●世界設定:ドイツ帝国が経済破綻した原因について
中華帝国の経済的発展に最も貢献した国はどこか?
そう聞かれたら、世界共通で答えは一つだ。
ドイツ帝国。
この世界におけるドイツと中国は、歴史的に日本よりも長く古い結びつきがあり、それは現実世界のメルケル政権(就任以降、来日記録無。中国へは頻繁)よりも遥かに中華帝国に偏った親中方針を伝統的とり続ける原因になっている。
イギリスやフランス寄りの日本に対して極めて冷淡どころか批判的で、事あるごとに中国の肩を持ち、事ある事に日本に突っかかってくるのがドイツの基本的な対日姿勢だ。
おかげで、欧州においてドイツ程日本政府の怨みを買っている国はないとさえ言われる。
政府がこんな感じだから、この世界の日独の関係は政治経済共に関係は極めて疎遠だ。
中華帝国に対してドイツ政府高官による“月参”が常態化しているのと、ちっぽけな大使館があるだけの日本では比較のしようがない。
中華帝国国内にはドイツ系企業のアジア最大の拠点がいくつも存在し、そこで扱われるドイツ製品は中華帝国国民が購入できる最高のステータスシンボルと認められている。
では、日本におけるドイツ製品の扱いは?
相手国同様に冷淡の極みだ。
そもそも、日本人はほとんどドイツを知らないし、ドイツ製品なんてどこでも扱っていない。
ドイツとは?
もし、日本人が誰かにそう訊ねられたら……?
ああ、ソーセージとビールの国でしょ?
フランスの横にある国だっけ?
この程度の認識しかない。
国民はそれで困ることもない。
つまり、ドイツなんてどうでもいいと思っている。
日本で買えるドイツ製品なんてベンツやアウディなどの車位のもので、しかもそのナビの壊滅的精度とアフターサービスの悪さは「ドイツ人がいかに日本人を嫌っているか」を実感させる程度に劣悪、かつ、改善される見込みは全くない点で共通していた。
「ドイツ製品で最も信じられるものは?」
「鉛筆削り」
冗談ではない。
どうしてこうなったか?
その背景にあるのがドイツの歴史的な対中・対日政策にある。
そもそものきっかけは、欧州列強による海外進出が最盛期を迎えていた19世紀末にまで遡る。
当時、国内事情によってその流れの中で最後進国となったドイツはアジアへ進出したくても他国の縄張りが邪魔で思うように進出することは出来なかった。
そこで、列強とは逆に、本来なら奪うべき相手であるアジア人に接触する政策を打ち出した。
攻め込むではなく売り込む。
その矛先にいたのが中華帝国だ。
目論見は大当たりした。
列強の技術や資本は欲しいが、奴らに頭を下げることは国内世論が納得しない。
だが、向こうから謙ってくるなら別。
そんな中国人の心理を巧みに突いたドイツは、中華帝国からまともに戦争したら手に入れることさえ出来なかっただろう莫大な利益と特権的な地位を獲得し、その対価として中華帝国はドイツから様々な事物を取り入れる関係はあっという間に出来上がった。
一種のWin-Win関係にあったわけで、特に中華帝国がその建国に際してドイツの法、軍事、経済、医療、様々な制度を貪欲に取り入れたことに疑いの余地はない。
中華帝国は、ドイツの投資によって建国された国と言っても言いすぎではないのだ。
こうした背景から、独中両国は、建国以来の深い関係にあり、それが巡り巡って一世紀を経た現在、「世界の工場」とまで称えられる実力を持った中華帝国と「ヨーロッパ経済の牽引役」となったドイツの経済的な取引はドイツ経済のかなりの割合を占め、対日取引額なんてその前では紙くず同然だ。
……。
そう言えば、ドイツがもの凄く“良い国”らしく聞こえるだろう。
何が問題なのだ?
