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姫のために死ぬ身なれば 第七話

「女子供の待避を急がせろっ!」

「避難経路はどうなっている!」

 非常事態を告げるサイレンが鳴り響き、メイドや執事達が持ち場に駆け出す中、ティアリュートは、メイド長達に何事かを指示していたクローネンベルクを見つけることが出来た。

「クローネンベルクっ!」

「ティアリュート。無事で残念だわ」

「お互いね―――このは一体、何の騒ぎ!?」

「城壁にメースが取り付いた。堀に張り巡らせた魔法障壁が頑張っているから、まだそう簡単には―――」

 ズズゥゥン……

「堀が破られたぞぉっ!」

 誰かの叫び声がしたのと、

 シュシュシュ―――

 ヤカンの中でお湯が沸騰するような音が聞こえだしたのは、ほぼ同時だった。

「な、何?」

 メイド達やクローネンベルクは、その音の意味がわからない。

 きょとん。として辺りを見回している。

「伏せてぇっ!」

 その場に居合わせたメイド達に覆い被さるようにして、一気に床に押し倒したのは、ティアリュートとユースティアだ。

「テ、ティア―――きゃぁっ!?」

 クローネンベルク達が床に倒れるか否か。その刹那に、突然襲いかかってきた衝撃波に吹き飛ばされた。



「外堀の魔法障壁が破壊されました!」

「内堀の魔法障壁発生装置に障害発生!」

 爆発の震動が、天井の漆喰と埃を司令部要員の頭上に容赦なく降り注ぐ。

「メース達が侵攻開始!数8、第一メース小隊が現場急行中!」

「何だと!?」

 当主が目を剥いた。

「障壁が破られたというのか!?」

「内部からの工作の可能性大―――衝撃無効化と同時に、敵、城の全域に弓兵攻撃開始。城全域で甚大な被害発生!」

「二の丸大破―――火災が発生しています!」

「三の丸応答しませんっ!」

「―――三の丸通信管制室に直撃!通信回線を予備に切り替えますが、各施設との通信が障害を起こしています!内部からの攪乱工作ですっ!」

「……ハウゼン」

「はっ」

 当主の斜め後ろに立っていた小太りの執事長が一歩前に出ると、当主の口元へ耳を近づけた。

 当主は、そのハウゼンの耳に小声で言った。

「無事に?」

「はい―――奥方とカティア姫、ショーン姫共に、2時間前に城外へ脱出」

「よし。北館の防御を固めろ。他はある程度、手薄になっても構わん」

「しかし」

「―――よい」

 炎上する城を苦々しく思いながら、当主はぽつりと言った。

「奴らの狙いは姫じゃ。その姫がこの城にいないことを気取られてはならん」

「……はっ」

「メースを出せ。ある程度の城の破壊は目をつむる。それと、正規軍に伝えろ。“目玉はついているのか?”とな」




「あ痛たたたっ……」

 あまりの痛みに、体中が悲鳴をあげる。

 クローネンベルクは、自分が床に寝かされているのに気付くことが出来たのは、その痛みのおかげだった。

「わ……私?」

 起きあがったクローネンベルクは、目を疑った。

 そこ、メイド達が毎日清掃に明け暮れる清浄な廊下だったはず。

 それが今では―――残骸の山だ。

 所々目に付く、真っ赤に染まっているのが何なのかは考えたくない。

「目が覚めたようね」

 ハッ。となって振り返ると、ティアリュート達が立っていた。

「今、水をもらってきたところ」

 ティアリュートは、コップをクローネンベルクの前に突き出しながら訊ねた。

「飲む?」

「……いただくわ」

 強く打ったのか、痛む肘に顔をしかめながらクローネンベルクは一息でコップの水を飲み干した。

 こんなに美味いものがこの世にあったのか。

 よく使われるたとえだが、水一杯が、世界最高の甘露にさえ思えた。

 喉を経て、胃に水がしみいってくるような感覚。

 それが、クローネンベルクに冷静さを取り戻させた。

「……何が起きたの?」

「弓兵の絨毯射撃よ」

 ティアリュートは、厳しい視線を外に向けたまま、手元ではクロスボウの準備を休めることはない。

「一発でも食らえば、建物が吹き飛ぶ。魔法障壁がない以上、シェルターに逃げるしかない。シェルターに避難して、弓兵からの攻撃を逃れて、敵の城内侵攻と同時に乱戦に持ち込むか―――障壁の復旧を急がせるか。どちらかね」

