姫のために死ぬ身なれば 第四話
「……というわけで」
授業に熱中していたティアリュートは、時間が経っているのをすっかり失念していた。
晩餐の時間まであと少し。
お召し替えだの、姫にも時間が必要だろう。
ティアリュートは、椅子に座るカティア姫に、そっと声をかけた。
「姫?そろそろ」
「……」
「……姫?」
こくりこくりと始まったカティア姫の頭が、ティアリュートの肩に触れた。
つまり―――眠っているのだ。
「……こ」
ティアリュートの心臓は高鳴った。
というか、心臓の鼓動そのものがゴングになった。
「ここに来て―――更に、とは?……ふふっ。こんな熱い戦いは久しぶりよ」
「シュヴァルツ!今から本を取り返しに行こう!」
「だめです。もう晩餐の時間まで間がありません」
「大丈夫じゃ!昨日の騒ぎがある。しばらくは晩餐は取りやめ。我らも軍用食で我慢じゃ」
「……まぁ」
「難民に死者まで出したんじゃ、晩餐で贅沢なものを食べたなど、民に合わせる顔があるまい」
「―――ごりっぱです」
「うむ。妾はカンパンとバターだけでも、一晩くらい我慢が出来る―――どうじゃ?」
「本当に、姫様は聡明な御方ですよ」
「というわけで、行くぞ!」
「ですから、もう遅いですし。送っておいて取り返すというのもどうか……と」
「何を言うか。夜の往来は皆もやっておるんじゃろう!?シュヴァルツの小説にも書いてあった―――確か、“夜ばい”とか言って!」
「なりませんっ!」
「と、とりあえず」
椅子の上で眠らせる訳にもいかす、ティアリュートはそっとカティア姫を抱きかかえ、ベッドへと運んだ。
折れそうな程、華奢な身体の、マシュマロよりもやわらかく、かつ、まだ固いという、青い果実特有の感触が、ティアリュートの理性をかき乱す。
細いうなじ
まだ幼い胸。
絹ごしの太股の感触。
―――殺されてもいい。
ティアリュートは本気で思った。
―――姫を手に入れるなら、殺されてもいい。
ベッドの上に、そっと姫を横たえたティアリュートは、じっとその寝顔を見つめていた。
自分が、どれほどこの姫を愛しているのか。
寝顔を見るたびに強く感じる。
同性なんて関係ない。
問題なのは、自分が姫を愛していることだけ。
ただ……。
無垢な華を傷つける。
そのことを、
それだけを、
ティアリュートは恐れた。
目を開けた途端、あらぬことをしている自分を見た姫が、どう思うだろうか?
それを考えるだけで―――恐い。
「―――ん」
無垢な寝言が、そんな邪念を吹き飛ばしてくれたのは、むしろ幸いだった。
考えてみればいい。
カティア姫は、自分を信じてくださっている。
だから、安心して、このように寝顔まで見せてくださったのだ。
それを、自分は欲望で裏切ろうとした。
「……恥ずかしい」
そうだ。
何が恐い?
姫を傷つける?
違う。
姫を裏切るのが恐いんだ。
―――なら、せめて。
ティアリュートは、そっと布団をカティア姫にかけてやった。
そして、自分に弁護した。
―――寝顔を見てハァハァするくらいは、許されるだろう。
……わけねぇだろ。
「……ん?」
顔を間近によせて寝顔を楽しもうとしたティアリュートの背後。
ドアの方から男の声がしたのは、その時だった。
「ドアが開いているが―――どうした?」
振り向くと、ドアの向こうから当主が顔をのぞかせていた。
「あ……いえ」
「ん?めずらしいこともあるものじゃし、不用心じゃの」
「……実は」
ティアリュートは、事務的に経緯を話した。
「―――なんじゃ、カティアが授業中に眠ってしまった……と」
「はい」
「ふむ……近頃は、不穏な騒ぎが多く、姫の心配しておったからな」
「失礼ですが、それは西シュルツブルク公国の?」
「ああ。姫も、民の役に立ちたいと、従軍看護婦に志願しておって……さすがにたった一人の跡取り。それは危険じゃ。民をまとめ、立派な君主となるためには、今は勉学にいそしめと……それでお主をやとったのじゃが……」
「……姫」
「やはり、不安な思いで夜もロクに眠れずにいて……」
「……お疲れなのですね」
「それだけでもなかろう」
「というと?」
「カティアは人前で眠ったことなど、今までにないはずじゃ。それ程に気を許せる相手が、今、側におるというまたとない証拠のようなもの。なんだかんだ言って、ティアリュート。お主を招いたのは、正解だったようじゃ」
「ありがとうございます。御義父様」
「うむ……すまん。ティアリュート。このまま、カティアと眠ってくれんか?」
「い、いいんですか!?」
「……何か、勘違いしてはおらんか?」
「いえっ!そんなことは」
社交的な愛想を浮かべつつ、ティアリュートは内心で思った。
っーか、あんた、いつまでいるんだ。
二人の至福の拷問タイムがムダになんだろうが、とっとと……やだ。私、御義父様相手に何て事……。
「―――怒らないから」
クローネンベルクは怒りながら言った。
「あのバカと何があったか言いなさい」
「違いますっ!」
ユースティアは半べそをかきながらいった。
「ティアリュート様は悪くありませんっ!わ、わたしが……悪くて……あの」
「……それでどうして泣いて」
「……クローネンベルクさん」
ユースティアは、何故か頬を赤らめながら言った。
「ティアリュート様って―――すごいんですね」
「……」
ゆらり。
殺気を纏いながら、クローネンベルクはたちあがるなり、愛用のレイピアを引き抜いた。
「―――失礼」
「は?」
「ちょっと、ティアリュートを殺ってくる」
「えっ!?や、やるって何をですかっ!?」
ではな?