いいじゃないか。
そう。
普通なら良いのだ。
しかし、これだけは知って欲しい。
中華帝国に進出した企業の中で、最初から今まで、最大の分野はどこでもない。
軍事の分野だ。
19世紀末、西王朝に反発する旧王朝の残党や、大陸での利権を狙う欧米列強、独立を狙う少数民族に国内の派閥など、西王朝は四方八方に敵と火種を抱えていたから、兵器の在庫はいくらあっても足りなかった。
ドイツはそこに商売の勝機を見いだし、中華帝国政府に近付いた。
全ての投資は兵器を売り込むため。
そんな現実的な、そして残酷な思惑がドイツにはあった。
独中の関係は死の商人とその買い手から始まったことなのだ。
政府高官には常に賄賂か送られたこともあり政府はドイツの制度や法典、そして人さえも国政の場でおおっぴらに用いるようになる。
ドイツの製品と人を使えば使うほど政府高官の懐には金が手に入るのだから当然だろうが、その結果、自分の国がモーゼルを初めとしたドイツ製兵器を軍標準規格にしたり、その軍事顧問団による指揮・統率さえ受け入れざるを得なくなったとしても、そんなことは彼の国の政府高官には関係のないことなのだ。
そして―――
ドイツ製品とその指揮が末端にまで行き届くようになると、それまで中国人を「黄色い猿」と蔑視していた事情が一変する。
ドイツ流の訓練を受け、ドイツ製の兵器で武装し、ドイツ軍将校が指揮する中華帝国軍は、各地の戦線で各国の軍隊を圧倒した。
この中核に位置して、国際列強各国の軍隊相手に中華帝国軍の総軍司令官として名を馳せたのが、ドイツ陸軍参謀総長にして、当時世界最高の軍司令官とさえ称えられたハンス・フォン・ゼークト。
ドイツから彼と共に中国に訪れたドイツ系軍人は、一説には本国の現役よりも質の面で高いとさえいわれている。
中華帝国軍将兵は、「白人の面汚し」「欧州の裏切り者」と罵られるゼークト以下、ドイツ人指揮官や教官等によって徹底的に鍛えられ、短期間で世界でもトップクラスの精鋭へと成長してのけたあげく、祖国防衛の大義名分と高い志気をもって各国が刮目する程の善戦ぶりを見せた。
多くの国が「余裕で勝てる戦い」と見なしていた戦いに破れ、大損害を被った。
損害のひどさから、中華帝国から国レベルで撤退を余儀なくされた国は五本の指では足りない。
当然、ドイツの中華帝国への過度の介入は列強各国から凄まじい批判を浴びたが、当のドイツは意にも介さなかった。
ドイツは、それだけの利権を既に中華帝国国内に有していたのだ。
すでに中華帝国領内で産出されるタングステンやアンチモンなど、ヨーロッパでは入手困難な貴重な地下資源の鉱山はドイツ系資本によって運営されていた。
しかも、それらは中華帝国の国内法により、ドイツが出資した帝国資源公司を経なければ採掘も輸出も出来ない。
優先して鉱物を利用できる地位に据えられたのは、クルップなどのドイツ系企業か、彼等が関与する国営企業とされている。
諸外国はいわばドイツの残飯を食べるようなものだ。
ドイツからすれば、こんな甘い蜜を他人にとやかく言われた程度で手放すことが出来ようはずもない。
とはいえ―――それにも限度がある。
1920年代には中華帝国軍が欧米各国の経済活動にあからさまに介入するようになる。
中華帝国の増長ととられたその活動の後ろにドイツがいるという図式が国際社会における対独強硬手段容認へとつながったことから、ドイツはやっと国際世論への対策を講じることになった。
とはいえ、実際にやってのけたことはごくわずかな譲歩でしかない。
むしろ、国際世論で単純にして最も効果的なの手段だけをとって後は知らん顔をしてのけた。
それは、国際社会という相手に他に憎むべき敵を与えてやること。
そのために用意されたのが、当時、経済発展著しく、いずれは中華帝国のライバルとなることが確実という目立つ存在。
大日本帝国。
1920年代まで、主にアメリカ連邦系企業の下請けから始まった日本の工業は、この国の独自の工夫と努力によって高品質と低価格の製品を山のように生み出し、信頼性の高さで世界中で評価されるようになっていた。
日本製品を英米のブランドで販売することは日本の企業の名を売ることにはならなかったが、「メイド・イン・ジャパン」の国家的ブランドは確実に世界に浸透、その製品を欲する各国からは日本に莫大な投資が舞い込んだ。
それが日本の国力向上へと繋がったのだ。