「応戦は?」

「バカ言わないで」

 ティアリュートは、フンッと鼻で笑った後、手にしたクロスボウを軽く振って見せた。

「こんなのメース相手にゃ豆鉄砲。無駄死にしろっての?」

「シェルターに案内するわ―――こっちよ!」

「それより姫様は!?」

「私達より安全な所にいる―――そう信じて」

「本丸へは行けないの?」

「バカおっしゃい!」

 シェルターに通じるドアを開いたクローネンベルクが怒鳴った。

「今、本丸へ近づけば、女子供でも殺されるわよ!?家庭教師だからって、理由になるもんですか!」

「……っ」



 どうにかならないのか?

 シェルターの中。

 薄くぼんやりとした灯りの下で、ティアリュートはそれだけを考えていた。

 心配しているのは、カティア姫のことだけ。

 本丸周辺の防御障壁は生きているらしい。

 本丸への直接的被害だけは避けられている。

 つまり、カティア姫は今の所は無事―――ということになる。

 ただし、今の所は。という条件は消えることがない。

 カティア姫を護りたい。

 せめて、カティア姫の安全を、この目で確認したい。

 床に座って膝を抱えてばかりいる自分が不甲斐なくて仕方ない。

 だが―――弓兵の絨毯射撃の前に。メースの前に、生身の自分に何が出来る?

 そう自問するだけで、答えが知れてしまう。


 否。

 こうしているしかない。


「……ティアリュート様」

 ユースティアが、心配そうにティアリュートを見つめている。

 ティアリュートは、ユースティアに何と答えてよいかもわからず、ただ薄く笑みを浮かべるのが精一杯だった。


「武器が来たぞっ!」

 シェルター同士をつなぐ地下通路のドアが開き、執事の乱暴な声がシェルター一杯に響き渡った。

「総員、白兵戦用意っ!武器をとれっ!」

 執事達がハルバードやシールドを手にとり、メイド達はおっかなびっくりクロスボウを手にした。

 魔法の矢を放つことの出来るクロスボウは、同じ魔法の矢を放つ兵器である長弓とは兄弟関係にある武器だ。

 この城を襲っているのが、弓につがえた矢に魔力をチャージして発射する長弓。

 破壊力は、発射時の魔力のチャージによって異なり、構えてすぐに打てば単なる矢程度だが、じっくり魔力を貯めてから発射すれば、戦艦を撃沈する対艦ミサイルに匹敵する破壊力を得ることが出来る。

 対するクロスボウは、発射装置に魔力そのものを発生させて、連続して打ち出すことのみを目的に造られた、サブマシンガンのようなもので、対人、対装甲車両用に通用する程度の破壊力―――5.56ミリのNATO弾から12.7ミリ弾程度と、破壊力の面では長弓の半分にも及ばない。

