guidance プロローグ 終わったはずの戦い
この世界において、“人間”を作り上げたのは誰か?
創造主たる神?
否―――人間にとって“神に最も近い”存在だ。
名を「神族」と「魔族」という。
共に、人間界とは異なる異次元世界―――天界と魔界に住む存在であり、死者の世界である獄界に住む獄族と共に、この人間界を発見した張本人達。
この世界の人類は、彼等が開発した人造生命体を起源としている。
彼等の手で生み出された最初の一対の男女は貴重なサンプルとして保護され、管理された環境の中で大切に“飼育”された。
人類が“アダム”と“イヴ”と呼ぶこの男女のデータを元に安定した成長と生育が可能と判断され、彼等は人間の量産が始まった。
この時点での人間は、彼等に混じって働く労働力―――彼等と同等の権利を認めるべき存在として扱われた。
だが、次第にその数が増え、相対的に人の希少価値が低下すると、神族も魔族も労働を彼等に押しつけ、自らは彼等の労働から搾取して生活を営むようになる。
同僚から部下へ。
さらに奴隷へ。
人を巡る価値観は、歴史の中で激しく変化した。
魔族や神族の感覚で数世代の後には、人に自分達と同等の権利が彼等にあるなどという考えを認める者は存在しなくなった。
そして、その頃には―――
消耗の効く労働力。
市場で赤札付きの値札をぶら下げて売られている存在。
工場の試験管の中で種となり、培養槽の中で促成培養される。
マインドコントロールという名の刷り込みにより、主には絶対服従する。
名前も与えられず、労働力という名の歯車として扱われる。
不要の烙印を押されたが最後、神族や魔族達が生み出した生ゴミと一緒に、有機体分解装置に生死を問わず放り込まれ、合成装置によって“合成食品”という名で生まれ変わり、そして仲間の血肉となる。
人は、そう扱われるようになった。
使い捨ての、
生殖能力のない、
文句も言わない、
ただの製品。
それが人間だ。
しかし、世界は、生命を弄んだ彼等に手ひどいしっぺ返しを用意していた。
それに気づいた時には手遅れだった。
この頃、各地で「あり得ない人間」が確認され始めたのだ。
生殖能力がある。
マインドコントロールがかかっていない。
自分の自由意思を持つ。
まとめて“異端者”と呼ばれた、そんな存在が世界中で確認されたのだ。
神族と魔族は共に“異端者”に驚愕した。
彼等にとって人間は生殖能力のない、自己の意思を持たない“製品”に過ぎない。
自分達の都合で生み出された製品は、自分達の許しもなく勝手なことをしてはならない。
まして自己の意思を持つなど許されない。
生殖能力が遺伝子レベルで削除され、あくまで“製品”として扱われていた人間。
その彼等に何が起きたのか?
全ては、一部の生体改造のマニア達が量産用の遺伝子を書き換え、その遺伝子情報に本来削除されるべき魔族と神族の、つまり、人間にとって“主人”のデータが加えられた結果だと知った時には全てが手遅れだった。
女に子宮を与え、妊娠、出産させることさえ求める男の歪んだ欲望と、精巣と男根を与え玩具やペットとして愛玩する女の狂った情欲に答えるための改造が施された玩具達が、ずさんな管理と低いモラルの元、安易に作り出され、そして捨てられている現実。
それは、当初こそ、有害動物の野生化と繁殖のように見なされた。
だが、現実はそこまで単純ではなかった。
性の快楽覚え、生殖能力を手に入れ、繁殖を続ける人類。
しかし、それを目の当たりにしながら、神族と魔族は全て放置した。
曰く、仕事以外の事柄まで関与する必要を認めない。
