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ハンカチの木  作者: Gardenia
番外編1
63/67

S5 保坂の引越し5

取り払われた廊下にある臨時の壁が最後に運ばれて、職人さんたちが丁寧に掃除をして帰って行った。

早速、亜佐美は佐知子と二人で改造の終わった客間に入ってみた。

新しい部屋の匂いがする。

廊下の仕切りは厚みのある格子の木枠と不透明なガラスで、昼間のデスクワークに充分な採光がはいる。

壁は白の漆喰風で、梁と柱の茶色がアクセントになって、レトロっぽい和モダンに仕上がっていた。


明日は、佐知子がもう一度この部屋を掃除すると言っている。

亜佐美も手伝う予定だ。

午後は保坂の部屋で最後の箱詰めをする予定だ。

それが終わると、いよいよ明後日が引越しとなる。

亜佐美は引越しの手順を頭のなかで反復しながら少し緊張を感じていた。


保坂の会社関係の人たちとその家族が来るのだ。

あまり馬鹿な言動はできないと思った。

そうかといって、テキパキとし過ぎるのも良くない。

馬鹿と生意気とどっちが良いのだろうかと思うと、俄に胃が縮む思いがする。


そんな亜佐美の緊張を察したのか、佐知子が「明日はあまりすることが無いですよ」と亜佐美に言った。

「荷物、少ないですから。すぐに終わります」と言うと、

「そうなの?」と亜佐美は呟いた。


「まぁ、本は多いと思いますが、すでに箱詰めしてますし、あとは運ぶだけですから」

「ほんと、よろしくお願いしますね」

「はい。任せてくださいな。明日、荷物を出したらここに来て、どこに何を置くか指示してくださるだけでいいんですから」

「はぁ」

「じゃ、私は今日はこれで。明日、あちらに伺います」

そう言って、佐知子は帰っていった。


亜佐美は保坂と遅めの夕食を外で約束していた。

外食と言っても、近くのファミリーレストランだけれど。

遅くまで時間を気にせず座れるのがファミリーレストランの良いところだ。

まだ時間があるので、PCを立ち上げてメールチェックをする。

ブログの更新もしておいた。

明日からはずっと保坂が一緒だ。

独身最後の時間になるようで、嬉しいような寂しいようなそんな気分になった。


亜佐美はもう一度客間を見に行った。

そういえば、保坂と一緒に暮らすと言っても誰も反対しなかったことに気がついた。

デスクや本棚の位置をもう一度シュミレーションしていても集中しない。

保坂がこの部屋で、持ち帰った仕事をして、その傍で亜佐美が本でも読みながら仕事が終わるのを待つ姿を想像しているうちに、嬉しさのほうが段々大きくなってきた。

これでよいのだと思う。


ようやく亜佐美はリビングに戻ると、携帯電話にメッセージランプが点滅していた。

保坂からで、『今、会社を出た』とだけのメッセージが届いた。

亜佐美は駅まで保坂を迎えに行こうと思った。

戸締りをしてバッグを掴み家を出る。

たまにはお迎えも悪くない、そう思いながら駅までを歩いて行った。





翌日は晴天に恵まれた。

朝、目覚めた時に外が明るいのでほっとした。

手早く着替えて、着ていたものは旅行用のバッグに詰めた。

朝食のコーヒーとデニッシュを食べ終わらないうちに、人が訪ねてきた。

引越しの手伝いの人たちである。


あとは忙しく立ち働く人の間で亜佐美がぼーっとしているうちに、荷物のほとんどはトラックに運ばれていった。

見れば、保坂もそう役には立っていないようである。

「何で皆こんなに手際がいいの?」と呟いた亜佐美にその部屋に居た人たちが笑う。


「さあ、亜佐美さんの家に行きますから、一足お先に行っていてください」

そう佐和子に言われて、ようやく私にも出来ることがあると喜んだ亜佐美だ。

一人で家に戻り、荷物を運び入れる場所の鍵を開ける。

ほとんどが庭から運び入れるので、廊下のガラス戸を全開にして荷物を待った。


すぐに保坂と荷物が到着し、大きな家具から運び入れているようだ。

次にデスクと本棚の位置が決まると、ダンボールを開けて次々に本を並べている。

「そういうのは後でゆっくりとやりますから」と亜佐美が言うと、

「ダンボールも邪魔になるので、入れてしまって持って帰ります」と言われてしまった。


保坂の部屋だし、本人が居るので口出すこともないかと亜佐美はリビングで大人しく冷蔵庫が設置されるのを見ていた。

あとは喉が渇いた人のために飲み物を用意するくらいだ。

保坂の居たマンションに残って掃除をしていた人も、作業が終わったと亜佐美の家にやってきた。

その頃には荷物もほとんど片付いていた。

引越し会社や清掃会社で働いている人が中心だったので、手早くて見てて気持ちの良いくらいの進み具合だ。

今更ながら、プロの仕事って凄いなと亜佐美は思った。