 反面、ある程度の技量を求められる長弓と違い、素人でもトリガーを引けば扱うことの出来るクロスボウは、魔界では一般的な兵器だ。

「ユースティア」

「はい?」

「訓練は受けているの?」

「メイドとしてお城にあがったら、すぐに基礎訓練は受けます」

「基礎―――だけ?」

「軍隊ではありませんから。でも、配られているタイプは、最も操作が簡単で、射手の利き手を選びません。事故はないと思いますが」

「……まぁ、そうね」

 ティアリュートも、メイド達が持つクロスボウには覚えがあった。

「素人でも1時間のレクチャーで玄人ハダシで扱えますってコマーシャル、見た覚えがある」

「当然です」

 ユースティアは答えた。

「あれ、この国の兵器工廠で造られているんですから」

「一丁買えば、今ならオマケで銃剣まで」

 ティアリュートは、部屋に引きこもっていた時に聞いたコマーシャルの一節を口にした。

「それでお値段」

 ユースティアは、その続きを言いかけて噴き出した。

「―――実戦で使えるかは、使い手次第です」

「……そうね」

 そう。

 どんな優秀な武器を持っていようと、使い手が使いこなせなければ、旧式の武器にだって勝てはしない。

 それは、軍隊経験者なら嫌でもわかることだ。

「おいっ!」

「きゃぁっ!」

 ドアの方で騒ぎが起きたのは、その時だ。

「しっかりしろっ!」

「医者は!療法杖、誰か持っていないか!」

 ティアリュートとユースティアは、互いに顔を見合った後、床を立った。

 床に寝かされていたのは、体格からどうやら男性だとわかる。

 顔が血まみれな上に、全身が火傷によってひどく腫れ上がっている。

 服はほとんど焼けこげ、肌と服の区別が付かない。

 苦しそうなうめき声をあげる、半焼けの肉の塊というしかない惨状に、メイド達の何人かは、近づくことも出来ずに顔を背けてしまう。

 メイドや執事達の中で医療の心得のある者が、必死の救命措置を講じているが、この有様では助かる見込みはほとんどないと、ティアリュートにもわかる。

「―――誰か!」

 重傷者の口元に耳をそばだてた執事が怒鳴った。

「メースを使える者はいないか!?メース使いが攻撃でかなりやられた!誰かメース使いを知らないか!?」

「どういうことです!?」

 ティアリュートが、その執事に近づいて訊ねた。

「何が起きたんですか?」

「近くにある第6ハンガーに直撃があったんだ。こいつはそこからの伝令だ。メース使いが不足。使える者はハンガーへ集合……と」

 重傷者の身体が、ゆっくりと光の泡へと変わっていく。

 ―――死んだのだ。

「……あんた」

 その死を確かめた若い執事が訊ねた。

「たしか、軍隊あがりだったな」

「えっ?」

「話には聞いているんだ。使えるんだろう?メース」

「……ええ」

 ティアリュートは、素直に頷いた。

「―――行ってやってくれ」

 執事は食い入るような目つきでティアリュートに言った。

「こいつが、命と引き替えにしてまで伝えたことだ。果たしてやってくれ」

「―――やめた方がいい」

 少し離れた所で黙って聞いていた老齢の執事が呟くように言った。

「ここのメース使いなんて、正規軍に徴兵されるのがイヤで、形ばっかり在籍しているような、金持ちのボンボンばっかりだ。高い騎体を与えられても、立たせているのがやっとな腕前だ。そんなこたぁ、お前だってわかってるんだろう?フィー」

