トライアングル5
すると、ポンと肩を叩かれた。振り返るとそこには、ワトソン君が立っていた。
「つまらなかったよね。わざわざ呼び出されて来たのに、訳の分からない話ばかり聞かされてさ」
「ワトソン君…」
俺の胸に熱いものがこみ上げた。
「俺もね、同じような思いをした事があるから…」
並んで歩きながら、彼はそう言った。
「そうなのか?」
「ロシアに引っ越したばかりの時にね…」
確かに前から不思議に思っていたんだ。
ボブ・ワトソン…この名前は明らかに英語名だったから。
彼はイギリス人の父親とロシア人の母親の間に生まれた。
生まれてから10歳までイギリスで育ったが、その後ロシアに移住し、母親の実家で暮らす事になったのだそうだ。
「馴染めないよな、家族の環境も言葉も変わってしまって…。家の中にも居づらくて、ずっと独りで庭で遊んでいたんだ」
幼い彼が冷たい風に吹かれながら、じっと孤独に耐えていたその時…
『Hello.My name is Shura』
「それは…辿々しい英語だったよ」
ワトソン君は、記憶を巡らせながら微笑んだ。
「隣に住んでいた男の子。その子がね、俺に話しかけるためだけに、その英語を覚えて来たんだ」
しかしワトソン君が話しかけても、その子は答えられなかったと言う。
男の子は、その文だけを覚えて来たらしい。
会話は成立しない。すると、男の子は家に帰ってしまった。
言葉が通じないとダメだよな…。彼は溜め息をついた。
「するとまた、その子が来たんだ。本を片手にね」
男の子は本を見ながら、こう言った。
『How old are you?』
「本当に、棒読み。英語で答えても通じないから、歳は指の数を示して教えたんだ。でもね、嬉しかった」
異国の地で聴いた、懐かしい母国語。
その少年が、孤独に凍りついた彼の心を解かしていった。
「男の子はその後も、俺のために英語を覚えて来てね、それで俺も真剣にロシア語を覚える気になって…その子のお陰で、俺はロシアに落ち着く事が出来たんだ。その地で仕事にまで就いて…。全て彼のお陰だよ」
「ワトソン君、もしかして、そのシューラって子は…」
「…そうだよ」
今も彼と一緒にいる、ケレンスキー君の事だったのだ。
「俺は今、医学の事を教わってるけど…、また日本語も教えてくれよな、ワタル」
彼はそう言って、ニッコリと笑いかけた。
その笑顔に、俺の心も…解けていくのを感じた。
「うん…ありがとう、ボブ」