メイド・イン・ジャパンの主要イメージも、最初の頃は絹や真珠でしかなかったものが、1930年代を前に、ラジオや船舶、さらに自動車にまで広がりを持つようになる。
ただし、日本で二輪、四輪共にエンジンで動く「車」が完全に国内で量産出来る体制は、英国のジャガー社のサイドカーや米国フォード社、ハーレー社のトラックやバイクの日本国内工場に限定されていた。
つまりは、この頃の日本の世界的な位置づけは「英米系企業の下請け工場」という、世界的には一段も二段も格下の扱いでしかないのだ。
ただ、この時代はそれがむしろ日本にとって幸いした。
急激な経済発展を遂げつつも、欧米列強から目の敵にされるリスクを避ける隠れ蓑になったからだ。
英米系企業は彼等の予想を超えた高品質を誇る日本製の製品を自社ブランドに競うように組み込み、莫大な利益を上げ、その見返りに、彼等からさらなる投資と最先端の技術、そして販売網の拡大を日本が受けるという、いわゆる「黄金の三角関係」の中でしか、この時代の日本は発展の道はなかった。
それが守られることは、日本にとって悪い話ではないのだ。
ドイツと中華帝国同様に、英米日三カ国で結ばれた経済的Win-Win関係はかなり堅固であり、日本で生み出される製品の販路は英米の販社によって瞬く間に世界中に広まった。
その発展に押しつぶされそうになった存在は当然、いる。
それが欧州の工業国家、ドイツだったのだから笑うに笑えない。
彼等が日本を脅威と認識したのは当然だ。
日本は早期に潰すべき。
ドイツ国内でさえそんな動きが沸き上がるが、中国国内でその中心にいたのが、親中派の中核であり、中華帝国軍元帥、中華帝国軍三軍総司令官の地位にまで祭り上げられたゼークト本人だった。
彼は、そこまで自分を買ってくれた中華帝国のため、ある方策を皇帝に進言した。
「日本一国だけを敵とし、他の国とは親善政策を取ること」
「国民と世界に対して、日本への敵がい心を養うこと」
日本を憎むことで、中華帝国は世界の中心国家として認められだろう。
ゼークトとしては美辞麗句のつもりだったのだろうが、これを真に受けてしまった皇帝は、それまで彼にとって「どうでもいい小国」でしかなかった日本という国への蔑視を国民へ命じた。
日本なんてはどうでもいい。
必要なのは、中華帝国が世界の中心国家になること。
秘密警察組織にして思想統制組織である藍衣社を創設するなど、中華帝国の動きはゼークトの思惑通りになった。
この流れに従って、彼の腹心であるフォン・ノイマルの指揮下、藍衣社は国内外で苛烈な対日敵視政策を始めた。
特に力が入れられたのは、世界中の、それも日本が地球上のどこにある国かも知らないような人々への「日本=悪」のプロパガンタの刷り込みだった。
対象は中国人だけではない。
地道に、しかし、確実にプロパガンタは世界中の人々の脳裏を汚染していった。
この蔑視政策に、ただでさえ物事の対処が遅い日本政府がやっと危機を抱いた頃には、言うまでもなくはっきり手遅れだった。
地道に。
粘り強く。
そうやって説得していけば必ず―――。
現実は青春映画ではない。
一度沸き上がった敵視・軽視・蔑視といった負の感情がそう簡単に消えるものではないことを、日本人はどうして理解出来ないのだろうか不思議でしかない。
その素地にあったのが、その頃まで日本政府が対処に散々苦労させられた事件―――「ジャップ・ビートル」事件が決定打であることを、彼等はどうして理解しようとさえしなかったのだろう。
ジャップ・ビートル。
日本原産のマメコガネの一種だ。
この小さな虫が球根に紛れて日本から海外に渡ると、天敵のいない新たな環境で爆発的に繁殖した。
世界中で農作物が壊滅的な被害を被り、その憎しみの矛先は日本に向けられた。
当の日本人にとっては想定外の出来事なのだが、その被害の深刻さはそんな言い訳を許さないものだった。
被害を受けた国からすれば、それこそ「よくもこんなものを輸出しやがったな!」と殴り殺したくなるのも当然な被害が発生したのは揺るぎようのない事実なのだから。
特にアメリカの被害は西部、つまりはアメリカ連合で深刻だった。
元から綿花などに頼る農業国家であるこの国にとって農業被害とは国家の基幹を揺るがす事態に直結する。
では、どの程度?
北米大陸ご自慢の広大な穀倉地帯が、たかが虫一匹のために壊滅したといえば信じるだろうか?
信じない?
