26 お弁当
翌朝には茜の熱も下がっていて元気いっぱいだ。
先ほど届いた宅急便の荷物を茜は嬉しそうに開けていた。
夕食は伯父の家に呼ばれている。
伯父の家に持っていくお土産を確認して、玄関近くに一まとめにした。
デパートで買ったものはもう一度試着してそれぞれの場所に仕舞った。
だいたいが終わるともう3時のおやつの時間だった。
紅茶を淹れておいてPCを立ち上げる。
明日は3人の女子高校生とのお菓子教室だ。メールで明日の確認をしておこうと思った。
目印に黒い板塀にリースを掛けておくこと、その下にインターコムがあるので押してくださいと忘れずに書いてメールを送信した。
受信メールを確認すると、いくつかメールが届いていたがその中に保坂からのメールがあった。
携帯じゃなくてブログにメールが届くとは思いもよらなかった亜佐美。メールの題名がお弁当の注文に関してだからさらに驚いた。
亜佐美は3度メールを読み返した。仕事の依頼には慎重な亜佐美である。
要約すると、来週月曜日から木曜日の間のどれか1日でよいから保坂のスタッフの通勤弁当をお願いしたい。数は11個。一度に無理なら2日にわけてもよいということであった。
日程を数に問題なければお返事がほしいと書いてあった。
来週は女子大生のデート弁当が一件ある。あとは伯父の事務所に行く用事があったがそれだけである。
他はメールで済むものばかりだった。
『水曜日ではいかがでしょうか』と亜佐美はメールを返送した。
スタッフの年齢層、男女比率など質問事項を書いておいた。
さらに料金設定とブログのなかに参考になりそうなお弁当があるのでその写真のURLも記載した。
なるべく打ち合わせメールの数を少なくしたかったので、質問や提案をたくさん書き入れ、忘れたことがないか何度か見直してから送信した。
保坂のメールにはスタッフへの慰労のためと書いてあったが、どうもそればかりではないような気がした。
考えながらメールを送るともう夕方になっていた。
その夜は伯父の家に行き、TDLの話で盛り上がり楽しいひと時を過ごした。
伯父の家に居る間にブログ用のメールをチェックすると保坂から返信が来ていた。
亜佐美の質問に丁寧に返信してくれている。とりあえず家に帰ってからゆっくり検討しようと少しの間仕事のことは頭のなかから追い出した。
伯父の家を出るときに、伯父が亜佐美に「月曜日、事務所に来れるか?」と聞くので「はい、その予定です」と答えると、「茜も来るよな?」と聞く。
ひとりでは家に置いておきたくないので連れて行くつもりだ。
「じゃ、お昼前に来てくれるか?うちのが茜に水着を買ってやりたいらしい」
「いいよ、そんな・・」と断るのを構わず、「昼もうちのが連れて行くから」と伯父は言った。なにか茜に聞かせたくない話があるのかなと感じて伯父の顔を見ると頷いた。
「じゃ、11時ごろ伺おうかな」と亜佐美が承諾すると、「そうだな、そのくらいが良い」と言って見送ってくれた。
伯父の話は何だろう、嫌な話でなければいいなと思いながら帰宅した亜佐美は、茜を就寝の支度に追いやってPCを点けた。
PCの準備ができるまで、茜のところに行って額に手を当ててみたが熱はもう大丈夫らしい。
「茜、明日は高校生のお姉ちゃんたちとお菓子を作ることになってるの。知ってるでしょ?」
「うん」
「明日、茜にアシスタントをお願いしていいかな?」
「うん、でもアシスタントって何するの?」
「私の横に居ていろいろ手伝う人よ」
「わかった。やる」
「じゃ、お願いします」
亜佐美が茜に軽く頭を下げると茜がクスっと笑った。
PCのところに戻るとすでに使える状態だ。亜佐美は保坂からのメールを注意深く読み始めた。
何度か読んでみて趣旨はわかったところで、引き受けることと、料金の確認、そしてお弁当容器のサンプル写真、受け渡し方法等を書いて保坂に返送した。
そのメールを保坂はまだ会社で受信した。
亜佐美のメールを読み、サンプル画像やその他詳細を確認して意外に亜佐美をいう女性は仕事向きだなと思った。
