7 同級生
帰り支度をしていると次兄が呼びにきた。
長兄が着いたとの知らせを聞いて、父の書斎に入って3人で打ち合わせをする。
父と母は次兄の結婚話で数軒隣の島崎家に行っているらしい。
次兄はとりあえず画家としてそこそこ売れ始めているようだ。
一也は気がつかなかったが、本社にも数点ほど展示しているらしい。
次兄は画商としても才覚を表しているようで、新人を発掘する目を持っているとのこと。
会社の傘下に美術を扱う会社があってそこに入ることになったようだ。
「社長になるか?結婚もすることだし」と長兄が言うと、
「社長はいやだ。かったるいよ。しっかりした人を社長にに選んでくれればいいよ!」
ということであっさりと社長を辞退した。
「じゃ、次は一也?」と促されて、昨日まで話していた新プロジェクト以外の提案をしてみる。
次々に話すことを二人の兄は真剣に聞いて、やがてほぉ~とため息をついた。
次兄が「田舎の工場に行ったはずなのにそこで何してたんだ?」と言うと、
「こいつは工場での5年間に現在使われている機械の改善案、機種変更時の提案をやってきたんだ」と長兄が説明してくれた。
「ちょっと秀に見せてやってくれ」というのでPCを立ち上げてざっとこれまで手がけたものを見せた。
改善案も単に提案書も実現したものもあるがまだ実現していないものもある。
しかし改良を考えたときにかならず一也のまとめたものを見る必要があった。そこにはデザインを含めたものまでしっかりと次世代の完成図になっていたからだ。
次兄に説明している間に長兄がコーヒーを取ってきてくれた。
コーヒーカップを受け取りながら「ふたりとも、これからが本題なんだ」と一也は話を続けた。
工場のこと本社のこと、そして保坂グループの抱える問題、これから起こるであろう出来事とその予防策などと一気に話した。
「細かいことはいいんだ。それぞれ質問には答えるよ。でも一番大事なのは僕が必要なときに着手できるようなポジションが欲しいってこと」
「わかった。3年くらいはかかるな。それまでは俺に直接連絡くれ」と長兄が答えた。
「じゃ、俺は油絵だけじゃなくグラフィックデザイナーも発掘しておくよ」と次兄が笑いながら答えた。
「まったくイマドキこんなにセキュリティの甘い会社はないよ。よくこれまで大事にいたらなかったのが不思議だ。」
「まったくだな」
「ま、一也、お前の仕事だということだ」
「秀兄、絵の会社のセキュリティも僕がチェックするから」
長い説明を終えてほっとしていた。
「昼飯どうする?」と次兄が聞くので、「僕はそろそろ出るよ」と一也が答えた。
「まっすぐ工場に戻るのか?」
「いいや、ちょっと新宿寄ってから帰る」
「俺は恵香をここへ連れて来なくちゃ」
「恵ちゃんによろしく言っといて」
「おお!」
次兄が島崎家に行ってしまい、長兄のほうを見ると難しい顔をして座っていた。
「これから優兄にはちょくちょく電話させてもらいます」
「ああ、そうだな。何かあったら携帯に直接かけてくれ」
新宿まで送ってくれるというので長兄の運転で素直に送ってもらうことにした。
行き先をパークハイアットと言うと驚いたような顔を一瞬一也に向けたが、何も聞かずに正面玄関につけてくれた。
ルームキーを受け取って部屋に入った一也はさっそくPCの電源を入れてメールをチェックした。
昨日メールを送った同級生から了承の返事が届いていた。
早速電話すると1時間後にホテルに来るということなので喫茶室で会うことにする。
矢野は同じ工学科で学んだ仲だ。
宇宙開発に進みたがったが3年のときに父親が亡くなって、なんとか卒業だけはしてそのまま親の会社を継ぐことになったんだった。
いや、亡くなった時点で会社を引き継ぎ、学生も続けたんだったよなと思い出した。
東京に来たときには実家に帰らずとも矢野には会っていたから「よおっ!」というだけで挨拶は終わった。
矢野は彼の父親が遺した調査会社を潰しもせずにそのままやっている。
保坂は矢野の会社の内容を知らなかった。
