姫のために死ぬ身なれば 第三話
家庭教師といえど、休日はあるし、三色添い寝―――もとい、三食昼寝付きの生活だ。
その日、ティアリュートは休日を私室で過ごしていた。
何をしていたかといえば、カティア姫に関する手記を読み返し、一人でハァハァしていたのだ。
「ちょっと。変態」
ノックも無しにドアが開き、クローネンベルクが入ってきたのは、まさにそんな時だった。
「―――何してんのよ。ズボンずれてるわよ?」
「べ、別に!」
「……まぁいいわ。ちょっとお願いがあって」
「何?」
「―――ユースティア」
クローネンベルクの後ろに隠れるように立っていたのは、小柄な少女だった。
短くまとめられた黒髪に、大きな目。
恥ずかしそうに小さくうつむく姿。
どれをとっても特級の美少女だとはっきり断言できる。
「……あれ?」
ティアリュートは思わず訊ねた。
「あんた、いつ子供産んだの?」
「バカ。ユースティアは私達とほとんど同い年よ。2つ3つ年下なだけ。
でも、メイドとして城でのキャリアは相当長い。
それで、いろいろ事情があって、今日からこの部屋をあんたとユースティアで相部屋にしてほしいの」
「あ、愛部屋?」
「あんた……わざとらしい聞き間違えを」
「ご、ごめんなさいクローネンベルク。私にはもう、カティア姫という心に決めた人が」
「うるせぇ。黙って聞け」
「つーか」
グイッ
ティアリュートは、クローネンベルクを壁近くに連れて行って小声で言った。
「無理よ。私の性格知ってるんでしょ?」
「大丈夫よ。ユースティア、あんたに惚れているっぽいし」
「その目は節穴?」
「城でのしきたりとか、あんた全然知らないでしょ?だから、その辺を知ってもらうためにも、相部屋は絶好のチャンスだと思うのよ」
「そ……そんなの、クローネンベルクでもいいじゃない」
「だめよ。私は本来、オーキ様。つまり、カティア姫の母上付きなのよ?」
「何よっ!」
ティアリュートは怒鳴った。
「他の女の所に行くつもりっ!?」
「……他に表現がないの?」
「ひ……ひどい……あ、あの日、私を誘ったのはクローネンベルクじゃない」
泣き出したティアリュートが、そっとクローネンベルクに縋り付いた。
「ちゃんと……責任とってよ!」
「ふ、二人とも!」
ユースティアが泣きながら駆けだした。
「不潔ですっ!」
「「ええっ!?」」
「そ、そんなに」
ボロボロ泣き出したユースティアは、声を詰まらせながら言った。
「そんなにご迷惑ならいいです……わ、私、そんなにご迷惑になるなんて……グスッ……考えも……グスッ」
―――マズい。
ティアリュートが焦ったのも無理はない。
メイド、しかもこんな小さい子を泣かせたと城の中で噂になれば、立場が危うい。
「待ってください。非礼はお詫びしますが、わかってください」
ティアリュートは、ゆっくりとユースティアに言った。
「私は、あなたの実生活を壊すかもしれません。それが恐いのです」
「……別に」
ユースティアは答えた。
「私は、それでもいいんです」
「―――はっ?」
「ティアリュート様に壊されるなら……全てを差し上げても……私……」
「よかったわね。ティアリュート……ほら。どん引きしないで。私、これから用事があるから、それじゃね」
「え?」
気付いた時には、クローネンベルクは部屋から出ていく所だった。
「―――こ、この薄情者っ!」
「……あ、あの」
「ああ。ごめんなさい」
ティアリュートは顔をしかめながら答えた。
「いろいろハイテンションで進んじゃって、展開についていけないの」
「……はぁ?」
「それで?」
「……あの、ティアリュート様は、クローネンベルクさんとは」
「ああ。母同士が友人で、幼なじみというか……姉……いや、あの口うるささは母親以上というか……どうしたの?」
「……いえ」
何故か、ユースティアがほっとした顔になっていた。
「その程度の関係だってわかったので、安心しているのです」
「―――は?」
「助かりましたわ。クローネンベルク様」
通路で一緒になったメイド長が、ほっとした顔で言った。
「あの子、あの通り見た目はいいんですが、とにかく物怖じしやすくて、裏の仕事しか回せない分、他のメイド達とも関係が」
「ヒキコモリ同士、仲良くやってもらうしかないでしょうね」
「軍隊を経験すると、引きこもるようになるのでしょうか?」
「天才肌と軍隊経験……あり得ない話ね」
「そう思いたいです。私の弟も士官学校に入ると言い張ってまして……ああなったら大変です」