「じいさんっ!」


 若い執事は顔を真っ赤にして立ち上がった。

 若い割には、立ち上がりと同時にバランスを失いかけ、力んで踏みとどまる動作が、ティアリュートには不思議と気になった。


「あんたは、こいつが何をしたのか見てなかったのか!?このままじゃ、こいつは無駄死にしたも同然だ!」

「だからといって、素人の中に組み込んでも、無駄死にする者が増えるだけだ。だいたい、お前だって、元はメース大隊にいたんだろう?」

「―――ああ」

 執事は悔しそうに自分の脚を睨んだ。

「石化病にさえならなければ、病気除隊なんかするものか。俺はあと少しで中尉まで行けたんだ」


 石化病

 魔界の風土病の一種で、傷口から細菌によって感染するケースが最も多い。

 感染したカ所の四肢が石のように動かなくなることからこの名前が付いた。

 一度感染すると、例え四肢を切断・再生施術を施しても、再生した同じ部位が石化を引き起こす謎の特性を持つため、回復の見込みはない。

 メース使いの場合、操縦者とメースの四肢の神経を同調させて動かすという、その操縦特性の関係から、罹患すると操縦が出来なくなる。


「メースが使えるなら、自分で行けばいいじゃないか。他人なんて頼るんじゃない」

 本人は真面目に諭しているつもりだろうが、この老執事が、石化病のことをまるで理解していないことは、その口振りからわかる。

「―――くっ!」

「結局、死ぬのが恐くて、自分が生きたくないだけだろう?こんな女を身代わりとはな」

「……待ってください」

 殴りかかろうとした若い執事の肩を掴んだティアリュートが言った。

「私、行きますから」

「―――死にたいのか?」

「少なくとも」

 ティアリュートは、若い執事の肩から手を離した。

「あなたと同じ穴蔵で死ぬよりマシ―――私の判断はそう告げています」

「―――ふん」

 老執事は言った。

「ワシとて、バアさん以外の女と同じ墓に入るつもりはない。覚悟は出来ているというのか?嬢ちゃん」

「カティア姫をお守りするためなら、何でもしますよ。ここで脅えていても、何にもならない」

 そうだ。

 答えてからティアリュートは自分の言葉を認めた。

 ここにいて、何が出来る?

 今、カティア姫のために出来ることが祈ること?

 祈ってカティア姫の無事が保証されるなら、死ぬまで祈ってやろう。


 だが、本当にそうか?


 祈りが通じて助かるなら、何故、この伝令は死んだ?

 答えは一つ―――祈るだけではダメだ。

 そういうことだ。


「城を守って、最低でもメースを撤退に追い込まなければ、姫達にまともな未来はない。違いますか?」

「……じゃな」

 パンパン。

 立ち上がるなり、乱暴に尻を払った老執事が睨み付けるようにティアリュートの顔を見た。

「この城が落ちれば、あの姫が、オンディーヌ家のバカ息子共の慰み者になる。ワシかとて、そんなことなら死んだ方がマシじゃ」

 ガシッ!

 ティアリュートの手が背後から老執事の首をワシづかみにした。

「ぬぉぉぉぉっっっ!?」

 片手で高々と持ち上げられた老執事は、脚をジタバタさせるが、ティアリュートはそんなことを全く意に介さない。

「慰み……者?」

「て、ティアリュート様っ!?」

 ユースティアが慌てて止めようとするが、ティアリュートは聞く耳を持たない。

「私の神聖なる姫様を―――その純潔を……汚すということ?」

「わ、ワシがやるのではないわ!」

「では誰が!?」

「人の話を聞いておったのか!オンディーヌ家のどら息子どもじゃ!ワシじゃないっ!」

「ああ」

 ぱっ。

 ティアリュートはすぐに手を離した。

「そんな粗末な上に萎びきったシロモノで何考えてやがる。まだ使えると思ってんのか。とか思いましたが、敵のことなんですね?」

「い、今、ワシの敵はアンタになったよ」

 尻から床に落ちた老執事は、尾てい骨に走った痛みに歯を食いしばるしかない。

「―――何か?」

「何でもないわい……とにかく」

 老執事は、よろよろと立ち上がった。

「いろいろ言ってくれた分は、仕事で返してもらおうか。古いルートを案内しよう。伝令の様子からすれば、ハンガーに通じるルートは、かなりやられているはず。行くだけで危険なはずじゃ」

