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やっぱり私は母親なんだ

 公園のベンチでコロッケを食べ終えてから、わたしは、制服のスカートに落ちたパン粉を払う。


「おいしかったね」


 わたしは、隣に座っている彼を見た。


「あれ?」


 彼の頬にも、パン粉がついている。


「パン粉がついてるよ」


「えっ」


 彼があわてたように、手の甲で口元を拭う。


「違う、ほっぺだよ」


「こっち?」


 今度は、左頬を指の背で払う。


「逆だってば」


 わたしは、彼の右頬についたパン粉を指先でつまんだ。10代の男の子の肌って、意外と柔らかい。わたしは不意に、はるのぷくぷくのほっぺを思い出す。


 わたしの身体は今、15才に変身しているけれど、心は35才の母親のままなのだ。


「ほっぺ、柔らかいね」


 彼への親しみがわいた。わたしは、彼を見上げて笑いかける。ふと、彼が着ている制服のシャツが目につく。襟の後ろが、めくれ上がっているのに気づいた。


「ここも触っていい?」


 いつも娘のはるの身だしなみを整えてあげるときのような調子で、つい手が出てしまう。わたしは彼の首に両手を回し、後ろを覗き込んで襟元を直す。


「なんか気になっちゃうんだな」


 ネクタイの結び目もゆるんで、斜めになっていた。わたしはそれをまっすぐに整える。これで完了だ。


「うん。格好いいよ」


 わたしは、彼の両肩をトンと叩いた。どこか抜けていて、母性本能をくすぐる子だ。彼のことが、ちょっぴり愛おしく思えた。


 彼はなぜか、放心したような顔でこちらを見ている。


「どうしたの」


 わたしは彼に声をかける。彼はわたしを見つめたまま、返事をしない。


「拓途くん?」


 わたしは彼の名前を呼んでみる。けれど、反応がない。


「拓途くん」


 もう一度、呼んだ。彼は焦点の合わない目で、こちらを見るばかりだ。


「拓途、拓途ってば」


 わたしは心配になって、彼の肩を揺する。


「あ、あっ、はい」


 彼があわてたように、裏返った声で返事をする。


「何してるの? しっかりしてよ」


 わたしはくすっと笑ってしまう。彼は、わたしと話をしている最中なのに、突然、考えごとなんかして、自分の世界に入ってしまったのだろうか。けっこう変わった子だ。でも、どこか憎めない感じもする。


「『たくと』っていい名前だね。開拓する途中。これから未来が拓くっていう意味なのかな」


 わたしは質問した。彼と話すのは楽しい。もっと話したい。


「えっ? ああ、うん。そうかも」


 彼はそわそわしている。もしかしたら、気になることがあって、早く帰りたいのかもしれない。残念だけれど、話を切り上げなくては。


「時間は大丈夫かな」


 わたしは彼に確認する。


「やばい」


 彼は、あたふたしながらスマートフォンを取り出す。


「18時50分、過ぎてる」


「そろそろ、はるを迎えに行かなきゃ」


 わたしは、ベンチから立ち上がる。


 今日も昨日みたいに、元通り35才の姿になれるだろうか。元に戻れる保証なんてない。でも、茶色い髪をした15才の少女のままでは、保育園へは行けないのだ。とりあえず、保育園の駐輪場へ行って様子を見よう。あそこなら、保育園のビルのすぐ裏手にあって、人通りもあまりない。


「わたし、もう行くね」


「え?」


 彼がベンチに座ったまま、ぽかんとした顔で、こちらを見上げる。


「コロッケ、おごってくれてありがとう」


 わたしはお礼を言った。


「今日は誘ってくれて、嬉しかった」


 わたしは彼に手を振る。


「あっ……うん」


 彼は、一瞬、視線を泳がせたあと、困ったようにうつむく。別れ際に、あいさつを返してもくれないなんて。彼と親しくなれたと思ったのは、わたしの勘違いなんだろうか。


 わたしは自転車を走らせ、すぐに保育園の駐輪場へ着いた。駐輪スペースのトタン屋根の上に、ラベンダー色に染まった空が見える。


 銀色の自転車が、空のラベンダー色を映している。目の錯覚なのか、その色は、だんだんと濃くなっていくように見えた。ラベンダー色というよりは、えんじ色に染まっていくみたいだ。そう思った瞬間、辺りは突然、暗くなった。


 自転車に鍵をかけようとした。けれど、暗すぎて鍵穴がわからない。何度もまばたきをして、目を凝らす。


 そうしているうちに、暗さに目が慣れたのか、やっと鍵穴が見えた。私は、通学カバンから鍵を出そうと顔を上げる。自転車の前かごには、通学カバンがない。その代わりに、食品がみっちりと詰まったエコバッグが収まっていた。


「あっ」


 もしや、と期待して振り返ると、サドルの後ろには、チャイルドシートがついている。銀色の自転車は、いつの間にか、35才の私がいつも乗っている、えんじ色のママチャリに戻っていた。


 私の身体も、元通り35才に戻ったかもしれない。近くに停まっていた原付バイクのミラーを覗くと、黒髪のショートヘアをした私が映る。顔にたっぷりと汗をかいていた。ファンデーションが崩れて、目尻のシワがばっちり見える。見まごうことない、30代の肌だ。


 腕時計を見ると、18時57分。保育園は、目の前のビルの2階。19時までに行かなければ、延長保育料金がかかってしまう。ひざの傷の痛みも、メイクが崩れているのも、構っちゃいられない。よっしゃ、走るぞ! 私は、保育園の外付け階段を、猛スピードで駆け上がる。

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