「……ですわね。ところで」
「はい?」
「オンディーヌ家との戦況がかんばしくないと聞きましたが?」
オンディーヌ家は元々はヴァルホイザー家と流れを同じくしている。
2千年前。ヴァルホイザー家の当時の当主が急死。
家督相続について明言していなかったことが災いして、兄弟同士の争いとなった。
魔帝の裁定により、長兄が相続権を確保したが、その裁定に不満を持った弟が、オンディーヌ家を立ち上げた。
そして、シュロスベルク公国太守位の正統性を主張し、兄弟で互い大公を名乗りあう時代が始まった。
以降、政治と戦場において数代に渡り、両家は争いを続けたが、公国領を実質的に真っ二つにする大河ヴォール河を境に、オンディーヌ家の治める西シュロスベルク公国と、ヴァルホイザー家の治める東シュロスベルク公国として分断、それぞれに独立国として魔界で承認されている現在においては、相続権そのものの意味が問われる事態になっている。
にも関わらず、今になってオンディーヌ家が動き出したのは、ヴァルホイザー家当主、シュルツブルクが老境に至ったこと。
さらに、その後継者がまだ幼いカティア姫という、大公家の後継問題があった。
カティアが死ねば、東シュルツブルク公国大公家の正統な血筋は絶える。
彼女に子供が生まれない限り、今がヴァルホイザー家にとって一番危うい時期だ。
妾の子であるショーンでは、世論がどう反応するか分からない。
なら、今の現状を叩けばヴァルホイザー家はどうなる?
ヴァルホイザー家当主率いる軍勢が、千年以上にわたって先代達が超えることのなかったヴォール河を超えたのは、まさにそういう思惑があってのことだった。
ヴァルホイザー家率いる軍勢は、その奇襲攻撃により、わずか数日で東シュルツブルク公国の領土の半分を占領。
東シュルツブルク公国軍に壊滅的な打撃を与えた。
ただし、超えた方も無事では済まなかった。
千年以上に渡る共存関係を破壊し、武力侵攻する国を認めるほど、魔界はイかれていない。
西シュルツブルク公国に対しては、即座に近隣諸国が国境を封鎖。
両国間の安定に尽力してきたメンツを丸つぶれにされた魔界帝室、こと、魔帝グロリアの激怒を買い、魔族軍正規軍が東シュルツブルク公国に派遣される騒ぎとなっている。
オンディーヌ家は魔界帝室の敵のレッテルまで貼られたことで、少しは大人しくなるかといえば、全くそんなことはない。
正規軍の東シュルツブルク公国に対する派遣は、むしろ周辺のパワーバランスを崩す危険な行為に他ならないとして、即座に撤退を要求するという強硬な姿勢を打ち出している。
そして、むしろ逆に、東シュルツブルク公国軍残党と、正規軍による攻撃を引き出すために挑発的な攻撃を繰り返している。
昨晩の攻撃は、その中でもかなり大規模だったとクローネンベルクは聞いている。
「……ええ」
メイド長の表情が曇った。
「民間人の避難キャンプに砲撃ですって。非武装区画のど真ん中に撃ち込むなんて―――占領した後のことを考えているのかしら」
「……」
クローネンベルクはため息と共に首を横に振った。
「西の兵士単独で町中に出たら、死体になるしかないわね」
「千年以上も、パスポートさえなしに移動できる環境だったんですよ?それを!」
「今回破壊された関係の修復には、何千年かかるのかしらね」
「……」
「とにかく」
クローネンベルクは、ポンッとメイド長の太股に軽く触れた。
エプロンドレスの中に隠されたそれが、固い感触となって伝わってくる。
「“いざ”という時のための覚悟だけはしておいて」
「……全ては御家の為に」
そんな頃―――
実は城の中で絶体絶命のピンチに立っている者達が二人いた。
ティアリュートと、意外なことに、シュヴァルツだった。
「―――本当ですか?」
「本当じゃ」
「……」
「本当に、私の書いたアレを、カティア姫様にお渡しした―――と?」
「ああ。シュヴァルツは暇つぶしと副業を兼ねて片手間に小説まで書く才媛じゃと、あの馬鹿者に教えてやるまたとない機会じゃろう?」
「……うっ」
「なかなか、読めたぞ?」
「あの……姫様?」
「なんじゃ?」
「“18禁”って意味、わかりました?」
「知らん―――アダルト・オンリーというは、大人専門という意味じゃろう?どうして子供が読んだらダメなんじゃ?」
「……そ、それは……さぁ?」
ま……まずい。
シュヴァルツは本気で焦った。
ショーン姫様に、原稿を読まれたのが運の尽きだったのだろうか?
