姫のために死ぬ身なれば 第八話
戦況モニター上の敵性反応で最も近いのは、城壁に取り付いたチャカ。
「……」
「ティアリュート様?」
共に狙撃砲を構えながら、発砲しようとしないティアリュートに、怪訝そうな顔をしたユースティアが訊ねた。
「どうなさいましたか?」
ユースティアには、ティアリュートが発砲しない理由がわからない。
城壁は狙撃砲の出力で十分貫通が狙える厚さしかない。
それに、チャカの装甲では壁をぶち抜いて減殺された攻撃でも十分擱座が狙えるというのに、何故、ティアリュートはここで攻撃しないのだ?
「……ユースティア」
「はい?」
「なんで連中」
「?」
「……城壁に隠れているの?」
「えっ?」
「城壁を超えてこない理由は何?」
「そ、それは」
「それに、後続の部隊の反応がない。堀を超えたのがチャカだけ?占領のための歩兵はどうしたの?」
「……えっと」
ユースティアは、ティアリュートが言いたいことがようやく理解出来かけてきた。
敵の狙いは何?
城の占領のはず。
それを目指すなら、歩兵は不可欠だ。
メースだけで占領なんて出来ることではない。
なら―――
メースだけが前進している理由は?
目的はもしかしたら、城の完全破壊?
なら、それ相応の装備をしているだろうけど、城壁に隠れている理由はない。
ティアリュートではないが、敵の意図が読めない。
「……」
ユースティアは、そっと戦況モニターに目をやった。
城周辺で最も突出した敵性反応は、狙いかけたチャカの部隊。
その後ろに小隊規模のチャカの反応はあるにしても、動いていない。
そして、何よりわからないのは、友軍の本隊の反応がまるでないこと。
これは―――?
「……まさか」
ユースティアは、一瞬だけ脳裏に浮かんだ答えを否定した。
あり得ない。
“そんなこと”が出来るのは、魔界正規軍の中でも―――
「……“私達”でもなければ」
そう。
“あれ”をやってのけるのに必要な装備は、小国に過ぎないオンディーヌ家が持っていいシロモノじゃない。
「……ありえない」
でも。
ユースティアは脳裏にどうしてもひっかかる。
これしかない。
そう思う。
だから、ティアリュートに訊ねるしかなかった。
「ティアリュート様?」
「何?」
「敵が戦域情報支配を仕掛けている可能性は?」
「……」
ハッ。
その音が、通信装置越しにユースティアの耳にもはっきりと聞こえた。
「まさか」
「でも」
ユースティアは勢いづいて言った。
「オルタヴィア戦線で所属していた第999特務師団が使用した時と状況がそっくりです。あの時は、仕掛けた側ですけど」
「999?9ナンバーってことは親衛軍?あんた、スペシャルエリートだったんだね」
「……過去の話です」
「謙遜しなくていいわ。親衛軍、しかも“死神師団”は簡単に入れる部隊じゃない」
「“死の宣告”大隊に所属されていたティアリュート様程の活躍をしていたワケではありません」
ユースティアは、ほんのりと頬を赤く染め上げた。
「とにかく―――どうですか?」
「……敵が動かないなら、こちらが動く方がいいわ」
ティアリュート騎が狙撃砲から手を離した。
「本丸へ行く……もし、あなたの意見が正しければ、もう」
「もう?」
「もう……手遅れでしょうけどね」
手遅れ。
その意味がわかったのは、本丸近くに来てからだ。
二人の前に現れたのは、照明に照らし出される本丸。
戦闘中に投光器を使って味方が重要防衛拠点を照らし出すはずがない。
そして何より―――
「馬鹿なっ!」
ティアリュートが目を剥いたのも無理はない。
すでに本丸には10を超える揚陸艇が取り付き、兵士達を中へと送り込んでいた。
それだけで問題なのに、さらにティアリュートを驚かせたのは、揚陸艇を護衛するメースの種類だった。
漆黒の騎体から伸びる翼。
図太い巨体から伸びる尻尾。
本能的に戦うことを躊躇わせる何かを纏う凶暴な騎は、普通のメースの倍はある巨大サイズだ。
あんな巨大な騎体、実戦で見たことはない。
でも、何かで自分は見ている。
見ているはずなんだ。
ティアリュートの中で、混乱する記憶がかけずり回る。
「あ……あれは?あの騎は?」
思わず騎体を止めたティアリュートの横で、
「ティアリュート様!」
ユースティアが困惑した顔を見せる。
「あ、あれは!?あんなの、いるんですか!?」
「見たことない?」
「ないです」
「そう。親衛軍にいたあんたも……って、思い出した!」
ティアリュートは、顔をしかめながら、呻くように言った。
「あれは……」
そう。
やっと思い出した。
クローネンベルクと一緒に入った喫茶店で偶然目にした雑誌の記事になっていた騎だ。
「……イスラフェル」
