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もう隠しきれない

「冷たっ」


 拓途が急に飛びのく。彼のシャツの胸元には、茶色いシミが大きくついていた。


「やだ、ごめんなさい。どうしよう」


 わたしはあわてた。もっと深いキスをしようと、わたしが背伸びをしたとき、手に持っていた缶が傾いて、中の炭酸飲料がこぼれたんだ。


「早く拭かないと」


 わたしは、炭酸飲料の缶を自転車のサドルの上に置いた。自転車の前かごに通学カバンを突っ込んである。そのポケットに、確かティッシュが入っていたはずだ。


「洗った方が早いだろ」


 拓途がわたしの腕をつかんだ。


「公園の中に、水道あるし」


「そうだね」


 わたしは拓途に腕を引かれて、公園の水飲み場へ行く。蛇口の位置が低すぎて、拓途のシャツを洗うのは無理だった。


「じゃあ、あっちだ」


 拓途はわたしを連れたまま、男子トイレへ入ろうとする。


「一緒に入るの? 嫌だ」


 わたしは拓途の腕を払った。彼は、わたしの身体に視線をまとわりつかせてから、ひとりで中へ入っていく。


 わたしは、トイレの外壁にもたれて、ふと空を見上げる。太陽が赤く大きくなり、ずいぶん下の方まで落ちていた。


『なつが来る日は、夕日がきれい』


 さっき、拓途が言ったことを思い出して、急に心配になる。もし、わたしの変身に、夕日が関係しているとしたら。ここで、わたしが拓途を待つ間に、夕日が沈んだら。わたしは35才の身体に戻るかもしれない。万が一にもそうなる前に、わたしはこの場を離れたい。


「ねえ、そろそろ保育園に行くね」


 わたしは大声で、拓途に呼びかける。


「えっ? 何か言った? 制服の汚れ、ぜんぜん落ちないんだ。ちょっと見に来て」


 建物の中にいる拓途には、わたしの声が届かないようだ。


 声を大きくして、もう一度、叫ぼうかと思った。でも、帰る前に、シャツを汚したお詫びを言った方がいいかも。謝るなら、拓途の顔を見て、きちんとごめんなさいを言わないと。


 わたしは思い切って、男子トイレへ入る。トイレの中は、蛍光灯が煌々と点いて明るい。すぐに手洗い場で鏡を見る。茶色い髪に、紺色のVネックベストの制服姿。まだ15才のままだ。


 わたしは拓途のいる方を見た。


「やだ」


 すぐに、あわてて顔を背ける。


 拓途がシャツを脱いで、洗面台でもみ洗いしていた。彼の身体つきは、まだまだ子どもっぽい。胸板だってペラペラだ。それでも、上半身裸の異性とふたりきりなんて気まずい。


 拓途が履いたズボンの上から、ボクサーパンツのウエストゴムが覗いていた。さっき一瞬だけ見えてしまった。その蛍光色のピンクが、わたしの頭の中をちらつく。恥ずかしくてたまらない。


「何してんだ。早くこっち来て」


 拓途は、わたしの様子を気にする風もなく、シャツの水気をしぼった。


「ほら、まだ茶色い跡が残ってる」


 拓途は、シャツが濡れているのにそのまま羽織る。シミは薄いベージュ色になっただけで、まだ消えていない。


「本当にひどいね。汚しちゃってごめんなさい」


「いいよ。許す」


 拓途は、はにかんだように笑った。


「その代わり、今日は絶対、なつを保育園まで送る。なつが、はるちゃん連れてくるのを、外で待つ」


「絶対ダメ。照れくさいから」


 わたしは言い訳をする。


 拓途はこれまでにも何回か、わたしを保育園まで見送りたいと言ってくれた。その度に、こんな感じで断っている。わたしは35才の姿に戻らなければ、娘のはるを迎えに行けない。だから、15才のわたしは保育園へ出入りしない。拓途に見送ってもらうなんて無理なのだ。


「送るぐらい、いいだろうよ」


 拓途はむくれる。


「ほら、行くぞ」


 拓途が、強引にわたしの手を取った。


「嫌だよ」


 わたしは拓途の手を解こうとする。


「何がそんなに恥ずかしいんだ」


 拓途は、絶対に手を放そうとしない。


「なつ、前から気になってたんだけど……俺に何か隠してるだろ」


 わたしは言葉を失う。拓途はやっぱり、わたしに疑いを抱いていたのか。

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