友人として付き合うなら知らないことがあってもいいではないかと思っている。
ただ今回は矢野に頼みたいことができた。簡単な説明をして協力を仰いだ。
話を聞いたあとで、「時間はいいのか?」と矢野が聞いた。
「あぁ、特に予定はない」と答えると、「俺の事務所が近いからそっちで話を聞こう」と矢野は立ち上がった。
歩いて10分ほどのところの小さなビルの二階が矢野の会社だった。
「従業員は?」と聞くと
「今は5人だ」と簡潔に答え、保坂に椅子を勧めた。
「仕事は請けることにしよう」
「じゃ、これは一番上の兄貴の名刺だ。契約書ができたら兄貴から連絡させる。会社に行ってくれるか?」
「もちろんだ。で、詳細を聞こう」
保坂はあらましを説明し始めた。
「契約の前に動き始めてもいいのか?」と矢野が尋ねるので、「もちろんできることからやってくれて構わない」と保坂が言うと、
「こっちの部屋に来てくれ。俺の部屋だ」と矢野が奥の部屋のドアを開けた。
PCが何台か並んでいる。2台ほどサーバーもあった。
「おぉ、お前らしいな」
「だろ?」
「まだやってるのか?」
「時々。昔のやつらも時々コンタクトあるよ」
「これは心強いな」
大学時代、保坂と矢野は妙にウマがあってよくPCで遊んだものだ。
「ちょっとやっていくか?そっちのマシンを使ってくれ」
矢野に進められてオンライン対戦ゲームをやり始めたらあっという間に2時間が過ぎていた。
「腹減ったなぁ」
「じゃ、そろそろ移動するか」ということで、矢野の事務所をあとにし矢野お勧めの居酒屋に繰り出した。
チューハイを飲みながら「お前、玲子覚えてるか?」と矢野が聞いた。
「あぁ、懐かしいな、玲子か」と保坂が思い出していると
「行ってみるか?」
矢野が玲子の今を知ってるのは意外だった。
玲子は同じ大学で別の学部に通ってる女の子だった。
どういう経過で知り合ったのかは忘れたけど、保坂や矢野がやっていたオンラインゲームに仲間が連れてきてそのまま一緒に遊ぶようになったような気がする。
メンバーが動き易いように考えて行動するようなプレイヤーだった記憶がある。
今は週に何度かジャズシンガーとして近くの店で唄っているらしい。
「あいつ唄えたっけ?」素直に声に出すと、
「ピアノ結構弾けたのさ。で、唄ってみたらイケそうだっていうので採用されたらしい」
「てっきり結婚でもして奥様になってるのかと思ってた」
「あははは、本人に言ってやればいい」
玲子が唄ってる店に行くにはまだ少し早いということで、時間まで居酒屋で飲むことにした。
やがて矢野の案内で玲子が唄う店に移動したが、新宿にそんな店があるとはと驚くような静かな店だった。
ステージの合間に客席に来た冷子は挨拶が終わると、
「今日は日曜日なので特に静かなのよ」と言った。
「それにしても驚いたな」と保坂が言うと
「良い女になっただろ?」と矢野がニヤニヤしながら保坂に聞いた。
確かに学生のころの玲子はもうすこしぽっちゃりした可愛い女のだったはず。
今目の前に居る玲子はそれよりもスレンダーになっていて保坂には戸惑いが先にたつ。
「唄うって聞いたんだけど?」と矢野の問いかけには答えず、玲子にそう聞いた。
「この時間はほとんどがピアノなの。お客さんを見てピアノだけの日もあるよ。
今日は遅い時間に唄うかな。リクエストで唄うときもあるし、日曜日は気分で決めていいのよ」と玲子は笑って話した。
保坂と矢野は飲み物をウイスキーに変え、玲子の歌を聞いてから帰ることにした。
玲子は次のステージまでの時間を保坂たちと居て学生時代のことを3人で懐かしく語り、ステージに戻って行った。
玲子はポピュラー曲をジャズ風にアレンジしたものをピアノだけで一曲弾いて、二曲目から静かに唄いだした。
しっかりと安定した発声の合間にわずかに震えるような不安定さがあり、それが玲子の声を魅力のあるものに作り上げているようだった。
保坂と矢野は水割りをロックに変え更けていく夜を楽しんだ。




