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瞑想世界151
僕は欠如分の考察を深め、田村の説得にかかった。
この推論からすると。
単一の一つしかない思考を有する魂は単一の時空間の中で永遠の存在であり、そこに忘却としての欠如分は無いという結論付けが可能だ。
つまり僕の部分的忘却は、瞑想装置の未完成体としての不備がもたらしていると洞察出来る。
だがその推論を確定出来る証左は無い。
そのもどかしさを懐に抱きながら、僕は考える。
欠如分の空洞を埋めるには、瞑想装置の完成体になるしかないと。
だがそこには無力な肉体の放棄、肉体の寄る辺である絆を喪失する哀しみが予見出来るのも確かであり、僕は苦悩する。
絆なき村瀬との絆を奪還する為に、絆を失ってしまう事は愚かしい行為でしかない。
だが僕は無力で愚かな人間として、その矛盾に満ちた絆奪還に賭けるしか道は無いと結論付ける。
僕は田村よりも瞑想装置の完成体に近付いているから、このような欠如分を感知したのだろう。
その欠如は全てを振りだしに戻した観があるのだが、その欠如分の論考をして行くべく、僕は田村の説得にかかった。