そう言い残して部屋を出た当主を見送ったティアリュートは、椅子に座ってただぼんやりとカティア姫の寝顔を見守り続ける。
その顔は、すっかりともののみごとに、イッていた。
どんなヤバいクスリをキめた所で、こうならないだろう位、顔はゆるみ、ヨダレが垂れ流しになっている。
布団から出た手が少し寒いかな?
そう思ったティアリュートが、手を伸ばした。
「―――夜ばいか?」
その声が、新しい来訪者を告げた。
シュヴァルツに抱っこされたショーンだった。
「……こう見ると、親子ですね」
ティアリュートのつぶやきが聞こえなかったのか、床に降りたショーンが、びっくりする程、機敏な動きでティアリュートに襲いかかってきた。
「貴様ぁ……姉様になにをしようと……っ!」
グイグイとまたしてもショーンの手がティアリュートの首を締め上げる。
「してませんっ!まだ何もしてませんって!っていうか、あなた方こそ何を?」
「……決まっておろう」
ショーンは自信満々に答えた。
「よばいじゃ」
「だから違います―――いい加減、しつこいですよ?姫」
シュヴァルツが即座にフォローしたが、
「夜這いって……そんな……四人でなんて!
二人でもまだだというのに?やだ、なにその新展開」
「……あなたも受け入れないでください。ティアリュートさん」
―――とりあえず、ティアリュート様を探しに行こう。
二人の部屋を出たプラチナとオパールは、カティア姫の部屋の方へと歩いていた。
「ねぇ、プラチナぁ……ティアリュート様って」
「下手な詮索はするもんじゃないよ?」
「そうだよね。メイドはそんなことじゃだめだよね」
「そうそう」
そんなことを言い合う二人の耳に、
そんな……四人でなんて!
ティアリュートの、そんな声だけははっきりと聞こえた。
「……プラチナ」
「だめよ……詮索すべきよ」
「誤解なさらないでください」
ティアリュートからショーンを引きはがしながら、シュヴァルツは言った。
「姫がカティア姫に贈ったという本をお返しいただきたくて」
「……ああ」
「……うかつだった」
ショーンが言った。
「本というのは、作者の心の内、普段秘めていることを元に書くということだろう?」
「は……はぃ」
「即ちっ!」
ショーンは力説した。
「貴様はシュヴァルツの秘部を目にしたということじゃ!妾はそれが許せんっ!それだけは許せんのじゃっ!」
ズリッ!
音を立てて取り出されたのは、絵本で鬼が持っていそうなトゲのついた金棒だった。
「―――という訳で、今から貴様を殴って記憶を消し去る!」
「何でですかっ!」
―――まずい。
ティアリュートは考えた。
相手は姫。
力業で勝てない相手ではないが、かといって、ケガでもさせれば、それだけで色々と終わる。
つまり、抵抗して傷つくのは自分。
どうやって、相手を傷つけずに丸く収めるか?
―――そうだ。
ティアリュートは思った。
相手が気にしているのは、小説について。
だけど、自分は?