「イスラフェル?」
「次期魔帝親衛軍次期主力騎―――でも、まだ配備されていないはず」
「まさか!帝室が!?」
「馬鹿な!」
ティアリュートは声を荒げた。
「帝室がヴァルホイザー家を潰す理由がない。それに潰すならオンディーヌ家のはずよ」
「で、ですけど―――司令部からです!」
ユースティアが鋭い声をあげた。
「今、司令部が降伏!」
否。
それは悲鳴というべき声だった。
「残存兵力は、武装解除の後、投降しろと……」
明け方。
正規軍の停戦監視部隊が城に入った。
ティアリュート達は城内の倉庫に押し込められていて知らなかったが、停戦監視部隊が彼女たちを外に出した時、イスラフェルの姿はなかった。
「どういうこと?」
クローネンベルクとティアリュート達が再会出来たのは、その日の昼頃のことだった。
「どうやったら、城がこうも簡単に落ちるのよ!城って、こうも簡単に落ちていいものじないでしょう!?」
クローネンベルクは顔を真っ赤にしてティアリュートに掴みかかってきた。
「築城以来、数千年に渡って落ちたことのないこの城が、たった数時間の交戦で落ちたなんて、ありえないっ!あってはならないっ!」
「悔しいのはわかるけどさ―――それより、姫は」
「事が起きる前に奥方様達と共に城外に脱出されていた。正規軍の保護を受けている。ご無事よ」
「正規軍が護っているってことは、帝室の保護が受けられる―――か」
ほうっ。と、ティアリュートの口から安堵のため息が漏れた。
「不幸中でも、至福はあるものね」
「何、ワケわかんないこと言ってるのよ!」
「―――落ち着きなさいよ」
ティアリュートは、鬱陶しいという顔で、伸ばされたクローネンベルクの腕を掴んだ。
「傭兵よ」
「傭兵?」
「そう。多分、業界最高峰の連中を頼んだわね―――馬鹿なヤツ等」
「まさか!」
びっくりした声を挙げたのはユースティアだったが、
「監禁されている間、ずっと考えていたんだけど」
ティアリュートは真顔で答えた。
「正規軍に配備される前のイスラフェルを前線に投入出来るだけの機材。この城を落とすにしても、入念な事前準備は必要だったはず。そして、いざとなれば、神速の動きで事を為し、正規軍が来る前に痕跡も残さずに撤収出来る程の人材。この二つを確保。維持出来るだけの資金力」
ティアリュートは、クローネンベルクの前に指を三本立てて見せた。
「こんなことが出来るのは、業界でも多くない―――ううん?業界でも、“辺境では正規軍扱い”される特権まで持っている程の奴らなんて、一つだけ」
「ど、どこよ」
「天原商会」
「あの複合軍産企業体の!?」
「そう。上は戦艦から下はナプキンまで何でも扱う、魔界最大の死の商人集団。オンディーヌ家は、奴らを雇ったに決まっている」
「……根拠は?」
「メースの肩に書かれていたマーキング。黒地に黄色の斜線が入っていた。あれは天原商会独特のマーキングよ。昔、連中と共同戦線張った時に見た覚えがある」
「……厄介なのが、敵になったってワケね」
クローネンベルクは、うなだれながら言った。
「もう……終わり?」
「まさか」
ティアリュートは苦笑いを浮かべながら言った。
「バカよね。天原はオンディーヌ家あたりなんて相手になる程、甘い組織じゃない」
「えっ?」
「―――高いのよ」
「高い?」
「あいつら、全てに置いて質が高い。それはつまり、営業力もあるってこと。詐欺師同然の営業の口車に、まんまと乗せられたらどうなると思う?」
「……」
想像が出来ないクローネンベルクは、きょとん。としたまま首を横に振った。
「事が済んだ後で、西シュロスベルク公国の国家予算並の、莫大な報酬を要求された挙げ句、容赦ない取り立てが待っている。オンディーヌ家の当主、身ぐるみ引っぺがされるわよ?」
「で、でも」
「天原商会と五分の取引したかったら、辺境のこんな小さい都市国家じゃだめ。同じ公国でも、ウェール公国位の規模にならなければ」
ウェール公国は、オンディーヌ家の治める西シュロスベルク公国の約20倍以上の経済力を持つ、魔界の経済界においては、中堅上位に属する国だ。
経済力が20倍も違ったら、普通なら勝負にならない。
「―――天原商会からの取り立てに耐えられるものじゃない」
「……」
「名前だけでコンタクトとったか、それとも誰かにそそのかされたか」
空を、正規軍の観測艇が飛び去るのを眩しそうに眺めながら、ティアリュートは言った。
「……天原商会の狙いは、西シュロスベルク公国の地下資源ね。最近、オリハルコンの有望鉱脈が見つかったばかりだし。借金のカタに採掘権を分捕るつもりね。相変わらず、スゴイことする」
「オンディーヌ家の動きは止まるというの?」