曰く、必要ならいつでの“消せる”。
それは硬直的な発想でしかないにしろ、本音でいえば、人間の量産を続ける利権を放棄したくなかっただけだ。
安価で交換の効く労働力としての人間は、この時点で魔界と天界双方の産業界で大量に“消費”されていたのだ。
故に、人間という労働力を生み出す産業は、かなりの利権に絡んだ産業となっていた。
その利権の前にあっては、生殖能力を持つ人間など、飼い猫や飼い犬が野生化したの程度でしかなかった。
数が増えれば駆除すればいい。
野良まで面倒を見る必要は無い。
そんな意見がまかり通った結果だ。
人間界における神族と魔族双方の繁栄と並行して、人類の繁殖は約二千年に及んだ。
その間、自由意思を持ちつつも神族や魔族の世界に溶け込んだ一部を通じて、人類は自らの社会を築き、そして繁栄を自らの手で生み出すようになる。
生活の向上は快適を産み、快楽は貧富の差、身分制度、憎悪、犯罪―――あらゆる悪を生み出した。
そんな汚れにまみれながらも、人間は、両族の技術や知識を取り込み、いつしか世界規模の社会を築き上げた。
後に人類が“超帝国”と呼ぶ、人間による人間のための国家社会の誕生である。
神族と魔族の技術と知識によって生み出された人類の社会。
だが、そこには一つだけ決定的なものが欠けていた。
繁栄と自然のバランスをとる方法。
この頃の人間は、自然との共存を最後まで理解出来なかった。
搾取すべき対象。
それこそが自然であり、自然は敵でしかなかった。
神族や魔族が作り出したのは、完全に近い循環型社会。
その概念さえない人類社会では汚染物質が公然と自然界に撒き散らされ、大地を、水を、空気を汚した。
その結果は、さすがに神族と魔族を青くさせるに十分すぎた。
水も空気も、そして大地も―――全てが人類により汚染された。
性の快楽を本能とし、快楽だけを追い求める人類の飽くなき欲望は、罪無き他種を侵すことに何らためらいもなかった。
初めての人類が生み出された時点と比較して、三百万種の種が消えた。
三百万種。
それは、神族と魔族が地上に用意した種族の大半が絶滅したことを意味する。
神族と魔族双方で、この事態の責任を巡って水掛け論が始まった。
官僚的な曖昧な対応に終止し、全ては人間のせいで、自分達には責任はないと主張する神族。
それは違う。人類の問題に対する神族の非協力的態度こそ、人類をのさばらせた原因だ。
つまり、悪いのは神族だ。だから自分達に責任はないと主張する魔族。
双方の主張の隔たりは、友好的関係にあった双方の関係を敵対的な方向へと向けさせてしまう。
その決定打となったのが、彼等が共通して信奉する宗教上において重視する聖獣“セイクレッド”が人間達にる乱獲の結果、地上から絶滅した事件。
これが決定的な引き金となった。
ついに魔族は、これ以上の議論は無意味。議論の延長は徒にセイクレッドのような絶滅を増やすだけだとして、人類の絶滅を主張するようになる。
人類を“害獣”と呼ぶその主張は、神族の中にまでシンパを産み出すほどの影響力をみせた。
その最も急先鋒にいたのが、魔族側軍団長ヴォルトモード卿だ。
彼の主張は簡単だ。
人類を絶滅し、その文明をこの世から抹消する。
そして、傷ついた世界に修復の時間を与える。
そうしなければ、この世界は滅ぶ。
主の与えたもうた新天地は、そうでもしなければ守れるものではない。
このままでは、我らは地上を開拓するのではなく、滅ぼすためにこの地にやって来たことになる。
人を絶滅することを何故恐れる?
