47 新年
目が醒めると誰かの腕に包まれているというのは良いものだと亜佐美は思う。
それが保坂だとわかっているので微笑まずにはいられない。
亜佐美がそんなことを考えながら目を開けると、すぐそこに保坂の顔があった。
「あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
ぬくぬくとした布団のなかで保坂の背中に手をまわすと少し冷たい。
「あら?冷たい」と言うと「さっきちょっとお風呂場に行ってたから」と言う。
「あ~」と亜佐美は昨夜のことを思い出して恥ずかしくなった。
脱衣所はどうなっているんだろう。確か脱いだ服はそのままのはず。
「亜佐美さん、お風呂入る?」
「うん、でもこの温もりも捨てがたい」
「じゃ、もう少しここでイチャイチャしていよう」と保坂が笑った。
「一也さん、手、何してるんですか?」
「ん?何って・・・。触ってるんだけど?」
「止めてくださいよ~」
「ヤダ!」
「まったく子供みたいじゃないですか。くすぐったいんだから」
と亜佐美が言っても保坂は止める様子はない。
「感じてるみたいだよ~」と笑っている。
結局朝から保坂に翻弄され、亜佐美がお風呂に入って服を着たのはお昼前のことだった。
お雑煮を食べ、荷物をまとめると部屋の片付けはいらないからとそのまま車に乗せられた。
午後、亜佐美は茜を迎えに行き、伯父のところで夕食を一緒にしてから茜と帰る予定だ。
その前に初詣に行こうと言い出した。
毎年行く神社は家から20分ほど離れている。
そこが良いと保坂が言うので神社の近くに車を停めて、二人で参道を歩くことにした。
神社の由来を読んで手を清める。
並んでお賽銭を放りこみ拍手を打って、二人はしばらく目を瞑った。
去年のお正月は喪中だったので来ていない。
亜佐美には隣に立つ人も居なかった。それが今年は保坂と一緒に参拝している。
周りの環境が激変した1年でもある。今年はどんな年になるのだろうか。
隣で保坂も目を瞑っていた。
久しぶりの神社である。今年は隣の亜佐美にいろいろ考えていることがある。
押し付けれたものは嫌がるはずなので、亜佐美が自分で選んだと思わせるようにすれば良いのだ。
下手は打てないが、自分ならきっと上手くやれるだろう。
何事も慎重にすれば大丈夫と言い聞かせた。
社務所の前に並べられているお守りを見ている時だった。
「あーちゃ~ん」と言う声が聞こえた気がして振り返ると、茜が手を振っていた。
その後ろには瑠璃とその兄たち、慎吾と昌紀が居た。
「あ、従兄妹達です」と保坂に告げると、保坂はそちらに目を向けながら頷いた。
茜はこちらに駆けてくる。瑠璃たちももうすぐそこまで来ていた。
「ほっちゃん、おめでとう」
「明けましておめでとう」茜と保坂が新年の挨拶をすると、従兄妹達がそれをじっと見ている。
亜佐美は皆を紹介して、とりあず年賀の挨拶をする。
「お名前は伺ってますよ」と慎吾が言うと、「ご両親にはお目にかかりました」と保坂が答えていた。
瑠璃は亜佐美の肘を突っついて「後で聞かせてもらうから」と笑っている。
茜をこのまま連れて帰ろうかと亜佐美は言ったが、伯父達が待っているからと従兄妹達がそのまま茜と参拝をして予定通り家につれて帰ると言った。
「じゃ、後で」と言って港は分かれたが夜は質問攻撃になるのを亜佐美は覚悟した。
亜佐美たちが保坂の車に戻る頃、亜佐美の携帯が鳴った。
瑠璃からの電話で、伯父に連絡したら保坂も一緒に来てはどうだということだった。
「家に電話して亜佐美ちゃんと保坂さんが初詣してたって言ったら、保坂さんもご一緒にどうかと誘ってみてと言われたの」
「え~~~?もう電話したの?」
「うん、だって茜の前では話題には出さないけど、うちの家族の間では亜佐美ちゃんと保坂さんのことは女性週刊誌並みの扱いだから」と瑠璃はケラケラ笑っている。
「ちょっと待ってね、あとで電話するわ」と言って亜佐美はとりあえず瑠璃との電話を切った。
「どうしたの?」
「う~~、伯父たちが今夜保坂さんもご一緒にどうかって・・・」
「え?」
「私が茜を迎えに行く時に一緒に行って、夕飯をご一緒にどうですかってこと」
「あぁ。そうか。でも元旦に他所のお宅にお邪魔しないだろう、普通は」
「う~ん。でも伯父は裏表のない人ですから、お誘いしたということは都合が悪くないからだと思います」
保坂は車のハンドルに手をかけて数分考えていたが、「わかった。お邪魔しよう」と言った。
保坂が運転している間に亜佐美は瑠璃に電話をかけ、保坂も同行することを伝えた。
亜佐美の家に到着すると荷物を運び終えた保坂は、一度家に戻ってまた来ると言って亜佐美にキスをしてから戻って行った。
家は亜佐美が出かけたときのまま何も変わっていなかった。
変わったのは私だけなんだ亜佐美は思った。
伯父の家に電話をすると伯母が出た。家の電話には伯父は出ないのを知っているのでわざとそうしたのだ。
