S4 保坂の引越し4
午前中は佐知子と一緒に客間の床の間や押入れの中を片付けた。
とりあえず茜の部屋に積み上げておく。
午後は家の仕事場に入り、しばらく不在でも良いように帳簿の整理やブログの更新をしておいた。
最近は外出も多いので、保坂のアドバイスで貴重品は家に置かないようにしている。
明日から1週間ほど保坂の家に泊まりに行くことになっても困らないようになってしまっていることに、亜佐美は軽く驚きを感じていた。
もしかしたら、いやしなくても、保坂はもっと便利に暮らすことを知っているのだろう。
少しずつでも保坂を見習ってみようと思い始めていた。
夜には仕事帰りの保坂が亜佐美の家に立ち寄った。
二人で一緒のテーブルで食事を摂り、手分けして戸締りを確認し、保坂の住むマンションに移動する。
今回の亜佐美は大きめのバッグを持っていた。
近いので何か足りなくなれば取りに帰ってこれるが、いちいち取りに帰りたくないので
必要だと思われるものを鞄に詰めておいたのだ。
その他に、タッパに入れた常備菜の袋がある。
保坂の冷蔵庫に入れるとほっとした。
なにしろ、保坂の冷蔵庫はほとんど飲み物だけで、冷凍庫にはピザやパスタの冷凍しかない。
これで飢え死には免れると亜佐美はニヤニヤしながら冷蔵庫の中を見渡して思った。
そんな亜佐美に保坂は先に風呂を勧めた。
翌日からの出張準備をするらしい。
明日は早めに起きなくてはならないだろう。
亜佐美は遠慮なくお風呂に入ることにした。
洗面所は朝のままになっていた。
手早く洋服を洗濯機に放りこんでからお風呂にゆっくりと入った。
亜佐美がリビング入るのと入れ違いに保坂が風呂場に行く。
亜佐美は冷蔵庫からビールを取り出して、グラスに注ぎ、テレビをつけた。
番組を観るわけではないが、なんとなくテレビの画面を見ながらビールを一口飲む。
保坂が明日出張に出てしまう前に、決めておかなくてならないことがあるだろう。
頭の中でチェックリストを作りながら、亜佐美はもう一口ビールを飲んだ。
やがて保坂が洗いざらしの髪のまま、キッチンにやってきて亜佐美と同じようにビールを手に取り、亜佐美の前に座った。
「お先いただいてます」と亜佐美が言うと、ニヤッと笑っただけで保坂は一度ビールを目の高さに持ってきてそれからゴクゴクとビールを飲んだ。
「やっぱり風呂上りはビールだな」と保坂が言うのを聞いて、亜佐美は笑ってしまった。
「オジサンくさいです、その台詞」
保坂は笑っただけだ。
「持っていく家具を考えていたんです」
「うん。そうだな」
「冷蔵庫は持って行って良いですよね?」
「どこに置くの?」
「リビングでも良いし、ダイニングにもスペースがありますからそこにでも」
「2つになるぞ?」
「ええ、どちらかを保存用と考えれば大丈夫」
「じゃ、持って行こう」
「このダイニングテーブルと椅子はどうします?」
「要らないだろう?」
「そうですね」
「ダイニングと、そのソファー。それから洗濯機だな」
「洗濯機と乾燥機は、うちのと入れ替えようかな?」
「え?」
「だって、保坂さんの機種のほうが新しいんだもの」
「あ、そういうことか」
「もし嫌じゃなければ、私のを処分して保坂さんのを使いたい」
「そうしてもらっても良いよ?」
「一人暮らしなのに何故あんな容量の大きい洗濯機があるのかわからないわ」と亜佐美が言うと、
「まとめて洗うときもあるからなぁ。それに一番良いのをと店員に聞いてから買ったんだ」と保坂が説明した。
「なるほどね」
亜佐美が感心したように頷くと、保坂はそんな亜佐美を見ながらまたビールをゴクゴクと飲んだ。
「明日、家でサイズを測って入れ替えできそうだったらいんだけどね」
「そうだな。サイズが合わないとダメだし」
「あとはソファーも持っていこうか?」
「え?いくらなんでもソファーは入らないだろ」
「二条家を舐めないでよね(笑)ソファーくらい置けるわよ」
「あまりごちゃごちゃしたくは無いからさ」
「そこはちゃんと考えて置きますから」
「では、何事もよろしく頼むよ」
「はい。一也さんはお金だけ用意しておいてね」
