前編
*登場人物
水端涙月:女子大生、20歳、一人暮らし
今宵野桜歩:男の子、23歳、薄紫の髪と濃紺の瞳
樋摘:女の子、18歳、山吹色の髪と深紅の瞳
桜も散って、新緑の季節も過ぎ、梅雨の時期になった。
いつもの学校の帰り道、いつもの公園で、私はいつもと違うものを見つけた。
雨の中、傘もささず、一人たたずむ綺麗すぎる君。
日本人としても地球人としてもありえない、薄紫の長い髪に、深い綺麗な色合いの濃紺の瞳。
その大きな濃紺の瞳から、止まることなく透明な涙が流れていることになぜ気づけたのか、
今考えてもわからない。
「何で、泣いてるの。」
気づいた時には私は、君に声をかけていて。
私の問いかけに気付いた君は、ゆっくりとした動作で、私を見る。
正面から見たその顔は、まるでアンティーク人形のように整っていて。
「なんでだと、思う?」
淡く響く、テノールの声。
その綺麗な顔を悲しげに歪めて、君は問う。
その顔に、神に降り注ぐ雨さえも、すべてに現実味がなくて。
君の周りのすべてが、君の美しさをひきたてる。
「うちに、こない?」
気づいたら私は、君の腕を引っ張って、自分の傘の中に、そして家の中に君を招き入れた。
これが私と、君の始まり。
***
「はい、どうぞ。」
温めたミルクに、少しだけ蜂蜜を入れたものを、君に差し出す。
小さく頭を下げてそれを受け取った君の手は、思ったとおり傷一つなく、雪のように白く滑らかだ。君の動作の一つ一つに合わせて、肩にかかった、長い薄紫の髪が揺れ、ほのかな香りが漂う。
長い薄紫の髪と濃紺の瞳。
雪のように白い肌と作られたかのように整った顔立ちの一七〇ほどの身長の少年。
綺麗な女物の着物に身を包んだその躰は女にしてはしっかりしているようにも思えるが、
男にしてはやっぱり華奢で。
彼が声を出さなければ女かと間違えたかもしれないほどに少女めいた顔立ちをしているが、
声の高さから考えてきっと男だろう。
「私は、水端 涙月。君の名前は?」
私が尋ねると、君はゆっくりとした動作で瞼を伏せる。
髪と同じ色合いの長いまつげが、滑らかな頬に影を落とす。
「桜歩。今宵野 桜歩、だよ。
でも、多くの人が、天姫って呼ぶ。
天の…手の届かないお姫様、という意味を込めて。」
静かに語る桜歩の声が、耳に心地いい。
水のように、雨のように緩やかに私の中に浸みこんでいく。
「あの、もし…行くとこないんだったら、うちにいてもいいよ?」
突然の私の申し出に目を丸くした君は、すぐに眉をしかめる。
「君…「涙月、だよ。」
名前を呼ばない桜歩の言葉を私が遮ると、桜歩は呆れたように溜息をつく。
その様子は高校生ほどにしか見えない彼の容姿には似つかわしくないもので。
だけどそれを体現する彼は、その様子が似合う“大人”に見えて。
「涙月さんは独り暮らしでしょう?
それなのに見知らぬ男を家に上がらせ、
その上ここにいればいいだなんて如何なものかと思うんだけど?」
ふわふわとどこか頼りなさげな声で、しっかりとしたことを、桜歩は言う。
そのアンバランスさが、ひどく耳に心地よい。
「別に、大丈夫よ。私、年下には興味ないもの。」
桜歩があまりにも美しいから、思わずのまれそうになってしまい、私は慌ててそんなことを言う。
そんな私に気付かないのか、それとも気付かなかったふりをしてくれたのか、
桜歩は小さくため息をつく。
「僕、たぶん君より年上だと思うけど?