人とは、あくまで我らの被創造物に過ぎない。
生殺与奪は元より我らの特権。
我らはその権を行使するのみ。
それを忘れるな。
その主張を現実とすべく、ヴォルトモード卿の軍勢は人類の大粛正に乗り出す。
粛正は厳正かつ効率的、そして無慈悲に行われた。
当時100億を超えていた人類は文字通り絶滅寸前に追い込まれ、その文明は崩壊。
一方で、彼の振る舞いを神族は黙認した。
目の前に人類の死骸を積み重ねられて尚、彼らは黙っていた。
反撃の口実を、ただひたすら待っていたのだ。
それは突然にやってきた。
人類と誤認した神族の殺害事件。
神族は「地上世界における神族の利権と安全の確保」を口実に魔族に刃を向けた。
魔族軍と神族軍の戦いの始まりである。
戦いは三百年の長きに渡った。
この戦いで超帝国は崩壊し、人類は絶滅寸前まで追いやられた。
人類が築き上げた文明は、ほぼ完全に崩壊。人類は、その多くが生き残りを賭けて死に物狂いで戦った。
しかし、ヴォルトモード卿の言い分こそ正しいと、彼を擁護する勢力が中央政府に多数存在し、世論も魔族との全面戦争へエスカレートすることを恐れる論調が長く続いた神族側の介入の弱さも有り、戦況は、終始、魔族軍に有利に進んだ。
誰もが、このまままヴォルトモード軍が人類を絶滅させ、それで戦争は終わると思っていた。
しかし、そのヴォルトモード軍の命運を決めたのは、戦場での戦いではなかった。
外交だ。
魔界を統べる皇帝―――魔帝と、天界を統べる王―――天帝の直接対話に戦争の趨勢は託された。
ヴォルトモード軍、神族軍双方の意見が全く反映されないまま、戦争に半ば無関係を貫き続けてきた国家元首同士の単なる話し合い。
互いに恐れたのは、人間界の“諍い”が、本格的な双方のつぶし合いに拡大すること。
それだけだ。
彼等の関心事に人類の行く末はない。
この会談の結果―――
ヴォルトモード卿とその軍勢は、魔界から切り捨てられた。
どういうことか?
魔界からの補給を断たれたのだ。
味方の、魔族によって。
神族は、地上における戦闘を停止する。
その条件として、魔族はヴォルトモード軍に対する補給を停止する。
そんな、双方の帝の合意の結果だ。
ヴォルトモード軍はどうなる?
そんなことはお構いなし。
否。
この時、魔帝が最も怖れたのは、天帝でも彼の持つ軍隊でもない。
ヴォルトモード卿自身だった。
人間界での戦争を引き起こし、魔族・神族を問わずに名を馳せるカリスマの塊。
人間界にいるにも関わらず魔界で支持を広げ、次期魔帝に推薦する声まで上がる彼を、魔帝は怖れていた。
戦争を終わらせるのではない。
ヴォルトモード卿を終わらせるのだ。
魔帝が会談の後に語ったとされる言葉だ。
それ故にヴォルトモード卿に命じたのだ。
神族と和平をなせ。
主君の命を絶対とするヴォルトモード卿に否はなかった。
ヴォルトモード軍を差し置いて、魔族と神族、双方の正規軍高官同士による停戦交渉が開始されたのは、それからすぐのこと。
停戦交渉は、申し出た時点で負けを意味する。
これを理解して欲しい。
勝っている者が自ら矛を収めることはありえないのだ。
この当時、ヴォルトモード卿率いる魔族軍は地上の7割を制圧し、25カ所で天帝軍相手に降伏勧告を出している最中だった。
そう。
ヴォルトモード卿は、圧倒的勝利を目前にしながら、停戦交渉を自ら申し出るという、敗軍の立場に追い込まれたのだ。
神族は、そこにつけ込んだ。
魔族軍の武装解除。
地上に残る全魔族軍の閉鎖門への封印。
神族の打ちだした要求は、いわば魔族軍の皆殺しに等しい要求だった。
異世界をつなぐ移動空間―――門。
その出入り口を完全に塞げば、門内部に存在する者は、時間の流れから完全に取り残される。
天帝軍には、魔界に彼らが戻ることによって、彼らの認識においては地域紛争に過ぎないこの戦いをこれ以上エスカレートさせて、双方の全面戦争へと駆り立てる声が高まる事への警戒感があった。
そして、その警戒感は、肝心の魔帝の怖れと繋がり―――
魔族軍は戦闘を停止、補給もなく、天界から送り込まれてくる神族の増援を指をくわえて見ているしかない。
彼我の軍事バランスはあっさりと、そして完全に逆転した。
―――自分の処遇は一任するが、せめて部下達は祖国へ
そのヴォルトモード卿の願いは、要求の完全履行を求める神族の官僚達には届かなかった。
一体、何のために全軍を封印するのか。
魔界は何故、自分達に救いの手を差し伸べてくれないのか。
何も告げられることもなく、ただヴォルトモード卿の耳には、その日、どの部隊がどこでの門に封印されたか、それだけが告げられる日々が続く。
結果として、全部隊の封印を見送ったヴォルトモード卿が、神族の支配地であるこの弓状列島の中心地に封印されようとしていた。
物語は続く。