
拓途に言われて、私は自分の手を見る。水仕事で荒れた指先。皮がむけて白っぽくなっている。
「おばさんになると、あっちもこっちもカサつくの。ビニールのごみ袋とか、なかなか開かなくて困っちゃう」
私はおどけて答えるしかない。
「誰も取らなくて、ずっと回ってる寿司みたいだな」
拓途は、寿司の回るレーンをあごで指す。表面がパサパサに乾いたタコのお寿司が、私の横を流れていく。
「あれ、誰が食うのかな」
拓途はボソッとつぶやく。
「俺は嫌だな」
彼の冷たい視線が刺さる。私は心がズキンと痛んだ。




