44 二人の夜
翌日から亜佐美も忙しくなった。大前からのメールも増え農家への交渉をしながら、お正月の準備もある。
茜が冬休みで家に居るのでお手伝いさんが通いで来てくれるのはほんとうに助かっていた。
そのお手伝いさんも30日からは正月休みということで休んでもらい、茜は30日から伯父の家に預かって貰う事にした。
保坂も相変わらず忙しいものの毎日仕事が終わると亜佐美の家に立ち寄る。亜佐美はそんな保坂のために簡単な食事を用意していた。
29日はまだ委託業者が社食で作業をするというので、亜佐美は30日に工場に行くことにした。
亜佐美が到着する頃には新しい献立表も届いている予定である。
その掲示を見届けるのが亜佐美の仕事だった。
朝、茜を伯父の家に送り届けて工場に向かう。工場はもうすでにお正月休みに入っていて、社食のある建物付近以外は人の姿がなかった。
亜佐美が社食に入ると大前が目ざとく見つけて亜佐美を案内してくれる。もうすでにメニューは貼り替えられていた。
何でもできることは早めに済ませておくのだと大前が言った。実際スタートするとどうなるのか、動線を考えながら何度かフロアーを動いてみる。
清算カウンターではPCを設置しているスタッフ、厨房では機材搬入をしており何人ものスタッフが行き来していた。
午前中で工場を後にした亜佐美は、家に帰ってキッチンに篭った。
クリスマスイブにアウトレットで買ってきたお重を箱から出す。保坂のお正月用にと現代風な絵付けの小さなお重を買っておいたのだ。
明日、大晦日はカメラを持ってでかけるはずなのでそのお弁当用の下ごしらえもする。
夕方まで時間を気にせず作れるだけものは作って保存容器に入れると、ようやく亜佐美はコーヒーを片手にリビングのソファーに座ることができた。
これで篭城しても当分は大丈夫だと思うと笑いがこみ上げる。一度も座ってなかったので足は疲れているが達成感があった。
甘いものも欲しいなぁと思ってクッキーを取りに行き、一枚頬張りながらゆっくりコーヒーを飲んだ。
今夜も保坂は仕事帰りに立ち寄るだろう。休みの前日の夜だ。ワインを勧めればきっと飲むに違いない。
茜が家に居ないことによっていつもとは違う夜になるのだろうかと亜佐美はほんやりと思った。
でもと亜佐美は考える途中でそれを止めた。考えがまとまらないときは気分転換が一番だ。
さて!と気合を入れてキッチンを片付けることにした。
洗って伏せてあった調理器具の水分を拭き取り仕舞っていく。シンクも綺麗に洗って拭き取り、ダイニングテーブルを片付け保坂との二人分の食器やカトラリーを並べる。
ワイングラスを置いてワインオープナーも出して置いた。
腰に手を当ててセッティングを確認して頷くと、亜佐美はお風呂の準備をするためにキッチンを出た。
お風呂の準備と言ってもボタンひとつでお湯が溜まる。
次に自室に行き、部屋の温度調節のボタンを押してから一度窓を開けて空気を入れ替えた。
ベッドシーツを換え、着替えを準備すると亜佐美はゆっくりとお風呂に入った。
脱衣所に携帯電話を置いて、のんびりと湯船に浸かる。
長風呂で柔らかくなった肌に保湿クリームを磨りこんで楽な服装に着替えると、濡れたタオル類を洗濯機に放り込んでスイッチを入れた。
軽く化粧を終わるとリビングに戻り、照明を調節してから音楽CDを取り出す。今夜はボサノバにしようとセットし軽く柔らかな音楽が流れ始めるとキッチンに戻った。
スープを火にかけてから携帯電話を取り出して、伯父の家に電話をかけた。
茜は元気そうな声で「今日は蟹を食べに行ったの」と話してた。
叔母からは「年末年始も仕事でたいへんだね。元旦は休めるんでしょ?」と聞かれたので、「明日も遅くまでかかるかわからないから、元旦の午後にご挨拶に行きますね」と答えた。
この歳になって叔母たちに嘘を吐くうしろめたさで気分が落ちこんだ亜佐美は、その後電話を代わった瑠璃に「守備はどうよ?」と聞かれて苦笑いが出てしまった。
「お父さん達にはあくまでも仕事だと行って置くから、こっちは心配しなくていいよ」と瑠璃はすっかり共犯者気取りだ。
「うん。ありがと。でもまだどうなるのかわかんないけどね」と亜佐美が気弱に言うと、「駄目だよ、亜佐美ちゃん。考えちゃ駄目なんだってば。本能に従うのよ~」と瑠璃は亜佐美を励ますように言った。
「それにしてもさ、瑠璃ちゃんが何でそんな風にわかったことを・・?」
「今時の恋愛小説ってそんなことばかり書いてる」
「え?小説なの?」
「うん。でもさ、なるほどって思うもの」
瑠璃の経験から来るものでないとわかって亜佐美は少しほっとした。
可愛くて微笑ましい従兄妹殿だ。
皆によろしくと電話を切ると肩の荷が降りた気分だ。
亜佐美はオーブンを温めるためにキッチンに戻った。
