「騙される方が悪いんじゃよ」
その後も、真子の話は続いた。暴行は、これで一部だそうなので、おそらくは、この場でも言えないような事があったのだろう。とりわけ絶望だったのは、一学期が終わり、やっと解放された夏休みが始まると思ったら、そいつらは全員大して遠出もしないから、連れ回すと言われたことだったらしい。
「そこで、私は、母に打ち明けようと思ったんですね」
「口止めとかはされなかったんですか?」
「されてました。それに、母にいらない心配を掛けさせたくないとも思いましたから。でも……」
下唇をかんだ真子は、ひときわ肩を怒らせ、両手に力をこめた。
「カッターを、ずっと持ってました。もう、刺してしまえば楽になる。私自身に振るっても、あの、命令してた偉そうな奴に振るっても、どっちにしても楽になる。そう思ってました」
真子は眼鏡を取って、ハンカチを取り出した。
「でも……それをしたら、お母さんとお父さんがもっと悲しむだろうなって……。だから、凄く悩んで、打ち明けようと……」
「あ~、大輔~、女を泣かせちまったよ~」
アミエルの茶々に、僕は殺意の籠もった眼差しで睨み付けた。そのあと、がらりと気持ちを切り替えて真子に優しく尋ねる。
「ですが、真子さんのお母さんは、先ほど玄関で会った様子だと知らないようですね」
「ええ……。その、意を決して伝えに行こうとしたときに、インターホンが鳴って、そしたら……」
「ふむ、我が輩が訪問した、というわけじゃな」
エヴェレットが、うむうむと満足そうにヒゲをなでていた。
「いやはや、真子殿がそこまで追い詰められておったとはのぉ。まったく、我が輩が協力できて良かったわい」
――よく吠えたものだ。僕は内心吐き捨てた。
彼女はお前がいなければ、両親に暴行の事実を伝えて、加害者達にしかるべき罰を食らわせていたんじゃないか。世の中の理不尽さにも直面したかもしれないが、それでも彼女は前に進もうとした。その道を、お前は閉ざしたんだ。どうせ、追い詰められた獲物をじっと観察していて、そいつがまともな対処をして救われそうになったから、接触して誑し込んだんだろう。
「そうじゃろ、大輔殿?」
「ええ、本当に、エヴェレットさんがいてくれて良かったですね」
――下衆め。僕は静かに息を吐くと、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「あ、でもエヴェレットさん。今回、どうしても力及ばず、駄目だったってこともあったんじゃないですか?」
「我が輩にか? いいや、ないない」
エヴェレットは軽く手を振ったが、僕はだらしない笑みを浮かべつつ尋ねる。
「まあまあ、そりゃあエヴェレットさんが万全なことは十分堪能しましたから。仮にですってば。どうなっていたら撤退してました?」
「ふむ、そうじゃな……。まぁ、他の悪魔が参加せねば旨味がないからのぉ。あとは、真子殿が心変わりした場合も駄目じゃな。とはいえ、その撤退戦のときも、悪魔達は多いほうが良かろうて」
「とすると、つまり、災害を起こさず、他の悪魔から得た魔力を回収して撤退すると?」
「まあのぉ~」
「実に……、えげつないですね」
口調は辛辣だが、顔は変に歪めてみせ、手を額にあてて大きく横に振り、オーバーアクションをしてみせる。さながら、芝居をしているかのように。
「この、悪魔め」
「くはははっ! そりゃあ、騙される方が悪いんじゃよ!」
ノリがいいのか、エヴェレットは馬鹿笑いをしてくれる。
「我が輩の一人勝ちじゃな! ワーッハッハッハ……!」
ひとしきり満足げに演じたあと、ぺちりと僕の頭を叩く。
「なぁーにをさせるか、おヌシ」
「あれぇ、面白いからノッたくせに」
「まあのぉ。じゃがな、そうはならんよ。全ては計算通りじゃて」
「ですよねぇ」
「いや、ひとつ想定外のことがあったわい。真子殿がのぉ、魔界に素晴らしい貢献をしたということで、名誉市民になったのじゃ」
「へぇ」
僕は真子に向き直った。
「そうなんですか、真子さん?」
「あ、はい。そうみたいです」
「我が輩が推薦したのじゃがな」
エヴェレットが真子の肩をぽんぽんと叩くと、真子は少しはにかんでみせた。
「なんか、悪魔さんには全然及ばないですけど、魔力を使って魔法が使えるようになったとかで」
「凄いじゃないですか」
僕は心持ち興味を惹かれた。
「ちょっとやってみてくださいよ」
「じゃ、じゃあ、指先に『光』を」
真子が少し集中すると、たしかに人差し指の先端が、ぽぉっ……とほのかに明るくなった。
「始めは『火』を出したんですけど、火傷してしまって」
「あー、ありがちですね」
「それで、不死のパックをお願いしたんです」
「なるほど、それなら火傷も消せますね。加えて、魔法まで使えるようになったなんて、真子さんは無敵じゃないですか」
「いえ、そんな……。それに、あんまり使うと、すぐ気絶しちゃうんですよ?」
「いやいや、それでも凄いですよ」
僕は称賛した。
その後も少し歓談したあと、そろそろお暇しようかと席を立った僕は、真子と連絡先を教え合った。
「そういえば、真子さん。決行日はどちらへ出かけるおつもりですか?」
「家族と北海道に」
「なるほど、ご両親を大切にされてるんですね」
「いえ、そんな……。全然、人並みです」
優しくされることに慣れていないのか、おためごかしのたびに照れている。
僕とアミエルは、そんな彼女達と、明日も会う約束をして別れた。
※ ※ ※
「おい、これで良かったのか」
歩きがてら、アミエルが心配そうに声を掛けてきた。
「本当に上手くいくのかよ」
「ああ、問題ない」
「あ、菜々子の名前が出たとき、すげぇ睨んでたよな。流石にオレも、人の恋路に邪魔なんかしねえよ」
「うるさいな」
「おいコラ、信じてねえだろ。そういや、エヴェレットと組んで散々コキおろしてくれやがったよなぁ。なーにが『面白い出し物』だよ」
「少々抑圧されたほうが、得られるカタルシスは大きいだろ? そのためには、打ち合わせだ」
「へいへい、細工は流々、仕上げを御覧じろってやつかよ」
僕はアミエルと段取りの修正を確認すると、病院近くの裏道で下準備を行ってから病院へと入っていった。




