姫のために死ぬ身なれば 第一話
魔界の中流貴族に生まれ、義務として短期現役兵として軍務に属した後に満期退役。
最終階級は中尉。
この時点でのティアリュートは、そんな、貴族の子女としては平凡な女性だった。
ただし―――肩書きだけ。
一日パジャマで過ごし、気が向かなければシャワーも浴びない。
美しい金髪の髪はボサボサ。
それでも何も気にしないのは、彼女がどういう性格の持ち主か言わずとも分かるだろう。
「お呼びですか?」
貴族故に、身の回りのことはメイド達がやってくれる。
お茶が欲しければベルを鳴らせばいい。
食事は黙っていても用意してくれる。
やることはない。
自分がこうなのは、この環境のせいだし、私はそんな環境を有効活用しているだけだ。
ティアリュートは、本気で思っている。
その彼女が、このムダに怠惰な時間をどう過ごしていたか?
本を読んだり、思いついたことをただ、ノートに書き記してみるだけ。
他に何もしない。
ベッドと机を行って帰って一日が終わる。
例外はトイレくらいなもの。
現代社会に置き換えれば、ブログ更新するだけの、ただのヒキコモリだ。
そんな彼女にも、幸運なことに友人がいた。
この立場で友人もいなければ、人間としてある意味終わっている。
魔界でも同じだ。
ちなみに作者は終わりきっている。
べ、別にさみしくなんてないんだからねっ!?(by作者)
「ちょっとぉ」
メイドに案内され、部屋に入るなり顔をしかめたのは、スーツ姿の妙齢の女性。
ショートにまとめられた髪。
鋭く知的な目。
尖った形の良い顎。
クールにして知的な外見は、彼女が社会的にも“出来る”女性であることを照明している。
「あんた……いい加減、外に出なさい」
「えーっ?」
メイドの持ってきたポッキーをポリポリかじりながらノートに何か書き込んでいるティアリュートは、面倒くさそうに生返事だけ返した。
「軍を退役した途端―――」
始まった面倒な説教を聞き流しながら、ティアリュートはノートに新しいことを書き込み始めた。
「えっと……クローネンベルクが訊ねてきた。彼女は私の友人だ」
「……学はあるし、軍功もある身で、部屋に籠もって何してるのよ」
「年上のせいか、母上並に小言を言ってくるし、ときたまウザい……と」
ガンッ!
クローネンベルクと呼ばれた女性の拳が、ティアリュートの後頭部に炸裂した。
「声に出てるのよ!声にっ!」
「追伸―――母上より手が先に出るから、結婚がまた遠のいたのは間違いない」
「悪かったわねっ!」
「―――って」
後頭部をさすりながら、ティアリュートは訊ねた。
「また?」
「あんな男、こっちから御免被るわ」
「何回目の破談よ」
「さぁね?私は仕事が恋人なの。それよりちょっと―――あんた、仕事なさい」
「い・や・よ」
「……即答したわね」
「ここにいれば三食昼寝つきでのんびり出来るのよ?一生分の苦労というか、労働に回せる気力は、軍で完全に使い果たしたわ」
「単なる家庭教師だから」
「家庭教師?」
ティアリュートは眉をひそめた。
「そんなもの、市民階級の連中の仕事でしょ?」
「そんな階級が許されない所からのお仕事よ」
「?」
「―――ヴァルホイザー家は知ってるわね?」
「 シュロスベルク公国の?」
「そう」
「伯爵家って言っても……」
ティアリュートが怪訝そうな顔をした。
「内戦で大変なことになってるはずよ?家庭教師なんて雇える状況なの?」
「オンディーヌ家とのもめ事がどうだろうと、教育は必要でしょ?しかもそれが総領娘となれば」
「無理」
ティアリュートは答えた。
「無理よ無理っ!つーか、やりたくないっ!」
「何でよ」
「そんな高級でまぶしい世界に出たら目が潰れる、酸欠で死ぬ!」
「あんた―――断った理由として、それをヴァルホイザー家に伝えたらどうなると思う?」
クローネンベルクは、バッグから一枚の書類を取り出すとティアリュートの前に突き出した。
「待遇、悪くないわよ?少なくとも三食昼寝つきは間違いないし」
「……求人票?」