「おいおい、僕は財布かい?」
「いくら引越しは有志で・・・と言っても、お礼をしなくちゃならないから」
「そうだよな。お金とってくれそうにないのか?」
「うん。直接一也さんに請求書出すからって言ってたけど、どうもその気配はなさそうだしね」
「わかったよ。で、何人くらい手伝いに来るんだ?」
「それが・・・ちっとも言ってくれないの」
「ふ~ん」
「でもね、当日になったらわかるでしょ!と思うのよ」
保坂はニヤニヤして亜佐美を見ている。
亜佐美は決まりが悪そうに、「最初から何度も確認できなくて、佐知子さんたちがお茶濁すから」と言った。
「その時になってから考えればいいじゃない?」そう亜佐美が言うと、
保坂は、「ちょっと呆れるけど、それが亜佐美の良いところだよな」と笑って言った。
「え?アバウトすぎる?」
「うん。アバウト過ぎる」
「じゃ、どうしたらいいの?」
「いや、どうもしなくていいよ」
ややもすると堅苦しく考えがちな保坂とは違って、亜佐美は物事を予めきっちりしたおかなくても大丈夫そうだ。
「君の考え方は、周りを楽にさせるから良いんだよ」
「ん~~、褒められているのかどうか・・・わからない」
亜佐美の表情を見ながら保坂はまた笑った。
「でも、いいわ。とりあえず考えられないから、後にする」
亜佐美がそういうと、保坂はお腹を震わせて笑い始めた。
翌朝は早めに起きて、一緒に朝のコーヒーを飲む。
保坂の持つコーヒーマシンはカセット状の粉と水をセットするとわずか25秒でコップ一杯のコーヒーが出来上がるため、ものの1分で二人分のコーヒーが用意できる。
亜佐美はすっかり気に入ってしまった。
家から持ってきた厚切りのパンをトーストし、バターとジャムをたっぷり塗って朝食にする。
一緒に朝ごはんって良いなぁと亜佐美が思っているところに保坂が話しかけた。
「二条の伯父さんには僕も電話しておくけど、亜佐美からもちゃんと話しておいてくれないか?」
「あ、はい。わかりました」
「引越しが終わったら一度来てもらおうよ」
「はい。良いんですか?」
「亜佐美の家族だから」
「ありがとうございます」
亜佐美は嬉しそうに保坂に返事をした。
「保坂さんのご両親も呼びます?」
「え?」
「いえ、単に思い付きですけど・・・」
「ん~~、どうかな」
「まぁ、ちょっと考えておいてくださいね」
「あぁ、わかった」
とたんに保坂は歯切れが悪くなった。
「思いつきだって言ったでしょ?真剣に悩まないでくださいよ」と亜佐美が言うと、
「いや、親父のスケジュールを考えてただけだよ」と保坂が笑った。
「すぐにとは言えないけど、時間とってもらうかな」
「まぁ、そのうちってことで・・・」
それほど時間に余裕が無い朝なので、それで話は終わって二人で一緒に保坂のマンションを出た。
今日の保坂は電車なので一緒に亜佐美の家まで歩いて行き、駅に行く保坂を家の前で亜佐美は見送った。
それから亜佐美は慌しく過ごした。
佐知子が到着した後すぐに建築業者が到着し、それぞれを引き合わせると建築業者から説明を受けた。
キッチンと寝室の間に客間と風呂場などの水周りがあるので、キッチン側と寝室側の2箇所に簡易の壁を作り、職人達は庭から客間に直接入ってもらう。
それは打ち合わせで聞いていたが、これから客間の内装を取り去る作業のために音と埃が凄くなるということだった。
できれば外に出ておいてほしいというので、亜佐美は佐知子を連れて保坂のマンションに行くことにした。
保坂のマンションでは、亜佐美と佐知子はダンボール箱を組み立て、亜佐美は保坂の衣類を、佐知子は本を中心に箱詰めしていった。
適度な休憩を取りながら作業をし、改装中の家と往復しながら保坂の帰りを待つ。
保坂が出張から帰ってくる日には、亜佐美のできる範囲の作業は終了し、改装中の客間のほうはすでに床の下地はできていた。
出張から帰った保坂は相変わらず帰りが遅く、亜佐美はほとんど一人で過ごし、仕事はメッセンジャーとメールで済ませていた。
夕食はなるべく二人で食べて、夜は一緒のベッドで眠る。
そうしているうちに工事終了の日になった。