残念だが、本当のことだ。
これに追い打ちをかけたのが、1925年から1928年の間に観測された地球規模での気象異常だった。
マメコガネと異常気象の相乗効果は洒落抜きで深刻で、この時期の大豆や小麦、綿花といった農産物の不作記録は、この後数世紀にわたり、人類史上最悪の記録として歴史に刻まれ続けることになる。
被害が最も深刻だったのはアメリカ連合なのだが、ヨーロッパ大陸に限定した場合では、実はドイツだったのはどういう皮肉だろうか。
ドイツでは農業自給率が30%を割り込み、餓死者と自殺者が続出、伝統的な農家の半数が自力での経営が不能な状況に追い込まれ、ある日、ついにドイツ政府は国民にパンを保証出来なくなった。
暴動と略奪が全土で荒れ狂い、収集策として、マメコガネの被害が比較的軽微だったフランスに経済的、あるいは食料の支援を求めるという屈辱をドイツ人に味わわせてしまった。
何しろ、この期間の穀物価格は850%にまで暴騰、世界各国で餓死者や自殺者、あるいは企業や投投資家の破産した例は引きも切らず、暴動や略奪は当然、世界中の軍隊や警察が自国民相手に戦うという悲劇が繰り返されたのが1920年代の後半という時代だ。
そして1929年には一連の騒ぎの総決算となる世界大恐慌を引き起こす。
わかると思うが、このように少なくとも1930年頃の欧米、特にドイツには、日本人差別が公然と受け入れられる素地があったのだ。
そこにつけ込んだのが中国人だった。
憎らしい虫=日本人。
中国人によって行われたこの蔑視宣伝は驚く程のスピード、あるいは誰に求められない勢いで世界中に広まった。
欧米各地で日本人や日本人と間違えられた中韓人が虐殺される事件が頻発、日本製品は在庫と返品の山と化し、1930年代初頭には英米の大半の企業が日本系企業との契約を破棄した。
噂の根源が中華帝国政府とドイツ政府にあると、日本政府が気づくことは出来た。
その結果、明治政府発足以来初となるドイツ南方領への武力侵攻を実施させた(この侵攻が中華帝国の態度軟化を引き出すことになる)
ただ、南方諸島を失ってドイツに何か変化があったか?となれば何もない。
何しろ、とって採算が合わない「どうでもいい」領土だから、ドイツ人は痛痒も感じないことに日本人は気づかなかったからだ。
このことに、ドイツの態度に変化が現れることを期待した日本側は心底落胆することになるが、その少なくとも責任はゼークトに降りかかってしまった。
日本が武力侵攻に成功した理由の一つは、ドイツ側に抵抗の意思がなかったから。
それもすべて、戦って守る価値のない土地というゼークトの南方諸島に対する理解のなさがあったのだが……。
国からすれば領土は領土だ。
いくら国が混乱していたとはいえ、領土をみすみす他国に明け渡した罪は重い。
やっとのことで国内事情が安定した所だ。
こんなところで余計な国民の反感を買うのは得策ではない。
だから、ドイツ政府は所謂「南方領土失陥問題」での責任を押しつけるスケープ・ゴートを模索することになった。
その適任として白羽の矢が立ったのが、それまで「極東方面政策の最高権力者」として好き放題やらせていたゼークト本人だった。
ドイツ政府から本国召還月うちされたゼークトは、すぐに全ての役職を罷免されると共に、階級も地位も、爵位まで剥奪された。
これに反発したゼークトは、あろうことか中華帝国への亡命を決意、北京のドイツ軍司令部から逃亡、衛門の監視兵をはじめ、道路上の数十人の中国人をひき殺したあげく、近くの中華帝国政府施設を目指してリムジンを走らせた。
だが、そのあがきは無駄に終わった。
最も近い中華帝国政府系施設の目と鼻の先の商店に突っ込んだリムジンの中で発見された彼は、頭を撃ち抜かれて死んでいたのだから。
一応、ゼークトの死因は、「逃亡不能と悟った絶望からの拳銃自殺」というのが定説だ。
日中関係を破綻に追い込み、祖国の利益を導き続けた男の最後がそれで正しいかどうか?