「読みなさいよ。待遇は絶対に悪くないでしょう?」
「……まぁね」
ティアリュートは生返事だ。
「何が不満?」
「……面接」
「はぁ?」
「ここ数ヶ月、あんたと家族とメイド以外、誰とも会ってないから……グッダグタになりそうで……」
「このひきこもりがっ!」
「しかもさぁ」
求人票を指で弄びながら、
「このカティア姫って、どんな人なの?」
「あんた知らないの?」
「ヴァルホイザー家なんて、歴史位しか興味ないもの。今の家族構成なんて論外」
「社交界に顔出していれば、この求人票を見た途端に二つ返事なのにおかしいと思ったわよ―――」
クローネンベルクは、わざとらしい咳払いをした。
「コホン……“宮廷の白華”と呼ばれるほど、素晴らしい御方よ?その美しさと人当たりの良さでは社交界随一と賞賛されている。
しかも、勉強熱心で運動神経も抜群で、とにかく、あんた好みのタイプね」
「あのね?クローネンベルク」
ティアリュートは答えた。
「こんな所で妄想の話はいいから」
「現実の話してんのよ!!」
数日後―――
「とっとと部屋から出る!」
「強制連行!?しかも、な、なんで身ぐるみ剥ぐの!?ち、ちょっと私、露出や羞恥プレイの趣味は!」
「私にもないっ!走ってシャワーへ行けっ!」
「そ、そんなこと言って、み、水じゃなくてガスが出るんでしょ!?」
「立ち止まったら殺す!走れっ!」
「ち、チクロンBはいやぁっ!」
約1時間後。
「終わりました」
メイドがクローネンベルクにうやうやしく頭を下げた。
「垢落としに30分って、どんだけ風呂入ってなかったのよ」
「痛たたっ……肌がまだヒリヒリする……」
「綺麗になってよかったわね」
スーツ姿のティアリュートを前に、クローネンベルクは満足そうに頷いた。
「さぁ、行くわよ?」
「どこへ?」
「面接会場」
「軍務での実績も申し分ないな」
連行にされたに等しいというか、実際に連行されたティアリュートは、面接会場で小柄な老人を相手に面接をしていた。
仕立ての良いスーツ姿の老人を、てっきり執事だと思ったティアリュートは、貴族相手に随分尊大なジジイだな。と思いつつ、表面には出さなかった。
「教養の面でも?」
「はい」
ティアリュートは頷いた。
「父はライヒス大学の文学部教授で、文学、歴史、音楽等、幼い頃より手ほどきを受けております」
「現在は?仕事は?」
「……あの」
ティアリュートは言いづらそうに答えた。
「今は……家にいることが多いので、外に出るとまぶしいくらいです」
「……は?」
「いえ……こちらの話で」
「……ちょっと失礼」
突然、席を立った老人は、背後にあったカーテンを小さくめくると、中に書類を差し出した。
「姫―――このような女性だが」
「え?」
ティアリュートは目を点にした。
「姫」と呼ぶからには、カーテンの向こうにいるのが誰かはわかる。
しかも、その口振りからすれば、この老人、執事ではない。
ヴァルホイザー家の当主と見て間違いない。
―――危なかった。
ティアリュートは本気で胸をなで下ろした。
―――クローネンベルクめ。当主や家族の写真くらい見せておけ。
―――後で帰ったら、どうしてやろうかしら。
ティアリュートが、脳内でクローネンベルク相手に禁断の行為に及ぼうとした時、カーテンの向こうから声がした。
「―――まぁ。綺麗な字ね」
鈴を転がしたって、こんな綺麗な音はしないだろう。
どんな楽器が音を立てたらんだろう。
ティアリュートは、
―――綺麗なのは、あなたの声です。
そう思った。
「書いた方も、きっと綺麗な御方なのでしょうね」
きゅんっ。
ティアリュートの胸が高鳴った。
美しい声の持ち主が、自分を褒めてくれた。
それを、ティアリュートはこう解釈したのだ。
も、もしかして、私―――今、口説かれてる?
「お顔が見たいわ―――カーテンの中へ」
声は、そう言った。
「えっ?ええっ!?」
勘違いしたままのティアリュートは、それにどう反応していいか戸惑った。
―――ま、まだ、心の準備が。
―――いや。待て?
