55 プロポーズ
保坂が会食を終わってホテルに戻った時、亜佐美はまだ帰ってなかった。
メールチェックして各部所に指示を出し終わった頃、亜佐美がようやく帰ってきたが、かなり酔っ払っていた。
「ただいま~」と言ってベッドに近づくと、そのまま横になってしまった。
肩を揺すってみたが何か呟きながら眠りに入っていくようだった。
洋服が皺になるのが心配で、亜佐美の服を脱がせ、見よう見まねで化粧を落としてみた。
しばらく顔を観察していたが、洗面所で熱いお湯を湿らせたタオルで顔を拭きとり、化粧バッグのなかを探して化粧水とクリームをつける。
亜佐美の肌がつやつやとなったので保坂はほっとした。
やれやれと思いながら亜佐美をシーツの間に押し込み、自分も服を脱いで亜佐美の寄り添った。
アルコール臭い亜佐美を横にして、その背中から包み込むようにして保坂も眠りについた。
亜佐美がはっとして目を開けると、保坂の腕がお腹に巻きついている。
何がどうなっているのかわからなかったが、とりあえず全裸だというのはわかった。
まだ外は暗いようだ。
保坂も服を着ていないらしいのもわかったが、動けないので仕方なく目を閉じた。
次に目を開けると、保坂が目の前でニヤニヤ笑っていた。
すでにシャワーを浴びたようで髪が濡れている。
「おはよー、亜佐美さん」
「オハヨウゴザイマス」
「昨日のこと、覚えてる?」
「ん~~っと・・・」
「まぁ、良いよ。ぐっすり眠ったようだね。朝ごはん食べようよ」と亜佐美に手を差し出した。
亜佐美はその手を取って起き上がり、とりあえずシャワーを浴びる。
どうしても夕べの記憶がなかった。
居酒屋を出て、ホテルまで何人かに送ってもらい、エレベーターに乗ったのは思い出した。
でもその後は全然記憶になかった。
亜佐美がシャワーを終えると朝食が届いていた。
バスローブに包まって、二人で朝食をとっているのがとても幸せな気がしていたが、保坂のほうはあまり機嫌がよくないようだった。
聞かれたわけではないが、亜佐美は夕べの集まりのことを話していた。
ホテルには皆に送ってもらったこと、エレベーターに乗ったあたりから記憶が曖昧なことを話すと、保坂は幾分気分が回復したようだった。
「あんなに酔っ払うまで飲んだ亜佐美さんを初めて見たよ」
「大阪の人って、どんどん勧めるんだもの。いつもよりたくさん飲んでしまって・・ゴメンナサイ」と亜佐美は素直に謝った。
朝食が終わると保坂は出かけて行った。
亜佐美は先に京都のホテルに移動することもできたが、まだ大阪の街を散策したかったこともあって、保坂が仕事を終わるのをまって一緒に行くことにした。
保坂から電話があったのは夕方になってからだった。
荷物もまとめてあるし、車を手配したというので宅急便も使わず、荷物をクロークに預けて亜佐美はロビー横の喫茶室でお茶を飲んでいた。
保坂がエントランスに入って来るのが見えた。
すらりとして都会の匂いを纏った保坂は、誰よりも格好良い。
カウンターでチェックアウトをしている保坂の会計をしている女性も、入り口に立っているベルガールも保坂に見惚れているようだ。
そんな保坂が誇らしいのと同時に、彼女達に嫌悪感を感じて亜佐美はドキっとした。
今の感情は何なんだろうか。イケメンには亜佐美もドキっとするじゃないか。
彼女達が悪いわけでもないのに・・・と思ったが、その感情を持て余している自分に気がついた。
領収書を受け取っている保坂に近づいて声を掛ける。
荷物の番号札を渡して、荷物を車のトランクに積んでもらうと、保坂は亜佐美に手を貸して後部座席に座った。
「思ったより早かったのね」と亜佐美が言うと、「もう、凄い勢いで仕事終わらせたよ」と保坂が苦笑した。
「これでようやく週末の夜って感じだ。定時で終わるなんて、信じられないよ」とネクタイを緩めながら呟いた。
「私のせいで?私が待ってるから急いでくれたの?」
「ん~~、君は鋭い。そのとおりだ」と言って、ほおっと一息ついた。
「この時間、高速が混むから京都までは少し時間がかかるよ」と言って保坂は目を閉じた。
亜佐美が保坂の顔を見ると、目の下にうっすらと隈が出来ている。
亜佐美は少し端に座りなおして、保坂の肩を揺すって、「一也さん、こうすれば少し楽かもよ」と言って保坂の頭を亜佐美の膝に乗せるように促した。
保坂はうっすらと目を開けて、やがて亜佐美に言われたとおり上半身だけ倒して頭を膝に乗せる。
保坂は、車の振動と亜佐美の膝の心地よさでホテルにつく直前まで眠ってしまっていた。
運転手が「もうすぐホテルです」と言うのを聞いて保坂は上体を起した。
ホテルにチェックインすると、保坂はカードキーを持って亜佐美をエレベーターに急がせた。
「今夜は食べるお店を決めてなかったよね?」と聞く。
今日は何時に仕事が終わるかはっきりわかってなかったので、どこにも予約を取ってなかった。