それは誰にも、永遠にわかることはない。
検死の類はすべてドイツ政府によって止められ、本人の死体は「防疫の諸問題」によりその日のうちに火葬処理されると、「本人の意思」として遺骨は海へ捨てられたからだ。
彼の死をきっかけに、それまでの顕著なまでのドイツ政府による中華帝国政府への干渉はなりを潜める。そして、用済みとなったドイツ系幹部の粛正が中華帝国政府内部で静かに、しかし急激に始まった。
中華帝国を育て上げたゼークトの派閥は赤色戦争を待つまでもなく歴史から姿を消した。
その関係者の多くが、未だにどこに眠るのかさえわからない有様だというのは、さすがに哀れだと思う。
「世界戦争」とさえ言われた赤色戦争を経た後、数十年は希薄だったドイツと中国の関係は、皮肉な事態によりむしろより濃くなる道を歩む。
きっかけは、南米とアフリカで発生した妖魔との戦いだ。
欧州において全ての物資が不足する中、ドイツはその解消を中国との関係に求め、そして難局を乗り切った。
世界各国が日本を含むアジア各国からの経済的、軍事的支援を求めたように、ドイツも物資の補給を中華帝国に依頼した。
中華帝国も、工業力を総動員したとさえ言われる武器、食料生産の産物に傾倒した。
作れば作る先から売れるのだからこんな旨い商売はない。
ドイツが兵器不足に悩む欧州各国軍の中で群を抜いた兵力を確保することが出来たのも、中華帝国あってのこと。
ただ、その代償は計り知れない。
ドイツはこの結果、ドイツ経済の中華帝国依存率はヨーロッパで最悪になった。
「中華帝国中毒患者」とまで指摘される頃には、ドイツ政府は「世界で最も大切なパートナー」は中国人と持ち上げる反面、肝心のドイツ国民は中国人を苦々しく見るようになる。
気づいた頃には、ドイツは他の欧州各国同様、低価格の中華帝国製品に圧倒され、企業は次々と倒産を余儀なくされていた。
ここに莫大な帰還兵の再就職問題が重なることでドイツの長い苦難の時代が始まるのだ。
衰退するドイツ人の企業に代わり、我が物顔でドイツ市場を荒らし回ったのが中華系企業であり、その数は(現地法人から不法移民の個人的事業まで含めて)一説には万に達する。
戦後10年近い今日、ドイツ経済は今、国内産業の凡そ半分以上が中華系企業に支配されているというのが通説だ。
保守的なドイツ人から「ゴキブリ」と忌み嫌われる中華系移民(不法含む)による侵略はそれだけではない。
彼等による町や村の乗っ取りも公然と行われた。
“チャイナ・タウン”と化した町や村はドイツ国内ではすでに珍しくもない。
中華製品と資本に押されて各地の産業は壊滅寸前。
長年にわたってドイツの産業を支え続けた、歴史的建造物を含むいくつもの製鉄施設がスクラップとして中国へ運ばれ、国から消えた。
ドイツの主力産業である精密機械の製造などに関わるノウハウは片端から中華帝国に流出するものだから、中華市場でもドイツ製品の優位は日を追う事に低くなっていく有様だ。
それでもドイツ人の大半が公然と文句を言わないのは、その経済取引の額故。
ドイツ系企業の主力工場は次々と国外へ流出しても、それでも貿易の取引だけは中華帝国がトップという皮肉な関係はぬぐい去れない。
だからこそ、ドイツ人は中国人との関係を断ち切れない。
機嫌を損ねれば貿易を止められ、国内は失業者で溢れかえる。
麻薬と中毒患者のような関係だ。
そんなことは誰だって御免被る。
だから、黙るしかない。
例え、それが世界を敵に回す国だろうと……。
現実世界で第二次大戦で世界を敵に回したドイツ同様に今、世界を敵に回すことも厭わない中国。
世界で孤立することが大好きな二国は、同病相憐れんでいるんだろうか?
……そんなことはどうでもいい。
歴史的にも。
経済的にも。
その他、様々な意味で関係が深いドイツ。
何をしても文句言わないドイツ。
そんなな認識が中国人にあったとして、ここまで読めば誰が悪いかはわかるだろう。
中華帝国が近隣諸国との国境線を越えたという報せを受けても、ドイツ人だけは驚きもしなかった。
これはヨーロッパで未だに語られる都市伝説の類だが、ドイツ人の多くは思っていた。
ドイツと中国は密接な関係だから、ドイツはあの国に保護されるはずだ。だから、世界がどうなろうと、ドイツだけは関係ない。
この期に及んで、ドイツ人は中国人が「善のパートナー」と信じたのだ。
ところが―――だ。
中華帝国は開戦と同時に国家総動員法を発令し、外資系企業を国家によって接収することを発表したことで、ドイツ人の多くは初めて中国人の本質を知ることになる。
中華帝国が接収を発表した在中系企業の大半が、これまで常に中華帝国を支えてきたドイツ系企業だったからだ。
現地の工場はすべて接収され、資本も国庫に吸収される?
