なんか腹立つ
しばらくして、わたしは公園の入り口へ着いた。そこに拓途はいない。彼の自転車だけが、ぽつんと停まっている。自転車の前かごには、通学カバンが突っ込まれたままだ。拓途は近くにいるかもしれない。
わたしは、自転車を近くの路肩へ停めた。拓途を探して公園を覗く。けれど、公園の中には誰もいない。
「拓途」
わたしは大声で呼んでみた。
その瞬間、わたしの頬へひやっとしたものがぶつかる。
「ぎゃっ」
わたしが振り返ると、すぐ後ろには、拓途が立っていた。手に炭酸飲料の赤い缶を握っている。
「もう、びっくりしたよ」
「ボーっとしてるからだ」
拓途は、ふてくされた顔をする。
「気抜くのはいいけど、人の話、適当に流すのはやめろ」
「ごめんなさい」
わたしは謝った。話をろくに聞きもせずに、うわの空で相槌を打つなんて、失礼なことをしてしまった。彼が怒るのも当たり前だ。
「これからは、適当に返事なんてするな」
「気をつけます」
わたしは頭を下げた。
「飲めば」
拓途は赤い缶を差し出す。
「いいの? ありがとう」
わたしは缶を受け取る。炭酸飲料はキンキンに冷えている。わたしは拓途を追って、必死に自転車を飛ばした。すごく喉が渇いている。わたしはさっそくプルタブに指をかける。
「その缶、さっき思い切り振った」
「えっ、嘘っ」
わたしは缶を手に持ったままで、腰を引く。へっぴり腰のようなマヌケな体勢。缶から泡が吹き出すと思って、とっさにそれを避けようとしたのだ。でも実際は、小さくプシュッと音がしただけだった。
「嘘だよ」
拓途はわたしに、小さないじわるをちょくちょく仕掛けるようになった。わたしは懲りずに、簡単に引っかかる。彼はそんな様子を見て面白がる。
今週に入ったあたりから、拓途はわたしに対してそっけない。言葉遣いも荒くなった。それに、彼はわたしとあまり目を合わさない。いつもこの公園で、わたしは拓途と並んでベンチに座る。拓途は黙って、スマートフォンの画面をちらちら気にするばかり。そんなときの拓途は、すごく退屈そうに見える。
だったら彼はどうして、防波堤沿いの道で、毎日わたしを待っているんだろう。拓途の心が、わたしにはよくわからない。
『その男は、もうすぐ姉ちゃんに手を出すぞ』
先週に、うちの弟の佳祐が予言した。でもそんなのは、きっと佳祐の思い込みだ。
「そろそろ、保育園行った方がいいんじゃない」
拓途がスマートフォンを見た。
「うん。これ、飲みながら行く」
わたしは炭酸飲料に口をつける。
「ジュース、おごってくれてありがとう。じゃあね」
わたしは拓途に手を振る。
「ちょっと待てって。俺は、保育園の下で待っとくから」
拓途はあわてたように言う。
「無理しなくていいよ」
わたしは断った。
「ねえ、拓途」
わたしは、いい機会だと思って切り出す。
「わたし達、もう会わなくてもいいんじゃないかな。拓途は、わたしといると退屈みたいだし」
拓途が驚いたように目を見開く。
「どうしてそういうこと言うかな」
彼は怒っているみたいだ。
「だって、ここの公園で会ってるときに、拓途いつも黙ってるじゃない」
わたしは言い返す。
「それって、わたしと一緒にいてもつまんないからだよね」
「ああそうだ。つまんない」
拓途が怒鳴った。
「なつとあと5分しか一緒にいれない、あと3分しか、あと2分しかって、毎回そんなことばっかり考えてる。なつがめっちゃ好きなのに、会うのぜんぜん楽しくない」
わたしは何も言い返せなかった。
拓途の言葉で、わたしは初めて、彼の想いに気づいた。わたしが拓途の心を測れなかったのは、そこに居座る恋を見落としていたからだ。拓途はわたしを想って、スマートフォンばかり眺めていたんだ。
「海でなつを待つの、もう止めようって、毎日思う」
拓途は、泣き出しそうに顔をゆがめる。
「なつの顔、見るのが辛い。あと何分しか会えないって、カウントダウンするの止めたい」
拓途は切々と訴える。
「だけど、なつと離れてるときは一日中、なつと会いたいって、そればっかり考えてる。俺どうしたらいい? 自分でも、どうしていいかわかんなくて辛い」
わたしもそれを聞いて辛くなった。でもわたしは、はるの母親なのだ。はるのことを最優先に考えて、あの子を守りたい。だから、拓途のために、これ以上、時間を割くことはどうしてもできない。
「俺がこんな苦しいのに、なつが平気な顔して、『会わなくてもいい』って言う」
拓途の手が、わたしの襟首をつかむ。彼の顔が、わたしまで数センチの距離に迫る。
「なんか腹立つ」
拓途はわたしを引き寄せてキスをする。
わたしはされるがままに、彼と唇を合わす。今、拓途がちょっと乱暴にわたしを上向かせた。その一瞬、まるで痛みが全身を走るように、わたしの身体を悦びが通り過ぎる。拓途はわたしの子どもであってもおかしくない年齢だ。拓途に恋をできるなんて、自分でも思わなかった。
拓途はがむしゃらに、唇を強くわたしに押しつける。彼はまだ、大人のキスへの進み方を知らない。わたしにはそう見えた。
わたしは、彼をもっと奥へ誘いたくて背伸びをする。そのとき――