「ほんとに保坂さんもお連れして良いの?」と聞くと、
「うちの人も会いたいんじゃないの?私も会いたいけどね」と叔母は笑いながら言う。
「ところで夕べは保坂さんと一緒だったの?」と今度は伯母が聞いた。
直球だな伯母さんは、と亜佐美は苦笑しながら、「ええ、一緒でした」と答えた。
「うちの人にはまだ言わないことね。刺激が強すぎるわよ」
「そうですよね。本当は今日もお連れするのをちょっと躊躇ってるんですけど」
「保坂さんが良いって言ったなら、覚悟はできてるんじゃないの?」
「伯母さん・・そんな」
「お正月だし、物騒な話にはならないと思うけど、私もそうさせないように気をつけるから」
「すみません。お気を遣わせて」
「いいのよ。瑠璃の予行練習にちょうどいいんじゃない?」
「じゃ、夕方にお邪魔します。家を出たら電話します」
「うん。何時でもいいよ。早く来てもいいからね」
「はい。いつもありがとうございます」
そう言って電話を切った。
次に保坂に電話をした。
「一也さん、今夜はお酒を勧められるかもしれないから、私の車で行きましょう」と提案してみる。
「伯父さんはお酒は飲むの?」
「はい」
「じゃ、僕の車じゃないほうがいいか」と保坂は笑って、亜佐美の運転で行くことになった。
伯父は上機嫌で亜佐美と保坂を迎えた。保坂は二条家の歓迎ムードにほっとしながら挨拶をしている。
家を出る時の伯母との電話のやりとりを亜佐美は思いだしていた。
「男の人は、都合の悪いことは聞きたくないものよ」
「えっと、どういう意味ですか?」
「うちの人に都合の悪いことは言わないことね。そう保坂さんにも伝えてくれる?
保坂さんならすぐにわかるから」
運転しながら保坂にそれを伝えると、「なるほど」と笑った。
「伯父さんは亜佐美さんの父親代わりだと張り切っているだろう?」
「はい、そのようです」
「父親だったら、娘に彼氏が出来て朝帰りしたらどう思うだろうか。
夜通し若い二人がしていたことは知りたくないどころか、その夜ですらなかったことにしたいはずなんだ」
「はぁ」
「そういうものだと思うよ?つまり、何も口を滑らさないほうが賢明ってことさ」
「う~ん。まぁ何も言えないですけどね」
「そう、それでいいんだよ。伯父さんは何も聞かないはずだしね」
「そうだと良いのですが・・・」と亜佐美が言うと保坂は笑った。
保坂は伯父のために年賀の手土産を持参していた。
珍しいお酒らしく伯父の機嫌は一層良くなったような気がする。
そういう保坂の気遣いが亜佐美には嬉しかった。
祖母の貴子も「今年は全員集合で賑やかで良いお正月だわ」と目を細めている。
食事のあとは伯父、従兄妹そして保坂は一緒にお酒を楽しんでいるようだ。
亜佐美たち女性陣もおしゃべりに花を咲かせた。
正月休みが終わると次の週にはいよいよ工場の社員食堂がスタートした。
調理に携わるだけではないのだが、亜佐美は食堂を利用した人の反応が気になる。
毎日の集計データを見ながらスタッフとPCを使って連絡と取ることになる。
半年分の献立は考えてあるが、実際には3ヶ月毎に見直す予定だ。
メニューが変われば社内のメールマガジンにもそれが掲載される。
実際の記事は社内スタッフが作るのだが、亜佐美にも問い合わせがあるのでフィードバックしなければならない。
毎月のJAの献立とスーパーのチラシについては継続して仕事をしていた。
自宅でのお弁当作りは3月末で終了することになった。
出かけることもあるので、毎日のお弁当が負担になってきたのだ。
注文してくれていた人に話すと、問題なく終了して良いと言ってくれたのだ。
亜佐美が緊張したのは、社内報に載せたいとインタヴューの申し込みがあったことだ。
亜佐美だけではなく料理長や主任の大前も予定されているらしい。
ちょうど東京で会議があるので、その時にインタヴューさせて下さいと担当者から連絡があった。
1月半ば過ぎのことである。
前回と同じように朝一番の特急で上京し、朝の会議と午後から取材という予定を組んだ。
保坂も一緒の会議に出るので同行できると聞いて嬉しくなった亜佐美である。
お正月以来、保坂はますます仕事が忙しくなっており、あまりゆっくりとした時間が持ててなかった。
電車とはいえ片道1時間半、座ってゆっくると話せるのは魅力的だ。
会議が決まった時、保坂がランチをどこかレストランに行けるように考えておくと行っていた。
店のインテリアやカトラリー、メニューなどもたくさんヒントがあるに違いない。
亜佐美はその日を心待ちにしていた。
前回同様、祖母が先日から泊まってくれ、お手伝いさんが午後から来て祖母と交代してくれると言ってくれた。
亜佐美は夜までには帰ることができるので茜と一緒に夕飯をと思っていた。
東京に行く日は前回と同じように保坂が迎えに来てくれた。
祖母や茜を起こさないようにそっと家を出る。
まだ薄暗い中で吐いた息が白くなる。その向こうに保坂の笑顔が見えた。