「ま、待ってくださいっ!」
ティアリュートは叫んだ。
「確かに小説は読みました。しかし―――心配には及びません。なぜなら」
「?」
「私、中身をほとんど覚えていませんっ!」
その途端、ショーンから金棒を奪い取ったのは、シュヴァルツだった。
「どうしろというんですか!」
ティアリュートの叫びに冷たく、シュヴァルツは答えた。
「それは何ですか」
その目は据わっているし、顔に表情はない。
下手な尋問より厳しい。
「私の作品は、記憶に残らない程度の代物だ―――と?」
「……いえ」
ティアリュートは答えた。
「客観的には突出した作品であると思います。しかし、私は興味を持つことが出来なかった―――それだけのことです」
カチンッ
私は興味を持つことが出来なかった。
その一言が、シュヴァルツの琴線に触れたのは確かだった。
―――何よ、その屁理屈。
私の作品なんて―――
私なんて、眼中にないということなの?
「……聞いてよろしいかしら?私の小説、どこが貴女に合わなかったの?」
「……ふうっ」
不意に、ティアリュートが視線を外すと、わざとらしい程のため息をついた。
「なっ!」
―――何よ。私といるのがそんなに不満なの!?
「い、言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃないですか!」
「……別に」
ティアリュートがもし、はっきり言うことが出来れば言う事なんて一つだ。
―――とっとと失せろ!
―――お前達が邪魔で、カティア姫相手にニヤニヤ出来ねぇじゃねぇか!
本当にそう思う。
ショーン姫をつれてさっさとこの場を立ち去ってくれればいいのに、何で一々絡んでくるんだ。
……っていうか。
「男と男の恋愛小説に、どうコメントしろと?」
「何を言うんですか!」
シュヴァルツは本気で怒鳴った。
「素敵な殿方がいれば、別のさらに素敵な殿方といちゃついて当然っ!あなたも女ならわかるでしょう!?」
「全然」
ティアリュートはきっぱりと答えた。
そして思った。
―――カティア姫の可愛さ以外に、女がわかることなんてあるものか。
「あなた、それでも女ですか!」
「生理はありますよ?」
「―――っ!」
ティアリュートは、不意に、大きく開かれたシュヴァルツの胸元に視線を落とした。
ホント……改めてこう見ると、ホントにデッカイわね。
こんだけデッカイと、逆に固そうなんだけど……。
実際、どうなんだろう?
「あっ!?」
答えるより先に、手が動いていた。
胸を直にわしづかみにされたシュヴァルツから、甘い声が漏れる。
途端―――
ガンッ!
シュヴァルツが持つ金棒がティアリュートに炸裂した。
「な、何考えてるんですか!何考えてるんですか!」
「だ、だって!」
ティアリュートは答えた。
「そこに乳があったからっ!」
同性の乳をわしづかみにするなんて、当事者同士でも問題だろう。
それを、誤解気味の第三者が見ればどうなるか―――
こうなった。
ティアリュートと話をつけるために、カティア姫の部屋に向かっていたのは、クローネンベルクだ。
暗い部屋。
そこには、ティアリュートとカティア姫がいるはずだ。
暗い部屋。
それだけで、クローネンベルクの不安感は言い様もなく強くなる。
クローネンベルクは、足音を忍ばせて、ドアの中から室内をのぞいた。
そして―――そこで見たのは、同性と乳をもみ合うティアリュートの姿だった。
「もうダメッ!」
いろいろと耐えられずクローネンベルクは駆けだした。
「私にはもう、どうにもならないっ!」
クローネンベルクの嘆きを余所に、ティアリュートとシュヴァルツが言い合いになっていた。
「姫様付きの家庭教師だというのに、こんな下品だと思いませんでした」
下品。
その言葉にカチンと来たティアリュートが言い返した。
「そんな品性のないカッコしている輩に言われたくないですわ?」
「その格好相手にあんなことして―――欲求不満なのですか?」
「……多分」
「それ……認めるんですかっていうか!」
「「そもそもっ!」」
お互いを指さして大声を上げた途端、
「うーん」
愛らしい寝顔が室内に響いた。
見れば、いつの間にかショーン姫まで眠っていた。
カティア姫とショーン姫。
その無邪気な寝顔に、すっかり毒気を抜かれた二人は、わざとらしい程の咳払いをした。
「ま……まぁ」
ティアリュートはバツが悪そうに言った。
「いきなり掴んだのは悪かった……かなと」
「私も言いすぎまして……でも」
口火を開いたのはシュヴァルツだった。
「でも……少し、貴女と話せて嬉しかったです。私のことなんて、眼中に入ってないと思ってましたから」
「ええ。その通りですけど―――って、何で泣きそうになるんですか!」
「知りませんっ!」