まぁいっか、どうせ行くところないし、お言葉に甘えて、ここに置いてもらおうかな。」
そう言って桜歩は、ミルクの入っていたマグカップを持ち、立ち上がる。
長い薄紫の髪がその動作に合わせて揺れ、甘くやわらかな、桜の花に似た香りが漂う。
「桜歩、どこにいくの?」
私の横を通り過ぎて行った桜歩を追って行ってみると、
キッチンで泡のついたスポンジとマグカップを持って立っている。
「置いてもらうんだし、洗い物くらいしようと思って。」
そう言った矢先、お約束のようにマグカップは桜歩の手から滑り落ち、ガチャンと音をたてた。
***
桜歩を拾って数週間。
桜歩は料理もできない、洗濯もできないなど、まったく家事ができないことが判明した。
ついでに買い物に行かせたら迷って迎えに行く羽目になった。
「桜歩、あんた今までどういう生活してたわけ?」
私の問いに、桜歩は思い切り目をそらす。
ついでに桜歩は高校生程度にしか見えない外見をしていながら、実年齢は二十三らしい。
びっくりなことに、私より年上だ。
「家事ができないのは、家がとても裕福でする必要がなかったから。
すぐに道に迷うのは・・・病弱で家から出たことがなかったから道の覚え方がわからないんだよ。」
桜歩のその言葉に私はぽんと手を打った。
「あぁ、だから桜歩は綺麗なのね。」
私の言葉に眉をしかめる。
その様子さえもひどく綺麗で、男のくせに卑怯だなんてわけのわからないことを考える。
「何それ?話のつじつまが合ってないんだけど?」
「失礼ね、ちゃんと合ってるわよ。
だって私が綺麗だっていったのは、桜歩の立ち振る舞いのことだもの。」
私がそういうと、桜歩は納得したかのように小さく笑う。
ひどく綺麗で・・・儚げで・・・心が、囚われる。目が、離せなくなる。
「うちの家は代々接客業を営んでいてね、いくら病弱であっても僕は1人息子だったから、
ちゃんと跡目を継げるようにって作法だけはしっかりと教えられたんだよ。
・・・・・・?どうかした?」
ぼうっと桜歩を見つめる私を不思議に思ったのか、桜歩は首をかしげて私の顔を覗き込む。
濃紺の瞳に、心が囚われる。
きっとこのままでは、私は桜歩に恋をする。
「わ、私、明日までの宿題があったんだった。
やらないと間に合わないから、やってくるね。おやすみ、桜歩!」
いきなりそんなことをいって立ち上がった私に驚いたのか、桜歩は濃紺の瞳を丸くする。
「う・・・うん、おやすみ・・・」
そのまま桜歩のほうを振り返ることなく、私は自室に引っ込んだ。
***
どうしても眠れなくて、こっそり涙月さんの家を抜け出し、あの日僕がいた公園にやってきた。
こんな風になってしまっても、僕は物に触れられるらしく、降り注ぐ雨を避けるため、
涙月さんの傘を無断で借りてきた。
彼女はもう、夢の中だろうから。
「樋摘・・・ごめんね。」
アメゾラにむかって、小さくつぶやく。
僕が生きていた場所においてきてしまった、僕の最愛の人。
泣いて、いないかな?
初めて逢った日に好きになった、5つ年下の女の子。
僕の家は代々続く遊女屋で、彼女はそこに売られてきた少女の1人だった。
幼いころから僕は、一日の大半を布団の中で過ごすほどに病弱で、
それでもやっぱり1人息子だったから、僕が跡目を継いだ。
二十歳まで生きられないと言われていた十八歳の僕の求婚を、
たったの十三歳だった彼女は受け入れてくれた。
「樋摘・・・。」
二十年で尽きてしまうはずだった僕の命は、それでも二十三になるまで生きることができた。
でもやっぱりあまりにもちっぽけな僕の命はそれ以上続くことなく、
二十三の誕生日を迎えたあの日、ついに尽きてしまった。
死んだはずの僕は、気付くとこの公園にいた。
きっと僕は幽霊と呼ばれる存在で、この地にいられる時間も、きっと長くない。
「ねぇ・・・樋摘?最後に・・・もう一度、だけ・・・。」




