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姫のために死ぬ身なれば 第五話

 結局、ごったごたの挙げ句、ティアリュートが部屋に戻れた頃には、夜が明けていた。

「……眠い」

 当主命令で添い寝をする。

 ティアリュートはそう主張したが、まさかショーンをベッドから追い出すことも出来ず、かといって、シュヴァルツと共に眠るなんて冗談じゃない状況を経て、結局は一睡も出来なかったわけだ。

 目をこすり、生あくびばかり繰り返しながら部屋のドアを開く。

 すると、ドアのすぐ向こうに立っていたのは、ユースティアだった。

「―――おかえりなさい」

 何故か、思い詰めたような顔をしたユースティアが言った。

「遅かったのですね」

「……うん」

 少し、背筋がゾクッとしたティアリュートは、その脇を通り抜け、ベッドに横たわった。

「夜中、ずっと取り込んでいて」

「―――まさか、オンディーヌ家がまた?」

「ううん?カティア姫のところにいたんだけど……」

「カティア姫の御身に何か?」

 家に仕えるメイドとして、ユースティアが心配そうにティアリュートの言葉を待つ。

「その……思っていたより……」

 シュヴァルツが。

 そう、ティアリュートは言ったつもりだったが、言葉にならず、結局、ユースティアにはこう聞こえた。

「その……思っていたより……激しくて」

「死ねばいいのにっ!」

 わーんっ!

 ユースティアが泣きながら部屋から飛び出したのは、その直後だった。

「―――へっ?」




 その日―――

 ぐっすり眠っていたティアリュートは知らなかったが、オンディーヌ家のメース部隊がヴォール河を渡河。

 対するヴァルホイザー家と魔界正規軍は、この事態を全く把握していなかった。

 オンディーヌ家に対する世論の風当たりの強さに焦りを感じたオンディーヌ家当主が、短期間でヴァルホイザー家の治める東シュロスベルク公国首都を制圧し、併合を既成事実化しようと画策して動き出したのだ。

 この日、ヴァルホイザー家当主と正規軍より派遣されて来た停戦監視部隊の司令官が極秘裏に会談を行ったが、その内容が「オンディーヌ家に対してヴォール河以西への撤退を要求する」であって、正規軍より部隊の増強派遣ではなかったことが、その事を物語っている。

 とはいえ―――この会談が非公式にしてオンディーヌ家が把握していなかったことがまた、間接的には、最悪の事態の引き金となったことは、間違いない。



「―――あの」

 ティアリュートが目を覚ましたのは、10時近かった。

 体調不良で欠勤としてくれたのは、ユースティアだと知ったティアリュートは素直に礼を言った。

 対するユースティアは、何か言いたげにティアリュートの前でもじもじしている。

「どうしたの?」

「……実は」

 ユースティアはただ、謝りたかったのだ。


 ―――ごめんなさい。あなたの日記を読んでしまいました。


 悪気はなかった。

 単なる事故といえば事故だ。


 謝罪を口にすれば済むようなことだが、元来口べたなユースティアは、緊張の余り舌をもつれさせてしまった。

 つまり―――事故が重なったようなものだ。


 それで結局、ティアリュートの耳に届いたユースティアの謝罪は、謝罪になっていなかった。

 それは、こう聞こえたのだ。


「……す……き……」



 言った本人のユースティア。

 聞いたティアリュート。

 共に固まったのは言うまでもない。


「え?す……好き?」

 驚くティアリュートを前に、パニックになったユースティアは頭を抱えた。

「ち、違!違わなくないけど!違うんですっ!」

「????」

 何とか説明したい。

 ただ、自分は謝りたいだけなんだ。

 それなのに―――どうしていつも、こう上手くいかないんだろう。

 どうして―――どうして、私はいつも……。


 ポロッ


 ユースティアの瞳から熱い涙がこぼれ落ちた。

 自分があまりに惨めで、そして、それが悔しくて、悲しくて涙が止まらない。


「え?ええっ!?」

 ティアリュートが驚いているが、どんな顔をしているのかさえわからない。

 ユースティアは、その場にしゃがみ込むと、顔を覆って泣き始めた。

 

 もうイヤだ!

 こんな自分はイヤだ!


