瞑想世界19
だが今はその騙し絵を盲信して村瀬を探すしか、俺達に道は無いのさと、田村は言った。
村瀬を探す為に僕ら三人は歩き出した。
僕達二人を先導している田村が切り出した。
「欺く時間かもしれないな」
僕は尋ねた。
「何だ、それは?」
田村が答える。
「だから時間の正体だよ。時間は意思を持っていて、この世界に於いては止まっている演技をして、実を言うと動いているのかもしれない。そして動いている振りをしていて止まっている形をも類推は可能なわけだ」
僕は訝った。
「何だ、俺達が意思を持った時間概念に騙されていると言うのか?」
田村が答える。
「そうだ。しかし騙すと言う概念自体も無で、そこに騙す意図が無いのならば、それは逆の意味で本質と呼べるが、その本質をも無化されているのが、あるがままの実存であり、それ以上でも無ければ、それ以下でも無いならば、虚構と実像という概念さえ無実化して行くわけで、我々の存在は限りなく無に近いからこそ生きていられるのかもしれないな」
僕は半分憤る感じでコメントした。
「ちょっと待ってくれ。欺かれた時間の中で、その無化された虚偽を演技する非実存こそが、無としての実存ならば、俺達にとって虚構こそが実存となってしまうではないか。騙され本来の実存が無い事が、俺達の実存ならば、俺達の心は無いと言う事になり無なのか?」
田村が答える。
「限りなく無に近いと言う欺瞞的実存を信じているからこそ、俺達は生きていられるのかもしれないという仮定論を俺は展開しているに過ぎないんだ。時間概念については仮定論しかものする事は出来ないからな。虚構が実存。その逆も真で。欺かれている心の実存を信じているからこそ、俺達は生きていられると言う推論さ」
僕は哀しくなりつつ言った。
「本来俺達の心は無であり、それを欺き有であると信じ込んだ傀儡的な虚偽としてのエセ実存が俺達を騙す、騙し絵としての実存と言う事か?」
田村が素っ気なく言った。
「騙し絵でもいいではないか。騙し絵に騙し絵を重ねて、生きていられる事に感謝するのが、この虚構的実存としての現在なのだから」
「無を有として感じている騙し絵の中でしか俺達は実存を感じないのならば、実存と言う言葉自体が無に帰すではないか」
田村が言い切った。
「無の永遠遡航こそが、虚偽的実存ならば、我々は無が有である事に喜びを感じて生きて行くしかあるまい。それが心の実態ならば、それはそれで受け入れるしか俺は無いと思う」
僕は嘆息してから言った。
「時間の造り出した騙し絵としての空間を盲信する事が、本来自分が無である事をひたすら欺く事が俺達の実存ならば、俺は俺の実存的石ころを探しに来ている事も虚偽であり、本来的に全て不毛なる行いになってしまうではないか?」
田村が言った。
「だから自分を欺く事こそが実存なのさ。その虚構的実存を信じて生きる事こそが、俺達の愛なのかもしれないじゃないか。全ては仮定論さ」
僕は独りごちた。
「騙し絵を信じる事が我々の愛ならば、我々は愚かなだけで、哀しいだけの存在なのか。それじゃ、やりきれないな。やってられないわ」
田村が僕の意見を否定した。
「だが今はその騙し絵を盲信して村瀬を探すしか無いのだ」