保坂から仕事が終わったと電話があった時、亜佐美は保坂にプレゼントしてもらったカメラを触っていた。
10分くらいで着くというので慌ててグラタンをオーブンに入れた。
保坂は一度自宅に戻っらしくラフな服装に着替えてやってきた。
暖かそうなコートを脱ぐと、ジーンズに柔らかそうなセーターを着ている保坂はどこから見ても格好良い。
亜佐美がしばらくぼーっと見惚れていると保坂が笑いながら「今日のメニューは何かな?」と聞いたので、はっと我に返って頬が熱くなってしまった。
「今夜はグラタンです」と亜佐美が答えると、「あぁ、あのグラタン、僕の大好物だ」と補佐かは嬉しそうに言いながら、テーブルに置いてあるワインを開け始めた。
亜佐美が作っておいた料理を並べている間、保坂は亜佐美が触っていたカメラを手に取った。
「何か撮ってみた?」と聞くので、「試しに数枚だけね」と亜佐美は答えた。
「ちょっと設定見ても良い?」と言うので、「どうぞ、どうぞ」と勧めておいて亜佐美はグラタンをオーブンから出した。
保坂がワインをグラスに注いで光にかざして色を見ている。軽く乾杯してから、保坂はワインのボトルを写真に撮った。
「軽いなぁ、このカメラ」
「ええ、ほんとうに私でも軽々と扱えそうです」
「じゃ、明日は楽しみだな」
「そうですね。どこに行く予定ですか?」
「う~~ん、一応山のほうとは思っているけど、明日の天候次第かな」
二人はどちらも仕事の話はしなかった。久しぶりに寛いだ夜だった。他愛の無い話を続けて、時折ワインを飲みながら亜佐美の料理を平らげていく。
「あっ、保坂さん、ベストマンの写真は?」
「あれ?まだ保坂さんはないだろう」
「あ、ごめんなさい。一也さん・・・デシタ」
「ほんと、お仕置きするぞ~」
「あはは、ごめんなさいってば。それよりも写真ください」
「ん~~、亜佐美さんの携帯電話は?」
「あそこです」と亜佐美が電話を指差すと、
「じゃ、それ持ってここに来て」
「は~い」と、亜佐美が電話を取りに行くと、保坂は自分の携帯を取り出して
「ほら、先に確認するかい?」と亜佐美に言った。
保坂はダイニングチェアーにゆったりと座っている。
「ここに来て」と亜佐美にもう一度行った。
亜佐美が保坂に近づくと、保坂は亜佐美の手を取って「ほら、ここに座って!」と自分の足を見た。
「えっ?」と驚いて亜佐美が保坂の顔を見ると、保坂は亜佐美の手を引っ張ってから空いてる手を亜佐美の腰に回して保坂の膝の上に座らせてしまった。
亜佐美が自分の置かれた状況に目をパチパチさせていると、保坂は笑いながら亜佐美の腰に手を添えたまま、「交換条件があると言ったの覚えてる?」と聞いた。
亜佐美が頷くと、「じゃ、こうして」と亜佐美の足を軽く叩いて保坂の膝にまたがるように促した。
保坂を見るとどうしてもそうしろという風に頷くので、亜佐美は恐る恐る保坂の膝を跨いだ。
保坂は亜佐美の携帯電話を取り上げて、亜佐美の空いた両手を自分の肩に置いた。
「そのまましっかりつかまっててね。このままで写真見せてあげる」
保坂の携帯にはフロックコートで王子様のような保坂が映っていた。
「誰にも見せちゃだめだよ」と言って、亜佐美の携帯にその写真を送るとあっという間に届いた写真を保存した。
二つの携帯を閉じた保坂はそっと携帯をテーブルに置き、亜佐美をじっと見つめた。
「亜佐美さんからキスして欲しい。それが僕の条件」
間近に保坂の顔があった。茶色っぽい保坂の目が今日は黒っぽく見えた。
やや薄めで形の良い唇をじっと見つめると、いつのまにか添えられている保坂の手が亜佐美の背中を軽く押した。
その押しに助けられて亜佐美は保坂に唇を合わせた。
どちらからともなく唇が開き、徐々に深い口付けになっていく。
何度か角度を変えているうちにいつの間にか亜佐美の手は保坂の首の後ろにしっかりと回されていた。
こういう激しいキスを亜佐美は誰ともしたことがなかった。それを今自分がしていることが驚きでもある。
普段は取り澄ましたような態度の保坂がこんなに激しかったり優しかったり、いろいろ入り混じったキスをするのが不思議な気がした。
誘われるように亜佐美が舌を出すと保坂がそれに吸い付く。保坂が亜佐美の歯を舌でなぞるので、次に同じように亜佐美がすると保坂が喜んだような気がした。
何度か唇が離れたがすぐにまたくっついて深いキスが続いていく。
胸がチクっとして保坂が胸を触っていることに亜佐美が気がついたときには、すでにブラのホックが外されていた。
何時の間に・・・と一瞬思ったが、考えが続かない。
服の上からだが保坂の大きな手が亜佐美の背中を支え、片方の手は胸に当てられていた。
「嫌じゃない?」とようやく唇を外した保坂が亜佐美の耳元で囁いた。
亜佐美がふるふると首を横に振ると、「ソファーに行くよ?」と保坂が言って、ふわりと亜佐美の体が持ち上がった。