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35才の私と、15才のわたし

 カーラジオから、懐かしい曲が流れた。Mr.Childrenの『君がいた夏』。夕日の下、海辺で恋したふたりが、秋の訪れとともに離れていく歌だ。イントロを聴くだけで、胸いっぱいに甘酸っぱいオレンジ色が蘇る。


 この曲がFMでガンガン流れていたのは、私が高校へ入った年の夏だったろうか。あの夏から――もう20年も経ったんだ。


 あの胸キュンな名曲を聴いて、恋に恋してときめいていた15才の女の子だった私が、今では35才。ときめくものといえば、スーパーの特売セールと、たまに、夜中にひとりでこそっとやる晩酌。チーかまと、ノンアルチューハイ。正直、恋はしばらく遠慮したい。去年、夫と別れるのに、いろいろ揉めて、男には懲りた。


 私の名前は、『奈津』。


 関西地方のずっと西の端にある田舎で育って、高校を出たあとに地元で就職。そして結婚でこの町を出て、3年前にひとり娘を授かる。やがて結婚は、大失敗に終わり、シングルマザーになってこの町へ戻った。


 海沿いにある町。猫のあくびのように、ぬるくて間延びした町だ。


 そこで毎朝、保育園へ娘を預けて、昼にはスーパーでレジを打ち、夕方に、また保育園へお迎えに行って。同じところをぐるぐる回るだけの日々。あわただしい日常に流されて、うっとりと景色を眺めることも忘れていた。


 今は、娘のはるを迎えに、シルバーの軽自動車で保育園へ向かっている。


 車の窓から、海が見えた。太陽が水平線に近づくまで、まだ間がありそうだ。いつもは、沈む夕日を見ると、残り時間をカウントダウンされているみたいで落ち着かない。娘を迎えに行ったが最後、家事と育児が、どっとまとめて荒波みたいに襲ってくるのだ。


 けれど、今日は特別。夕日がやけに心に染みて、ジーンとくる。音楽の魔力ってやつかな。


 ラジオから流れる、懐かしいメロディ。もの悲しいサビのフレーズ。それが、私の心を濃いオレンジ色に焦がす。せめて、夕日が沈むまで。ほんのわずかな間でも、15才の女の子に戻りたい。誰にも邪魔されず、身も心も、甘酸っぱいオレンジ色に染めたい。


 そうだ。あの場所へ行こう。この先にある路地へ入って、防波堤に沿った道を通り過ぎると、小さな駐車スペースがある。高校生の頃には、自転車で、学校の帰りにあそこを通って、空と海いっぱいの夕焼けを独り占めした。あれは今にして思えば、すごく贅沢な時間だったな。


 路地の入口へ差しかかると、ハンドルを左へ切って曲がった。そのとき、夕日が真正面から差し込んだもんだから、わたしはびっくりして顔を伏せる。目が痛くなるほどの閃光。あまりにまぶしすぎて、視界が真っ白になり、何も見えない。


 周りの全てが、高速でぐるぐると回っているような感じがした。今までに、こんな激しいめまいを感じたことはない。貧血かもしれない。防波堤に車をぶつける前に、早くブレーキを踏まなくては。わたしは、右足で車のブレーキペダルを探り当て、ぎゅっと踏み込んだ。


「え?」


 そのはずだった。わたしは、ブレーキペダルを床まで力いっぱいに踏んだつもりだ。なのに、足先は、床だと思っていた場所よりもずっと深く低いところまで、ズブッと沈んでいく。


「あっ」


 わたしはガクッと前へつんのめって、とっさにハンドルに強くつかまり、身体を支えようとした。でも。


「嘘っ」


 わたしが握っているのは、車についているまん丸のハンドルじゃない。左右に長く伸びている。ブレーキは足元じゃなくて、なぜか左右のハンドルの先についている。これはきっと何かの間違いだ。そう思って、足元を確認したら、下にはどう見ても間違いなんかじゃなく、自転車のペダルがあった。


「自転車に乗ってる?」


 ついさっきまで、わたしは車を運転していた。なのに、どうして。何が起こったのかわからず、わたしは怖くて身体がすくんだ。自転車はバランスを失ってぐらぐらと揺れる。わたしは投げ出されて、地面へ倒れた。



「大丈夫か」


 誰かが、わたしに声をかけた。

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