おしゃべりなおばさん
「すみません。まだやってますか」
私は肉屋の前で自転車を降りて、店内へ声をかける。
「大丈夫ですよ」
ショーケースの裏で片付けをしていたおじさんが振り返った。
「何時まで、営業なんですか」
私が訊くと、おじさんは壁の時計をちらっと見る。
「本当は19時半までなんですがね。うちは、仕事帰りのお客さんもよくみえるから、まあ、こうやってぼちぼち片付けがてらに開けてるんです」
壁の時計は、19時40分を指している。
「奥さん、何にします?」
「じゃあ、牛肉の切り落としを200gください」
「切り落とし200gね」
おじさんが牛肉を計っている間に、ショーケースの前へ自転車を停めた。
娘のはるは、自分の服についた飾りボタンをいじるのに夢中で、大人しく自転車のチャイルドシートに座っている。
「奥さん、ちょっと多いけどいいかな」
おじさんに言われて秤を見ると、206g 515円と表示されている。
「はい」
自転車の前かごから、エコバッグの下でぺちゃんこになった鞄を引っぱり出す。足元にぺたんと何かが落ちる。緑色の紙切れだ。拾い上げると、この肉屋で使える100円分の値引き券だった。
「あっ」
私は思い出した。夕方、私が15才の少女の姿をして、高校生の男の子と一緒に、この肉屋へ来たとき、値引き券を2枚渡されたんだ。
「この券は、使えますか」
私は肉屋のおじさんに、値引き券を1枚だけ差し出す。
「それなら、税込みで435円ね」
私が500円玉を渡すと、すぐにおつりと牛肉の入ったビニール袋が返ってくる。
「ありがとおっす」
おじさんが語尾を長く伸ばしてお礼を言う。その独特な言い方に聞き覚えがあった。夕方に、私があの男の子とここへ来たとき、この人は、店頭のフライヤーの前で揚げ物をしていた。
「あの、今日の夕方に、高校生の男の子が来ませんでしたか」
私は思わず、訊いてしまった。
「さあねえ。学生さんはたくさん来てくれるから」
おじさんは首をかしげる。そのとき、店の勝手口らしきドアから、40歳代くらいの女性が出てきた。ふくよかな体型の大柄な人だ。
「山口さん、夕方に高校生の男の子って来たかな」
おじさんがその女性に訊いてくれた。
「高校生?」
女性はおしゃべり好きな感じの人で、好奇心むき出しの目で私を見る。『もういいです』なんて、言い出しにくい雰囲気になってきた。
「中浜高校の子で、背が高くて、カルビコロッケ買いに」
私は仕方なく、あの男の子のことを女性に伝える。
「ああ、高橋くんね」
女性の表情がパッと明るくなる。
「苗字は知らないんです」
「下の名前は……たく……たくや、だったかな……」
女性は彼の名前が思い出せず、もどかしそうな顔をしている。
「拓途くんですか」
「そうそう、『たくと』。そんな名前でした。お客さん、高橋くんのお知り合いですか」
女性は親しみのこもった目で私を見る。
「ええ。この値引き券をもらって」
私は女性に、緑色の紙切れを見せた。
「お客さん、高橋くんの彼女のご家族? ずいぶんお若いけど、お母さんですか」
女性の目が嬉しそうに輝く。かなり詮索好きな人みたいだ。もしかして、15才の姿になった私を、あの男の子の『彼女』だって勘違いしたという店員さんは、この人だろうか。中学の友達の親御さんだって、彼は言っていた。
「いいえ、彼女じゃなくて友達ですよ」
私は、あの男の子のために、きっぱりと否定しておく。だって彼は、あんなに真っ赤になって、困っていたのだから。
「あらそうなんですか。私ったらてっきり」
女性は苦笑いする。
「でも最近は、高校生のおつきあいでも、こんな聞き合わせみたいなことなさるの」
女性は、ふと表情を曇らせる。
『聞き合わせ』って、今はあまり使われない言葉だ。結婚前の身辺調査のことだったような気がする。女性は、すっかり勘違いをしているようだ。私は、女子高生の母親で、娘に悪い虫がつくのを心配して、あの男の子の素性を探りに来たと思われたのかもしれない。
「そういうつもりじゃないんです。ただ、気になって訊いただけで」
「可愛らしいお嬢さんだから、心配されるわね」
女性が共感のこもった口調で言った。
「いえ、そんな」
15才の私を『可愛らしい』と言われた。社交辞令だとわかっているけれど、照れてしまう。
「高橋くんとは、最近お知り合いに?」
「ええ」
「あの子、びっくりするでしょう」
女性は声をひそめて言う。