 心でそう叫ぶユースティアは、不意に自分が抱きしめられたことに気付いた。


 そう。


 ティアリュートに抱きしめられたのだ。


「ティアリュート……様?」


 下心はない。

 幼い頃、泣き虫だった自分。

 何かと泣く度に、クローネンベルクはこうやって抱きしめてくれた。

 泣きやむまで、ずっと、こうやって抱きしめてくれた。


 ……はぁっ。


 思わずため息が出た。


 あの優しかったクローネンベルクが、どうしてあんな凶暴になったのだろう。


 同じ頃、クローネンベルクがティアリュートをぶん殴りたい衝動に駆られていたのとは関係ない―――と思いたい。


 トクンッ

 トクンッ


 抱きしめられたユースティアの耳に聞こえる鼓動。

 それは、ティアリュートの心臓の音。

 単調なはずのその音は、ユースティアを心の底から安心させてくれる。

「ティアリュート……様」

 それまでの悲しみの涙は止まり、代わりに流れたのは―――安堵の涙だった。

 ユースティアは、ティアリュートに縋り付くと、その胸に顔を埋めた。



 その頃、

「これは何の騒ぎですか?」

 城の最も内側の守りである本丸付近に立つのは、数体の巨人。

 周りを見回せば、他にも何騎もの姿が見える。

 そのサイズ故に、巨大な城壁がミニチュアに見えてくるから不思議だ。

 そんな光景を、城壁の上から眺めている者達がいた。

「―――あら、どうしたの?」

「メースなんて、どうしたのでしょうか?今回の騒ぎがあってから、メースはハンガーに格納されていたはずですけど」

 そう。

 下手にオンディーヌ家を刺激したくないとする当主の判断で、メースは表に出ることはなかったはずだ。

 それが、今は城に

「私もわかんないわ。とにかく、本丸付近の警護が厳しくなって私でも思うように近づけない」

「ええ―――カティア姫様付きの私達でさえ、入るなって言われて、みんな、何が起きてるのか、いろいろ詮索してるんですよ?」

「何かわかった?」

「いいえ?お客様が来た様子もないですし」

「……演習かしらね」

「演習?」

「ええ。もう、いろいろきな臭いから、そろそろ準備しようとしているんじゃないの?」

「それは、つまり、戦局の打開のために、メースを投入することを言ってます?」

「……それもありかもね。まぁ、私が打開したいのは、あの変態の振るまいなんだけど」

「―――成る程?」



「正直」

 魔族正規軍より派遣されたエレシオン卿は、自慢の髭をいじりながら言った。


 城の本丸。


 その中でも、構造的に隠された秘密の会議室。

 10キロを超える地下通路を通らなければ、外から入ることは出来ない。

 彼もまた、10キロ以上離れた場所に極秘に着陸させた民間用飛行艦から地下通路に入って、ここまで来た。

 小さな窓からは、外の景色が見えるが、魔法で細工された壁越しであり、ここに窓がある事自体、外からはそう簡単にわからない。


「その気になれば、オンディーヌ家を潰すことはたやすい。

 しかし、問題は、オンディーヌ家亡き後―――そうではありますまいか?」

「我が方が、オンディーヌ家を亡きものにせんがため、今回の騒ぎを画策した―――そうおっしゃりたいのか?」

「私の発言ではありませんぞ?御当主」

 苦い顔をする当主を諫めるように、エレシオン卿は言った。

「しかし―――事が成れば、宮廷でそんな話も出てくる。いや、現に出ている」

「……迷惑な」

「左様。迷惑な話です。これでメースまで投入されれば、目も当てられない」

「投入の動きが?」

「御当主が、今までメースを城から―――いや、ハンガーから出さなかったご判断が、オンディーヌ家に投入を躊躇わせてはいた。フェアでないとして」

「メース同士の戦いとなれば、被害は想像を絶する程、甚大となろう―――それでは、罪無き民が苦しむ」

「……陛下も心配されておいでです。だからこそ、停戦の監視のため、我々がいるのですが」

「正規軍は、メースを投入してはくれんのか?」

「それこそ危険すぎる。この事態にかこつけて、帝室が自分達を潰しに来たのではないかと、危惧されてはこの周辺の安定が崩れる」

「……厄介な事態ですな」

「全くです。無用な刺激を、正規軍が生み出すことは出来ない。オンディーヌ家がメースを投入すれば、その後になってやっと動かすことが出来る―――かもしれない。そう考えていただいて結構」

「どちらにせよ。それまでは―――」

 当主は窓の外を見た。

「ここにある騎がすべてですな」

「オンディーヌ家は、周辺から中古騎まで集めているそうで」

「―――ちなみに、正規軍が把握しているオンディーヌ家のメースは、いか程に?」

「戦線に投入できる数だけで、この三倍は超えるでしょうな。軍事優先と、民優先の政策的な違いが生み出した結果です。本来なら、民の福利をめざした御当主は、賞賛されるべきでしょうが―――こと、こうなると話が違ってくる」

「……っ」

「私の警護のために、そして、抗戦の意志を私に見せつけるためにメースをハンガーから出していただいたことには感謝しましょう。ですが―――正規軍は、あまり頼りになさらないでください。我々の任務は、監視なのです」

「……了承した。じゃが、卿に頼みがある」

「それは、軍司令官として?」

「長年のよしみのある盟友として―――じゃ」

「……何なりと」

 当主は言った。

「姫を二人、預かって欲しい」

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