彼をだんだんと知っていく
「え?」
わたしは思わず、女性に訊き返した。
あの優しそうな彼が、『びっくりする』ようなことをするなんて、すぐには信じられない。
「あれは、うちの息子が中学に入ってすぐだと思うんですけどね。そのときは、携帯型のゲーム機をそれぞれ家の外へ持ち出して、コンビニの前とかで座って、みんなで遊ぶのが流行っていて」
女性は、要点をまとめて話すのが苦手な人みたいだ。彼女がさっき発した『びっくりする』という言葉との、話のつながりがよくわからない。
「はあ」
私は呆気に取られながらも相槌を打つ。しばらく我慢して、この人の話につきあうしかないのだろうかと、私はうんざりした。はるは、まだ服のボタンにご執心で、静かにしている。
「うちの子も高橋くんも、ああいう遊びの輪に入れなくて。それがきっかけで仲良くなったんです。うちは、息子の下にチビが大勢いますから、あんな高いゲーム機なんて買ってやれませんし、高橋くんも、片親の家の子でしょ」
彼は、この女性に、高橋くんって呼ばれているみたい。
とにかく、ようやく話の流れが見えてきた。女性の言う『片親』という表現が好きじゃない。でも、私は黙ってうなずいた。
「うちの息子が中学に入ってから、あれは……まだ4月だったか……パートから帰ってバタバタと夕飯を作って、子ども達に食べさせましてね。どうも変だと思ったら、高橋くんがうちの子に混ざって、豚のしょうが焼きを食べてるんです」
女性は豪快に笑った。
「びっくりしましたよ。あいさつもなしで、他人の家で当たり前みたいに、ご飯を食べるなんて」
女性は、大げさに目を見開いてみせる。
「まあ、そうですよね」
「でもね、よく話を聞いてみたら、母親が看護師で、夜勤の日は、ひとりで晩ご飯を食べてるらしいんですよ。お姉さんはいるようですけど、部活だのバイトだのって帰りが遅いみたいで」
私には、あの子のお姉さんの気持ちもわかる気がする。私も母子家庭で育って、彼女と同じことをした。夜、家の中に子どもだけが残されたときの、ひんやりとしたあの空気。帰りたくなかったんだ。
「高橋くんはね。うちみたいに、家の中がガサガサしてるのが楽しいって、そりゃあもう嬉しそうな顔するもんですから、私も無下に帰れとも言えなくなって。それで、『お母さんが夜勤の日は来てもいいけど、うちの子と同じようにお手伝いはしてね』って、言ったんです」
女性は勢い込んで、話し続ける。
「それがね。うちの息子よりずっとしっかりした子なの。洗い物してもらったら、仕上がりがきれいで、チビの相手も嫌がらずにしてくれて。私が忙しいときは、見よう見まねで、一番下の子のおむつまで替えてくれたときもありました」
この女性のお宅があったかくって、彼はどうにかして溶け込もうとして、快く受け容れて欲しくて、頑張ったのかな。私には、そんな風に思えた。
「親御さんも、きちんとした方でしたよ。うちに、何度もあいさつに来られて」
女性が言い添える。
「今じゃ、あの子もうちの息子、みたいな感覚になってしまって。最初は、びっくりするような非常識なことをするかもしれませんが、嫌わないでやってくださいね」
女性は、自分の子どものことみたいに、私に頭を下げる。
「すごく優しい子だって、私も思います」
私は、素直にそう思った。
「お嬢さんにもしっかり勧めといて。あんな子をお婿さんにもらったら、とっても楽よ」
女性はニカッと笑い、私の背中を叩く。
「お宅も子だくさんで賑やかなんでしょう? 下のお子さんもずいぶん小さいもの」
女性は、15才の姿をした私と2才のはるが、姉妹だと思ったのかも。高校生と幼児のふたり姉妹なんてあまり聞かないから、間に兄弟がたくさんいるんじゃないか。彼女はそういう風に誤解したんだろう。私は、どう答えていいか困って、曖昧に笑い返す。
「高橋くん、最近はうちへ顔を見せなくなって、心配してたんです。うちの息子と高校が離れて、来づらくなったのかもしれないって。でも、お宅へ行ってると知って安心しました」
女性は頬をゆるめる。
彼女の言ったことは、まったくの勘違いだけれど、そのまま訂正しないのが、人情ってものかもしれない。
「あの子、お宅でも、だし巻き作ってますか」
「だし巻き? いいえ」
私は答える。
「お宅でも、作ってもらうといいわよ。こんな小さい子のほっぺみたいに、ふわふわ柔らかくてね」
女性は、はるを見て言う。ほころんだ彼女の顔が、おいしさを物語っていた。
あの男の子が、だし巻きを焼くのが上手いってほこらしげだったのは、こうやって、喜んで食べてくれる人がいたからなんだろう。
「今度、作ってよって頼んでみます」
私は、話を合わせておいた。