「停戦監視部隊とはいえ、正規軍のメンツ潰した以上、経済制裁程度は覚悟すべきでしょう?そうなれば、産業交易国家の西シュロスベルク公国の経済は持たない。下手すれば、反乱が起きてオンディーヌ家が潰されるわ」
「経済……か」
「その辺、上手く立ち回れば、この国にも希望の光があるでしょうね」
「……やって見せるわ」
「期待しているわ―――最後は、残念なことになったけど、結構、楽しかったわ」
「えっ?」
「だって」
ティアリュートは、寂しそうに笑った。
「姫様とはもう会えないでしょう?それなら、家庭教師の仕事は成立しない。私の仕事はこれでお終い」
「……あっ」
「生まれて初めて、ずっとやっていたい仕事に出会えた。そのことは感謝しているわ。クローネンベルク」
「……あのね?」
クローネンベルクは言った。
「何か、勘違いしていない?」
「そう?」
「そうよ!あなた、あれだけ姫様に愛情注いでいた割に、姫様のこと、何もわかっていないじゃない!」
「えっ?」
ティアリュートは驚いた顔で反論した。
「そ、そんなことないっ!姫様が何時何分に起床されて、何食べて、いつトイレに行って、どんな本読んだか、しっかり記録している」
「ほとんどストーカーじゃない」
「ほとんどじゃなくて、ストーカーそのものじゃないですか?」
「そうとも言うわね。ユースティア。
とにかく、姫様はヴァルホイザー家の後継者として、これから茨の道を歩まれるの!
領地を失い、城を落とされ、挙げ句が城に住むことも出来ず、正規軍に保護されているなんて、貴族のメンツからしても許されることじゃない!
社交界で笑い者にされても耐えるしかない!
姫様は、そんな中を生きていかなければならない!
それがあなたにはわかっていない!」
「っ!」
「……外向的な努力はする。だけど、世論の耳目をいい意味で集める必要がある」
「えっ?」
唐突な物言いの意味がわからず、ティアリュートはきょとん。とするしかなかった。
「ヴァルホイザー家を、どこかで売り込むこと―――世論の賞賛を受ける場所と方法でね」
「産業の振興でもやるの?」
「ここまで領地が荒れた以上、それをやってのける力はない。領地復興は、長い目で見なくちゃいけないことだから―――そうじゃなくて、もっと短期的な、そしてあなたが出来ることを考えなくちゃ」
クローネンベルクの目が、両手と両膝をついた、魔界では降伏を意味する状態で駐騎したバラライカに向けられた。
その視線に、ティアリュートは、彼女の言いたいことに察しをつけた。
「社交界で評価されるほど、家として武功を挙げろ―――そういうのね?」
「……友達を危険に曝すのは、気が引けるどころじゃないんだけどね」
「辺境紛争じゃ駄目……となれば」
ふうっ。
ティアリュートは息を吐いた。
「―――人間界に行って、義勇軍に参加。派手に暴れてこいと」
「あの2騎と装備は貸し出してもらえるように手配する。義勇軍に参加して、武功を元に復興するなんて没落貴族再生の典型例だけど―――それが一番、確実なのよ。」
「……バラライカを貸してもらえるなら、何とかして見せる」
ティアリュートは頷いた。
「姫様が幸せな世界にいてもらえるなら、私は血にまみれる事なんて構うもんですか」
「……御免」
「あんたが謝る必要はないわよ。クローネンベルク。騎体と装備、それから義勇軍参加の手配も一緒に頼める?」
「―――わかった」
「あ、あの」
おずおずとした声があがったのは、その時だった。
ユースティアだった。
「私も―――お供します」
「ユースティア?」
「一人より、二人の方が目立ちますし」
「死ぬわよ?」
「私の命は、ヴァルホイザー家の御当主様に拾われた命です。御家のために役立つなら、命を捧げることに躊躇いはありませんし、何より」
ユースティアが潤む瞳でティアリュートを見つめる。
「―――ティアリュート様のお側を離れたくありません」
「……だ、そうよ」
クローネンベルクが苦笑いしながら言った。
「よかったわね。お嫁さんも見つかったようだし」
「出来たら、嫁は姫様が……」
「同性でしょ?」
「こっちだって同じじゃない」
「つーかさ」
ぽん。
クローネンベルクが疲れ切った様子で、ティアリュートの両肩に手を置いた。
「お願いだから、もう少し、シリアスに行こうよ」
「……ごめん。で、何だっけ?」
「私も努力するから、死なない程度に人間界で暴れてこい。そう言いたかったのよ」
全ては姫のため。
姫を護るために
命を、姫に捧げるために
ティアリュートとユースティアが義勇軍に参加するために人間界へ向かう船に乗り込んだのは、それから1週間後のことだった。