「じいさん?」

 若い執事が首を傾げた。

「第6ハンガーは、ここからだったら外を行くか、46号線を通らないと」

「今の事じゃ」

 老執事は答えた。

「閉鎖された3号線は、今でも通路としては生きておる。ワシの現役時代には、城に侵入した者共と死闘を演じた思い出の道じゃよ」

「俺も行くぜ。じいさん」

「来るな。その脚ではこっちが迷惑する」

「―――ちっ」

「ランタンを貸してくれ―――案内してやるから、転ぶなよ?嬢ちゃん達」



 何年の月日が流れたらこうなるのか。

 煉瓦積みの通路がぼんやりとしたランタンの明かりに照らし出される。

 換気されていない空間特有のかびくさい空気がよどみ、息苦しい。

 煉瓦積みの通路なんて、過去の歴史的建造物として子供の頃に見学して以来、見た覚えさえない。

 まして、それが現役だなんて、信じられない。

「迷子になるなよ?」

 老執事は、歩みを止めることなく、右へ左へとぽっかりと暗い口を開く別な通路への入り口を通りすぎていく。

「一度、迷子になれば生きて帰ることが出来る保証はない」

「これって、何千年掘ったんですか?」

「かつての旧本丸の地下通路が原型じゃ。城内のあらゆるカ所に必要な物資を届けるために、別施設にまで通じる無数のトンネルを掘った。

 それがこれじゃ。

 まぁ、掘りすぎたおかげで城の基盤が崩壊しそうになった。

 危険だというので、今の本丸が建てられ、その旧本丸の施設を活かして造られたのが、今、ワシ等の住む施設となっておる―――ためになったか?」

「……成る程?」

 壁の煉瓦の上には蔦がからまったり、得体の知れない藻が繁殖したりと、正気なら絶対触りたくないこと請け合いの状況になっていた。

 ランタンの灯りに驚いて、鼠が目の前を横切った。

 ユースティアが口を押さえて悲鳴をかみ殺した。

「死体見ても平気なのに。鼠がダメなの?」

「これとゴキブリはメイドの敵です」

「……成る程?」

「ああ。本当にイマイマしい連中じゃわい。見るたびに殺意が沸いてくるわ」

「じいさんまで」

「誰がじいさんじゃ。ったく、近頃の若い女はこれだから困る。年寄りには敬意を持てと教わらなかったのか?ついでにワシは執事じゃから、メイドの気持ちはわかる。ここじゃ」

 老執事は、不意に立ち止まると、カンテラで壁を照らし出した。

 そこにあるのは、古く朽ちかけたドアだ。

「この向こうが、ハンガーの奥。今はゴミ捨て場になっている場所。昔はここが正門に近かったのじゃがな」

「ここが?」

「ああ。地下の待避所があって、そこにメース使い達が常時待機しておった。そこから、このドアを開いてハンガーへ飛び込む」

 老執事は、ドアのノブを開きながら、昔を懐かしむような口調で言った。

「先代の時までは―――この城もいろいろ活気があった。皆、お館様の為と、自らを磨いたものだ―――あいつらも、もう少しこの城のことを知ろうとすれば、死なずに済んだろうになぁ……」

 ギイッ

 ドアがきしみを上げながら開いた。

「―――さぁ。後は頼んだぞ?」




 半壊したハンガーに人はいなかった。

「皆さん、待避されたんでしょうか」

「……だと思いたいけど」

 ティアリュートの視線の先にあるのは、半ば倒れかかった状態で放置されたサライマ達。

「騎体は2騎……」

「操縦者の方は……」

 ユースティアは、その理由を悟った。

 “待機所”と書かれた看板の下がる部屋の中は、崩れ落ちた鉄骨で埋まっていた。

 もし、あの中に誰かがいたら?