冗談じゃない!
ドイツ政府は中華帝国政府に接収の取り消しを求めた。
ところが、この申し出はけんもほろろに断られた。
国内総動員法は事前に国民と世界各国に通達した内容である。
また、世界各国の企業が接収という形で我が国に協力してくれているのに、何故、ドイツだけが例外を求めるのか。
歴史的に密接な関係というのなら、この際も協力を惜しむべきではないだろう。
それが中華帝国政府の返答だ。
この返答一つでドイツは、長年にわたる対中投資と、数万社の在中企業の全資産を完全に喪失した。
被害額はドイツの国家予算程度で補える代物ではない。
ドイツ国内では、外国為替や株式市場が国家命令によって閉鎖され、銀行が操業を停止、各地で混乱が混乱を生み出し、暴動が各地で多発した。
一方、在独中華系企業はこの混乱の中にかなりの数が夜逃げ同然に独国内から逃亡した。
これら中華系企業の従業員は約百万人と推定されるが、彼等の大半が一晩にして給料と職を失ったのだ。
天文学的な国家資産の喪失。
失業者約百万人。
倒産する、もしくは倒産が予想される企業は数万社。
これで当時のドイツ首相のクビがすっ飛ばなければウソだ。
ところが、この辞任を巡って政治闘争が勃発。ドイツの議会は目の前の大火を無視して泥仕合を繰り広げる、政府はそれに引きずり回される有様。
フランスやイギリスが「ざまぁみろ!」とほくそ笑んでもドイツ人は皮肉の一つも言い返せない。
傷口は広がる一方だ。
ドイツでは対中輸出に依存していた大企業を中心に、1929年の世界恐慌の時でさえ発生しなかった、国家どころか世界有数の規模となる超大型倒産が続発した。
欧州最大手となる投資会社最大手のBBAグループの総帥が本社ビルから飛び降りたのを始め、経済界では自殺者が相次いだ。
職と生活の安全を求める人々が引き起こした大暴動が全土を炎に包み、警察どころか軍隊が暴動の鎮圧に動員されたことも数度に及んだ。
中華系企業はこれらの人々から片端から破壊され、或いは略奪の対象とされた。
ドイツ国内は、黄色人種にとって地獄と化した。
ドイツの市民権は彼等の安全を保証しない。
そう叫ぶ保守系に失業者や賃金の未払い問題を抱える帰還兵が加わって広まった中国人に対する報復は苛烈を極めた。
肌の色だけで、彼等は公然と行われるリンチによって「処刑」された無関係な人々の数は推定で1万人を超えるとされる。
この政情不安解決に必要な人物として皇帝によって政権の座を与えられたのは、この時点では病気静養中だったシックルグルーバー、アフリカでの戦争を指揮し、ドイツに反映をもたらせた立役者だった。
長年の激務を理由とする体調不良のため数十年にわたる異例の長期政権を終えてまだ半年も過ぎていない状況でのこの混乱は、アフリカでの戦争を乗り切ってドイツを世界に冠たる大帝国へと押し上げた彼でなければ誰もまとめることも出来ないと、皇帝だけでなく国民の多くも考えた結果だ。
混乱する国家をまとめるのは、顔の見えない議会議員などではなく、一人の英雄こそが相応しい。
実際、彼が皇帝による超法規的措置によって政権の座に引きずり戻された時、彼の批判的なメディアの行った世論調査でさえ支持率は80%を超えた。
その彼の元、ドイツ国民は中華帝国との戦争への道を選択した。
あの裏切り者、中華帝国をたたきのめせ!
あの国は誰のために存在していたかを漢民族の遺伝子に永遠に刻みつけるために!
ドイツ国民よ!
再び、嵐を起こせ!
シックルグルーバーの就任演説は万雷の拍手と歓声をもって受け入れられた。
戦争反対なんて極左系政党ですら恐ろしくて口に出せない空気が独国内全土を覆い尽くしていた。
その矛先には、100年の親密の裏返しの関係となった中国人がいた。