あれはあくまで、私の趣味であって、趣味を同じくする者達の間で楽しむためのものだ。
小説といっても、文学ではない……と思う。
自分が趣味で書いたものを、立派な文学だと買いかぶるほど、私が愚かではないだけかもしれないが、とにかく、姫様は、“あれ”を何か、立派な文学作品のように勘違いされていらっしゃる。
それはつまり、自分を買いかぶっていることに他ならないわけで……。
……ああ、どうしよう。
あんな趣味丸出しの小説を他の人、しかもカティア姫様に読まれるなんて……。
だめよ。
取り乱しては。
今、私はここに家庭教師としているんだから……って?
……あれ?
「……姫様?」
「何じゃ?」
「つまり……姫様も、あれを読まれた、ということですか?」
「ダメか?」
「……いえ。あの……まだ、お早いかな、と思いまして……それで」
シュヴァルツはまじまじとショーンを見つめながら訊ねた。
「それで……読んで、意味がわかったのですか?」
「無論……と言いたいが」
ショーンは少しだけ残念そうに言うと、メモを取りだした。
「残念じゃが、解せぬ部分がいくつもあった。じゃから、作者であるお主に教えてほしいと思っての―――まず」
「……」
「主に夜の場面じゃが」
「姫様―――それは拷問ですか?」
「“パラダイスな銀河”……ですか?」
「そうです。それでわからないのが」
カティア姫は、本を開いたティアリュートの膝の上に乗らんばかりに近づいて言った。
どうやら、自分がどれ程はしたないことをしているか。カティア姫は自覚がないらしい。
本に熱中すると、周りが見えなくなるタイプだな。と、ティアリュートは一瞬だけそう思ったが、カティアの髪の香りを全力で肺に送り込む方が忙しくて、そんなことは、すぐにどうでもよくなった。
「この夜の場面で、リキとイアソンが―(自主規制)―して、―(都条例により削除)―するとは、一体?」
「―――は?」
「ですから、―(くたばれ石原!)―して、―(都議会横暴!)―すると」
「あの……姫様?」
「何です?」
「それは……わざとですか?」
「どうしてですの?」
まるですがりつくように、カティア姫がティアリュートにもたれかかりながら訊ねた。
甘い香りが、どんな麻薬よりもティアリュートの脳をとろけさせる。
「ティアリュートは、私の家庭教師でしょう?でしたら、今、教えていただけませんか?」
「えっ……えっ……と」
「ここが……どうなっているのか……ティアリュートのお口で」
「カティア姫……私……ヒットポイントが限りなくゼロなんですけど」
「はい?」
「何じゃ!」
同じ頃、ショーンがついにかんしゃく玉を爆発させていた。
「作者のクセに、説明できぬというのか!?ここの―(拡大解釈)―とは!?」
―――困ったわ。
経験からシュヴァルツにはわかっている。
こうなったショーンはもう言うことを聞かない。
頑固さは無き母親譲りだ。
納得するまで引き下がるということをしない。
しかも、ショーンはシュヴァルツを完璧だと信じている。
安易な答えは、ショーンを失望させるだけだ。
何とか、大人らしく解決しなくては―――
「じゃあ」
そっ。
シュヴァルツは、ショーンを抱き寄せると、そっとソファーに押し倒した。
「経験で―――学んでみますか?」
「い……いや」
「いや……で、ござますか?」
「も……もう、わかったから」
「それはよかったです♪」
……っていうか。
ティアリュートは、ページをめくるたびに唖然とするしかなかった。
相手をペットにするわ喰いまくるわ……何か、この辺は純愛装ってるけど、どう考えても、ここは強姦じゃない……うわっ……主人公やりたい放題?