保坂は亜佐美との打ち合わせどおり、リーダー格の人にみんなの昼食代と作業代をまとめて渡せたようだ。

初めは辞退していたものの、保坂が持ち前の粘り強さで受け取ってもらうことに成功していた。

理詰めで説得力のある保坂はこういうときにも威力を発揮していたように思う。


一斉に彼らが帰っていくと、家には亜佐美と保坂だけになった。

二人で保坂の部屋の入り口に立ち、家具の配置などを見ていると、

「今日からよろしくお願いします、大家さん」と保坂が亜佐美に言った。

「こちらこそ、よろしくお願いします」と亜佐美も笑いながら保坂に応える。


保坂の部屋はもうすっかり寛げるようになっていたのでそこを離れ、二人で洗濯機とダイニングの冷蔵庫を見て回った。

保坂が使っていた洗濯機は亜佐美が使っていたものより大きかったので、それに合わせて風呂場近くにある置き場も少し改造してもらった。

冷蔵庫のほうはダイニングの通路付近にちょうどよい窪みがあったので、そこに電源をつけてもらって置いてある。

冷蔵庫が増えたのは亜佐美には嬉しかった。






「お腹が空いただろう?」保坂にそう言われると、お腹が鳴りそうなくらい空腹なのに気がついて、

「引越しの日は蕎麦だよね?」と亜佐美が提案して、山の中の蕎麦屋に行くことにした。

蕎麦屋に電話をかけておいて、保坂の車に乗り込み久しぶりに山手に向かう。


「カメラ持ってきた?」と保坂に聞かれたので、「ええ、持ってるわよ」と亜佐美は答えた。

「もういつもこのバッグに入れて持ち歩いてるの」と手元のバッグを持ち上げて保坂に見せる。

「じゃ、今日は蕎麦を撮ってみようか」

「はいっ!」

どういうアングルが良いのか考えているとほどなく蕎麦屋の駐車場が見えてきた。


車を停めて、店の裏口に寄る。

亜佐美が厨房に声をかけると、「表に回って~」という声がしたので、保坂と二人店の入り口から店内に入った。


窓際の席に案内され素早く注文を終えると保坂は、「カメラを出して設定を確認しておいたほうがいいよ」と亜佐美にアドバイスする。

試しにこっそりと店内を2~3枚撮ってみて明度を確認すると、亜佐美はカメラを一度バッグに仕舞った。


しばらくすると冷たいせいろ蕎麦が運ばれてきたので、素早く数枚写真を撮ると、二人は食べることに集中した。

亜佐美は膝の上にカメラを置いたまま食べ、時々取り出しては蕎麦を食べている保坂を撮ったりもした。

蕎麦屋の店主に見つかると叱られそうな気がして、あくまでこっそりと最小限にしておく。

やがて食べ終わる頃に店主が厨房から顔を出した。


「おっ、亜佐美ちゃん、久しぶりだな」

「ほんとご無沙汰しております」

「今日の蕎麦はどうだい?」

「さすがにいつ食べても湯で加減完璧ですね」

そんな会話で始まって、もうお昼時をすっかり過ぎて店内は閑散としていたので、

店主が隣のテーブルに座り込んで亜佐美に話しかけようとする。


「こちらさんは前も来た事があるね?」と保坂のほうを見ながら言うので、

「保坂と言います」と保坂は挨拶をした。

店主のほうも「どうも」と頭を少し下げて挨拶を返す。


その時、厨房から女将が出てきて、「亜佐美ちゃん、きれいな指輪してるんだって?」と大きな声で聞いた。

給仕していた女の子にでも聞いたのだろう。

「見せてよ~」と言うので亜佐美はおずおずと左手を出した。

「うわ~、本当に綺麗だわ。輝きが違うわ」と言って亜佐美の指をとりしげしげと見ている。

店主のほうは苦虫を潰したような顔になり、保坂のほうを見た。


「こちらの方が?」と女将が亜佐美に聞く。

保坂は動揺した様子もなく普通の顔をして箸を置いた。

亜佐美が頷くと、女将は「それはおめでとう。茜ちゃんがアメリカに行ったと聞いていたので、それはよかったわ」と亜佐美に言い、

保坂には「よろしくお願いしますね」と頭を下げた。


店主のほうはぷいっと厨房に戻ってしまった。

その姿を見ながら「ショックが大きかったみたいね」と女将が苦笑している。

店員が蕎麦茶と蕎麦がきを運んできて、女将と楽しく話しをしながらそれをいただいた。


お礼を言って店を出、車に乗り込んだところで亜佐美はほっとため息をついた。

「これで街中の人が知るのも時間の問題だわ」と呟く。

「亜佐美は嫌なの?」

保坂の意外な質問に、亜佐美は目を開いて保坂を見た。

「ううん。嬉しくて恥ずかしいだけよ」と返す。


「一也さんこそどうなの?会社でも話題になるよ?」そう亜佐美が聞くと、

保坂はニヤニヤしながら、「全社員の朝礼の時に大声で叫びたいくらいだよ?」と言って亜佐美を笑わせた。

「もう絶対そういうのは一也さんっぽくないよ」と肩を震わせている。

「まぁ、聞かれればそれなりに対応させてもらうよ」と言って、保坂は車を発進させた。






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