はやる心を、何かが止めた。
―――そうだ。
―――声が美しくても、外見がヒドいに違いない。
―――その手に騙されてたまるか!
「……はい」
ティアリュートは、カーテンの内側から伸ばされた小さな手を、そっと掴んでカーテンの中に入った。
―――どんな卒倒しそうな程のブスが
そう思っていたティアリュートの目の前に現れたのは、卒倒しそうな程の美少女だった。
自分をみつめる澄んだ瞳。
あどけなさが残る顔立ち。
肌は淡雪の如き白さ。
絹糸の如く艶やかな髪。
指先にまでにじみ出た高貴な美しさ……
「だ……抱きしめたい」
ティアリュートの口から、本音が出た。
「はい?」
「……いえ」
視線を逸らそうとして、ティアリュートは出来なかった。
目の前の美少女を目がロックオンしたまま、自動追尾していた。
追尾を解除することが出来ない。
ただ、引きつり気味に笑うのがやっとだ。
「あなたも本を読まれますか?」
「は、はい」
ティアリュートは答えた。
「ただ、流行のものはあまり読みません。皆、同じに見えるので……」
「まぁ!私もそう思っているのです!」
目の前の美少女は、嬉しそうにニコリと微笑むと、その細い手でティアリュートの手を握った。
「私達、気が合うかもしれませんね」
そして、カーテンの向こうに告げた。
「お父様?私、この御方に決めましたわ」
ティアリュートも内心で思った。
「私も―――あなたに決めました(はぁと)」
何を?
聞かなくてもわかるだろう?
「そうか」
カーテンが開かれ、先程の老人―――ヴァルホイザー家が安堵した。という顔で微笑んだ。
「では、家庭教師の仕事は、ティアリュート殿に頼むとしよう」
「―――ありがとうございます」
表面的には、冷静さを保ちつつ、内心でティアリュートはガッツポーズをとりながら、ダラッシャァァァァッッッ!と叫んでいた。
「ティアリュート殿」
そんなティアリュートに、当主は心配そうに言った。
「カティア姫はまだ幼い―――よろしくお頼みしますぞ?」
それは、父親として当然の頼みだ。
それを受けたティアリュートは、幸せそうに笑みを浮かべて答えた。
「はい!お義父様っ!!」
「失礼いたしました」
面接会場に通じる廊下。
そこで待っていたクローネンベルクが、雑誌から目を上げた。
「どうだった?」
「……はぁっ」
ティアリュートは、まるで全身の空気を抜かんばかりに深いため息をつくと、壁にもたれかかりながらポツリと言った。
「―――堕ちた」
「ええっ!?」
「……恋に」
「誰がっ!?」
喫茶店に入った二人の前に、紅茶が運ばれてきた。
「とにかく、合格したんでしょ?」
「うん」
「よかったじゃない」
乾杯。と言わんばかりにクローネンベルクは小さくティーカップを持ち上げて微笑んだ。
「いただいたお仕事。しっかりお勤めしなさいよ?」
「当然」
ティアリュートは、不敵に微笑みを頬に浮かべた。
「二人切りで―――おはようからおはようまでお世話するわ」
「……眠らせてあげなさいよ」
「……とにかく」
ティアリュートはどこからかノートとペンを引っ張り出した。
「お茶飲んでなさいよ。私、この事をきちんと記録しておきたいの」
「そ、そう……」
「そうよ。カティア様の美しさ……胸の内に秘めておくことなんて、出来るものですか。ううん?絶対に無理……あの私を引き寄せた細い指……あの愛らしさときたら……」
目の前でブツブツ言いながらメモに走る友人を見て、鳥肌を立てたクローネンベルクは、自分が何か取り返しのつかない過ちを犯した気がしてならなかった。
そして、思った。
「姫……どうか、ご無事で」
その日の夜。
「……あなた?」
しきりに首を傾げる当主に、妻が尋ねた。
「何か心配事でも?」
「いや」
当主は答えた。
「おとうさま……ティアリュートはただ、そう答えただけなのに……何故、こうも心配なんだろう」
その杞憂は、ある意味ですぐに、翌日という短さで現実のものとなる。
翌日。
「……ねぇ」
これから伯爵家のある城に入るというのに、ティアリュートが手にしているのは、若干の着替えの入った小さなバッグだけ。
