私って、ダメ母だ!
誰かが、私の額をなでた。温かい手。すごく気持ちよくて、起きるのがおっくうになる。
「あんまんまんとじょに、ねんねてぃよ」
娘のはるの声だ。
何を言っているのかは、わからない。
はる自身は、大人のようにすらすら話しているつもりでも、上手に発音ができないのだ。短い言葉なら、舌っ足らずなりにどうにか伝わるけれど、長い文章だと、なかなか難しい。はるが2才になってしばらく経つし、標準よりも、成長が遅いかもしれない。でも心配いらないと、保育士の先生が言っていた。
今は、できないことを気にするより、はるの思いを少しでも汲んで、相手に伝わる喜びを味わわせることが大事らしい。まるで桜のつぼみのように、外から見えなくても、はるの頭の中で、世界は豊かに膨らんでいるのかも。
はるが起きたから、私ものんびり寝ていられない。
昨夜はずいぶん遅くまで、あの高校生の彼とLINEで話して、最後は眠くてたまらなかった。それから――あとは記憶がない。私は、あれからどうしたんだろう。
「ふうっ」
私はため息をついて目を開ける。顔の下には、ふかふかの枕ではなく、木の板が見える。私は、ちゃぶ台に突っ伏していた。どうやらLINEで話している最中に、うたた寝したらしい。
「ん……」
私は伸びをした。すると私の横に、赤いものがボトッと落ちる。はるが大好きなアンパンマンのぬいぐるみだ。
「ねんね」
はるが、大声を出す。
「はるは、ねんねしたいの」
「ちあう」
はるは首を横へ振り、手を伸ばして、私の額をなでようとする。
「ねんね」
「ママのおでこ、なでてくれるんだ」
私は、はるの手の前へ、額を突き出す。ちゃぶ台に置いたスマートフォンに手が触れた。画面には、7時16分と時刻が出ている。
「えっ」
私は、壁の時計を見る。朝の7時16分。いつもより1時間も寝過ごした!
「またあとで、なでなでして」
私はあわててキッチンに立つ。
「朝ごはんだよ。自分で食べようね」
冷蔵庫からヨーグルトを出してフタを開け、スプーンを添えてちゃぶ台に置く。はるがひとりで食べてくれれば、その間に、自分の身支度ができる。
私は、手近にあったヨレヨレのTシャツとジーンズを着た。おしゃれとは対極の気を抜いた格好だ。でも、服を選んでいる余裕なんてない。大雑把に化粧もする。眉を描いたり、マスカラをつけるのは無理。ファンデーションと口紅だけ塗って、あとは職場の駐車場に着いてから、車の中でやろう。私は、鞄に化粧品を放り込む。
身なりを最低限に整え、はるの様子をうかがう。はるは、ほとんどヨーグルトを食べていない。
「あん」
はるはこちらにスプーンを突き出した。きっと食べさせて欲しいんだろう。
「ママがあーんしたら食べるの」
私は、はるの手からスプーンを取る。
「ちあう。あん」
はるは口をへの字に曲げる。
ゆっくり相手できるときにも、時間がなくても、はるは同じペースで私に甘える。大人の都合なんて、2才の子にはわからない。仕事に出るまでの時間は、容赦なく減る。私はイライラを必死で抑えながら、ヨーグルトをすくって、はるの口元にあてがった。
「いやなの」
はるはスプーンを払う。手を強く叩かれたから、私はスプーンを床に落とした。ヨーグルトが畳をべったりと汚す。
「はる、ダメでしょ」
私は、はるを叱った。
はるは、キーキー泣き叫んで暴れる。一度こうなると、気が済むまで放っておくしかない。私まで泣きそうになりながら、畳についたヨーグルトを拭く。
「ヨーグルト要らないの。バナナ食べようか」
私は、努めて明るい口調で言う。
「いや」
はるの好物で気を引いても、まるで効きめがない。
「食べないなら、ごちそうさまするよ」
私は、ヨーグルトを片付けようとした。
「いや」
はるはもっと激しく泣き出す。何がしたいのかわからない。私は、はるに見えないよう、流し台の前でため息をついた。