どうやら、読む限りではアダルト系の恋愛小説らしい。
ただ、何よりティアリュートを混乱させているのは、その恋愛が男女間のそれではなく、男性同士のそれだということだ。
卑猥を通り過ぎて、どう評価していいのかさえわからない。
「ティアリュート?」
しびれをきらせたように、カティア姫に迫られたティアリュートは、やむを得ず答えた。
「申し訳ございません―――これは、私には説明しかねる内容です」
「そうなのですか?」
「はい。私の解釈が正しいとは限りません。やはり、姫様がご自身なりの解釈を持たれてから読まれるのが一番かと」
「そう……ですか、いずれにせよ、私にはまだ無理だということですね?」
カティア姫はがっかりした様子で言った。
「私が……経験を積めば、わかるのでしょうか」
「出来れば、一生積まないで欲しいのですが……」
「それでは、この小説の意味が分かりません」
「……むぅ」
「そういえば、ティアリュート?以前、流行の小説はあまり読まないと言っていましたね」
「え?は、はい」
「では、どんな小説がお好きなのですか?」
「……そ、それは」
ティアリュートは、興味津々のカティア姫の瞳を見つめながら、ふと思った。
考えてみたら、そんなに熱中したという小説に覚えはない。
読むのがつまらないから、ノートに徒然と書き物をして一日を過ごしていたんだ。
別に……自分の人生が、特別だなんて思わない。
……でも。
ティアリュートは答えた。
「私がひねくれているだけかもしれませんが……
どんなに素敵な小説でも、所詮それは小説。
只の虚構です。
ですから、私にとっては、この身に起きる様々な出来事の方が、余程、奇跡的で、魅力的に感じるのです」
そうだ。
小説に熱中できない私が、あなたという特別な存在に出会えたことは、私にとって、何よりも素晴らしい奇跡であって、そして魅力なんだ。
私は、小説なんかより、あなたが―――
ティアリュートは、そんな想いをこめて、カティア姫に告げたのだが……
「ティアリュートって」
肝心のカティア姫は、笑って言った。
「面白い発想されるのですね?」
……面白いで片づけられちゃったよ。
……私の想い。
ティアリュートは、心の中で号泣するしかなかった。
同じ頃。
読んじゃった。
……これでパニックになっている人物が、もう一人いた。
ユースティアだ。
別に出来心だったわけではない。
悪いのは、机の上にノートを広げたままにしておいたティアリュートだ。
窓を開けたら、風でノートが床に落ちた。
ユースティアは、それを机に戻そうとして、読んでしまった。
……言い訳としては、そんな所だ。
「でも……どうしよう」
ユースティアは、困惑しながら室内をうろうろと歩き回る。
「これ……日記だなんて知らなくて」
「知らなくて読んじゃった?」
「う……うん」
「彼女のことが知れてよかったわね」
「べ……別に、ヘンな下心は」
……えっ?
自分は今、誰と話をしていた?
びっくりして周りを見ると、メイド仲間のプラチナとオパールが意地悪そうにこっちを見ていた。
「でも、知らなかったとはいえ、日記を勝手に読むのはまずいと思うよ?」
「うん……これから一緒に住むんだし」
「心配になって来てみたんだよ。そしたらまぁ」
「わ、悪いことしたと思ってます……」
「思うだけじゃだめじゃない?」
「……うっ」
「ユースティアは、これから、ティアリュートさんに何要求されても逆らえないわねぇ」
「要……求?」
―――見たの?私の秘密を
―――なら、その代わり、あなたの秘密を見せてくださいな。
―――そうしたら……許してあげます。
「……ちょっと?ユースティア?」
「は……はい?」
「何、顔真っ赤にしているのよ」
「い、いえ……」
「ん?」
「私の身体でも満足していただけるのかなっ……て。でも、私、こんな幼児体型だし」
「どっちの想像してたのよ……あら?」
「失礼」
室内に入ってきたのは、クローネンベルクだった。
「何だか、変な胸騒ぎがしてね?様子を見に……」
クローネンベルクの顔に浮かんでいた微笑は、泣き顔のユースティアを見た途端に凍り付いた。
「クローネンベルクさん……わ、私……私っ」
「遅かった……のね」
「……あの」
「つまり……事後ってことなのね……ティアリュートは」
クローネンベルクの顔に表情はない。
「カティア姫様の所へ」
オパールが答えた。
「その間に訊ねてみたら、こんなことに」
「……二人とも、席を外して」
「へっ?」
「いいからっ!」