「これから家庭教師に入るんだから、本とか持っていったら?」
「“古きエリダ”とか?」
「そうね……“葉の詩”とか」
「だって両方とも覚えているし」
「うそでしょ?」
「え?何が?」
「“葉の詩”六巻第一句は?」
「雪降りて冬に籠もれる―――」
「七巻の十九句」
「浅茅が宿にて―――」
「ほ、本当に覚えてるの?」
「当然でしょ?」
ティアリュートは平然と答えたが、魔界貴族の基本教養とされる詩集 “葉の詩”は、短いとはいえ4500以上の詩が掲載されている。
全てを暗記するなんて、普通出来る代物ではない。
クローネンベルクはつくづく思った。
―――こいつ、本気になればスゴいんだけど、本気の使い方間違えてるのよね。
「……だけどさ」
不意に、ティアリュートが言った。
「カティア姫って家庭教師いるの?」
「何?身も蓋もないこと言い出したわね」
「だって、ああいうのは幼い頃からやっていらっしゃるはずでしょ?今更、家庭教師雇って、何しろっていうの?」
「べ、別に考える必要もないと思うけど」
クローネンベルクは、何故か焦った様子で言った。
「べ、勉強好きってことでしょ?」
「うーむ」
それに納得できないのか、ティアリュートはしばらく腕組みして考えた後、ぽんっと手を叩いた。
「そうかっ!」
「そ、そうよっ!」
「主要科目は―――保健体育っ!」
「―――それ、ないから」
「でもさ」
「?」
「あんたも何でついてくるの?」
「心配だから」
「心配?」
「そう。私も別な仕事で城に入るし、アンタ見張ってないと」
クローネンベルクは深刻そうな顔で言った。
「何か、とんでもない罪を犯してくれそうで、恐いのよ」
「それはない」
「そう?」
「私、そこまで罪作りな女じゃないわ。それともクローネンベルクって、もしかして私のこと……」
「―――それ、違うから」
ヴァルホイザー家の入った城は、はっきり広大だ。
敷地面積だけで東京都が丸ごと入る。
冗談ではない。
魔界の貴族の城としては、これでも平凡なサイズではあるが、その広大さ故に、いろいろと予期しないことも出てくる。
「何浮かない顔してるのよ」
ヴァルホイザー家の家族が住む本殿に通じる廊下を歩きながら、クローネンベルクが顔をしかめた。
「だぁってさ?」
ティアリュートは答えた。
「挨拶回りでいろんな人と会うんでしょ?面倒くさくて」
くいっ。
ティアリュートは、不意に裾を引かれた。
「ん?」
振り向くと、そこには魔界中の華を集めても足りない美貌が満面の笑みを浮かべていた。
カティア姫は、零れるほどの笑みを浮かべ、ティアリュートに言った。
「いらっしゃい♪ティアリュート!」
「ひ、姫様っ!?」
「えへへっ。あなたに会えるのが楽しみで、ついここまで来てしまいました♪」
「そ、そうなんですか!?」
「……」
「……」
「……」
何故か、カティア姫の顔が曇った。
「……姫を傷つけた」
クローネンベルクがポツリと言った。
「死刑ね」
「何故っ!?」
「……お嫌、でしたか?」
「はぁっ?」
「私の家庭教師は、お嫌でしたか?」
ポロッ
不意に、カティア姫の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ま、まさかっ!」
ティアリュートは、首がもげないのが不思議なほどの勢いで首を左右に振った。
「そ、それどころか、姫を泣かせた罪悪感と、愛らしい泣き顔にさわぐときめきで、心がどうにかなってしまいそうですっ!」
「―――もうどうにかなってるわよ」
「と、とにかく!」
カティア姫はまだ13歳の幼さ。
自分がしっかりしなければ、不安になってしまう。
「私の如き身が、姫様お付きの家庭教師になるなど夢の様な話。どうして嫌がありましょうか」
ティアリュートは、本気でカティア姫の手を握って言った。
「むしろ好きですっ!やらせてくださいっ!」
「……」
真剣な言葉に心打たれたカティア姫と、
―――真面目なはずなのに、どうしてコイツが言うと変態じみて聞こえるんだろう。
そう、不思議に思うクローネンベルクがいた。