 その末路は考える必要さえない。そんな状況だった。

「ユースティア」

「はい?」

「ここまで付いてきたからには、聞くだけバカだと思うけど」

 ティアリュートは訊ねた。

「サライマの搭乗時間は?」

「実戦で2,800時間です」

「……上等」

 正直、ティアリュートは内心で驚いていた。

 相手がそれ程の戦闘を経験していることは想定外だった。

 彼女自身、短期現役兵としてかなりの実戦に参加した結果として戦闘時間は3,200時間に達している。

 1,200時間を超えて生き残ればベテランと呼ばれて十分だというのが、一般的な常識の中で、この時間ははっきり多いと断言できる。 

 つまり、目の前の娘は、自分に匹敵する程の経験者だと―――そういうことだ。

「なら、一々、ここで余計なことは言わない」

 そう、彼女は決めた。

「一端の経験者として扱うから、そのつもりでついて来て」

「よろしくお願いします」

 ユースティアはぺこりと頭を下げた。

「私、ティアリュート様のお役に立てるなら、なんでもしますから」

「とりあえず、背筋が寒いけど、右の騎体に乗って。私、左に乗る」

「はいっ!」



 コクピットハッチを手動開放したユースティアがコクピットに潜り込むのを確認したティアリュートは、ハッチが半ば開きっぱなしになっている理由を悟るしかなかった。

 そこには、べっとりと真っ赤な液体がこびりついていた。

 コクピットに入ろうとして、破片か何かに襲われたんだろうことは、その飛び散り方から容易に想像できる。

「チッ」

 死人には悪いが、ティアリュートは思わず舌打ちをしてしまった。

「……右のにすればよかった」

 ハッチの上にあるレバーを掴んだ腕を支点にして血の海を回避したティアリュートは、コクピットの中に潜り込んだ。

 コクピットの中は幸いにして被害はない。

 手が勝手に起動シークエンスを開始することに、

「……へぇ?」

 ティアリュート自身が驚いていた。

「身体が覚えているものなのね」

 ―――ここで忘れていたら、どうするつもりだったのよ!

 クローネンベルクなら間違いなく、そう突っ込んでくるセリフだが、ティアリュート自身は全く気にしていない。

「懐かしき我が悪夢の日々よ……よしっ」

 機動シークエンスを終えた指が、コンソールの右端にあるスイッチを押した。

 サライマのイグニッションスイッチに信号が送られ、サライマの起動が完了した。

 騎体にパワーが走るのが、同調した四肢を通じて伝わってくる。

 その感覚は―――久しぶりだった。

「起動完了―――武装は……っと」

 サライマが立ち上がり、ハンガーのウェポンラックの下に転がっていた戦斧を手にした。

「まだ新品……もったいないわね」

 サライマのモニターに映し出される戦斧の刃が光を冷たく反射して、目には眩しいくらいだ。

「刃こぼれしても、交換どころか、直せなかった前線とは違う……か。ん?」

 ピピッ

 通信が入った。

 通信モニターには、騎体番号が表示され、すぐにユースティアが映し出された。

「報告します。こちらの起動完了。武装は戦斧でよろしいですか?」

「選択は任せる。当面の任務は、敵勢力の排除。武装出来る兵器は全て装備して。それと、使用も自由とする」

「よろしいのですか?」

「いい」

「広域殲滅(SFD)弾なんて、こんな所で使ったら、本丸ごと吹き飛びますけど」

「前言撤回―――っていうか、なんで広域殲滅弾なんて、こんな所に転がっているのよ!」

「さ、さぁ?」

「……まぁ、いい。自分で責任とれそうな範囲に押さえて」

「了解―――敵、接近中」

「ついにここまで来たか?……いや」

 戦況モニターの反応を見て、ティアリュートは心底感心した。という顔になった。

「まだかなり先にいるのに、もう捉えているの?さっすが“バラライカ”」

 敵の反応は6。

 だが、それはまだ交戦可能距離からすれば、かなり遠い。

 向こうのメースが何か。

 そして、その針路や指揮官と思しき騎体がどれかまで、バラライカのセンサーとシステムは瞬時に割り出していた。

 戦況分析官や高級指揮官向けの超高額騎の面目躍如たる仕事だと、ティアリュートは開発者に敬意さえ抱いた。

 ―――ただ。

「……これ、軍にいる時に欲しかったわ」

 その本音だけは隠せなかった。


 敵のメースは、バラライカの情報を鵜呑みにすれば“チャイカ”―――サライマの一世代前の騎体。

 発表当初、まだ無名に近かったメーカーが、金のない弱小国向けにと、社運を賭けて開発した騎体。

 当初、その販売対象故にモンキーモデルと思われ、魔界でも評価は低かったが、それは単に、技術や特許の関係上、大国だといろいろと問題があるからメーカーが売り渋っただけのことであったことは、有名メーカーが開発した同世代の代表的メース“ツヴァイ”と真っ向から張り合って勝利を収めた戦績から明らかである。


 つまり―――舐めてかかれる相手では決してない。



「ユースティア?」

「はい?」

「狙撃砲に武装変更―――やるわよ?」

「了解」


 向こうはまだこちらを見つけていない。

 センサーで勝てる内に一騎でも多く仕留めなければ―――それにしても。

 ティアリュートは戦況モニターを見て、首を傾げるしかなかった。

 友軍は、一体、どこにいるんだ?



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