そう告げると、「お腹空いてる?」と聞かれた。
「大阪で待ってる時にケーキを食べたから、それほどでも・・・」と亜佐美が言うと、「それはよかった」と言って保坂はニヤリと笑った。
鍵を開けるのももどかしく、部屋に入ったとたんに保坂は亜佐美を壁に押し付けた。
唇で唇を塞ぎ、亜佐美が呻くのも気にせずにキスを深めていく。
ドアがノックされたので、ようやく保坂は亜佐美を放し、「お風呂にお湯を溜めてて」とバスルームに押し込んだ。
ボーイが荷物を運んできたようで、保坂がそれを受け取っている。
保坂は大阪のホテルからの車の中で、亜佐美の甘い匂いに酔っていた。
うたた寝から覚醒したときに、あたりに漂う空気を全部一人占めしたかった。
人目があるのを気にしただけ自分を褒めてやりたいと思いながら亜佐美をエレベーターに乗せてようやく部屋までたどり着いたのだ。
バスルームにぼんやりと立ち尽くしている亜佐美を部屋に入れ、「亜佐美さん、洋服買ったの?」と聞いた。
「うん」と亜佐美が頷くと、「それなら安心だ」と言って、保坂は亜佐美のブラウスに手をかけた。
ボタンをいくつかはずして肩だけずらして露にすると、亜佐美の腕が動かなくなった。
そんな亜佐美を軽々とベッドに座らせてから、保坂は上着を脱いだ。
いつになく保坂は激しい目をしていると亜佐美はぼんやり思った。
保坂は亜佐美がどう反応するか知り尽くしている。そのことを亜佐美に知らせようとしていたのだろうか。
ただ翻弄されるだけでは足りないようで、亜佐美が何度か限界になっても許してもらえなかった。
実際、今日はただ波を乗り越えるだけでは済ませない、そう保坂は思っていた。
いくつか波を越えたあとで、亜佐美は保坂に「この手をはずして・・・」と囁いた。
ブラウスはまだ亜佐美の腕を拘束して、スカートはたくし上げられ、もう本来の用を足さなくなったストッキングが足に貼りついている。
「どうするの?」と保坂が聞くと、「一也さんに掴まりたいの」と掠れた声で言った。
「仕方ないなぁ」と言いながら、丁寧にブラウスのボタンをはずし、袖を脱がしていった。
亜佐美は自由になった手をそのまま保坂の首に回して、胸とお腹を保坂にくっつけてぎゅっとしがみついた。
保坂はその可愛いしぐさに一瞬理性を失いそうになったが、思いとどまって亜佐美の好きなようにさせていた。
「お願い・・・」亜佐美が囁いた。
「何?」保坂が答えると、「お願いだからもう・・・」と甘える声を出す。
「だから、何?」ともう一度聞くと、保坂の耳元で「欲しいの」と小さく囁いた。
保坂は、漸くだ!ようやく亜佐美に欲しがってもらえたと思うと胸が熱くなって押さえが効かなくなった。
それから随分後になって二人は一緒にお風呂に入った。
気がつけばお腹が空いている。注文したシャンパンと料理が届いて初めて、亜佐美はそこがスイートルームだということに気がついた。
お腹がくちくなると、またベッドに戻って愛し合った。
保坂は何度も「亜佐美」と呼び捨てにし、亜佐美もまた「一也」と名前を呼んだ夜だった。
目覚めればもう陽はすっかり高く昇っていて、明らかに昨日とは違う二人のような気がした。
朝食の時間はとっくに過ぎているので、とりあえず外に出て散策しながら適当に昼食をということになった。
交代でシャワーを浴びて出掛ける準備をする。
服を選びながら、亜佐美は保坂に「そういえば一也さんの今の住まい、いつが契約更新なの?」と何気なさを装って聞いた。
「あー、いつだっけ。たぶんもうすぐのような気がする。来月だったかも」
「じゃぁ・・・」と亜佐美は思いついたように言った。実際に思いついたのはさっきシャワーを浴びてるときだったからいいよねとは思ったのは内緒だ。
「更新なしにして、うちに来ない?」
「え?」
「部屋が余ってるから、下宿したらどうかなと思って」と亜佐美が言うと、保坂はびっくりした顔を亜佐美に向けた。
「あ、そういうわけには」と歯切れが悪い。
なおも亜佐美が勧めると、「う~ん。何も無しでは一緒に住むのは無理だ」と言った。
「それって、亜佐美が僕と結婚するって約束がないと同じ屋根の下には住めないよ」と言う。
「一也さん、プロポーズしてくれないの?」と亜佐美が責めるように言った。
「え?もしかして僕、プロポーズされたのか?」と驚いて亜佐美を見ている。
亜佐美は何も言わずにニヤニヤしていた。
「このタイミングで言うか・・・」と保坂は頭を抱えた。
「あのね、よく聞いてくれる?大事なことなんだ」と亜佐美をソファに据わらせて保坂は話を続けた。
「実はあと1年ほどしたら僕は本社に移動になる」
今度は亜佐美がびっくりする番だった。いや、いずれはそうなるだろうと思ってはいるが、その時期が1年後とは・・・・。
いよいよ次話で最終回です。