必要な言葉で簡潔に書いてあり、僅かながらの提案も的を得ていた。
それは昨日、東京で調査会社の矢野から受け取った資料のなかに二条家のことが含まれていて亜佐美の置かれた環境を少しばかり知ってしまったからかもしれない。
あの天然でぼんやりしていそうでそうでもない不思議な亜佐美ともう少し知り合いたいと思い始めたところだというのに、今はタイミングが悪いことは事実だ。
亜佐美が保坂のことを知ったときどういう反応を示すのか、それは保坂にとっても賭けだ。
通常は凄い速さで物事の展開が考えられる保坂にとって、亜佐美は非常に不透明で読めない人物だ。
賭けが裏と出たとき怖いなと思っている。それでもサイを投げてしまった保坂だ。
社内メールをスタッフに出すことにした。
『毎日、ご苦労さま。次の水曜日はご褒美に皆の昼食を注文しておきました。
お昼前に届く予定です。その日は正午に部屋に集まってください。
一応、仕事の食事会ですから時間厳守でお願いします。』
日ごろから新企画のことで急な招集をかけている。水曜日も大丈夫だろうと思った。
社長には新企画で弁当の試食をしてもらいたいのでよろしくお願いしますと一方的なメールを送っておいた。
結構遅い時間にはなっていたが、まだ亜佐美は起きていることだろう。
あのふわふわの頭でいろんなことを考えているんだろうなと思うと保坂の口の端が持ち上がった。
決心すると行動は早い。亜佐美に『でわ、水曜日にお願いします』とメールを出して、携帯電話を手に取った。
「もしもし、保坂です」
「あ、こんばんは」
亜佐美の反応はやや鈍い。眠いのだろうか。
「夜分にすみません、弁当の件を承諾していただいて助かりました」
「いえ、水曜日なら11個大丈夫です」
「もう皆にも水曜日の昼食は任せておけ!とメールしたところです」
「あはは(笑)素敵な上司さんですね。でも、ほんとうに慰労のためだけですか?」
「うむ。二条さんって意外に鋭いですね」
「鋭いって、普通そう思うでしょ?」
「いや、僕はそれしかご説明してないのにそれだけではないと思う根拠は何ですか?」
「それに意外にってどういうことですか?(笑)」
「質問には答えていただけないんだ?」保坂も笑いながら応えている。
「私のブログを見てお弁当を注文してくださるなら、ご自分のだけ1個ですよね。
しかもそれなら週に何度かということになります。しかし、今回は11個も、しかも一回きりですから」
「それだけですか?」
「そういうお弁当は普通、会社の近くのちゃんとしたお弁当屋さんか仕出し屋さんに頼むでしょ?」
「そうなんです」
「じゃ、どういう意味なんですか?」
「ブログを拝見して亜佐美さんに作ってもらいたくなったからです」
「わけわかりませんよ(笑)だから何で私なのですか?」
「大きな理由はセンスです」
「はい?」
「あのブログにあるセンスです。イマドキの可愛いお弁当。そういうお弁当を注文したかったというところです」
「あぁ、それはありがとうございます」
「で、お察しのとおりそれだけではありませんけどね」
「え?・・・まだ何か・・・」
少し保坂の声が途切れた。ガサガサと紙の音がして、「二条さん、ちょっとすみません。歩きながらでいいですか?」と保坂が言った。
「どうしたんですか?」と聞くと、「もう工場には僕しか居ないので早く帰れって守衛さんに言われました」
亜佐美がクスクス笑い始めた。
「また今度でいいです」と亜佐美が言ったとたんに、「そうだ、二条さん、明日はどうされてます?」と保坂が訊ねた。
「え?明日ですか?お菓子作りのレッスンがあるんですよ」
「何時からですか?」
「10時からですね」
「では、お昼間は忙しいと思うので、夕方ちょっとお目にかかれませんか?」
「え?」亜佐美は絶句している。
「続きは電話ではもどかしいのでお目にかかってご説明させてください」
「はぁ」とまだ亜佐美は歯切れが悪い。
「そうだ、夕飯をご一緒しましょう。茜ちゃんも一緒に何か食べにいきましょう」
「え?夕食ですか?」
「そうだな、仕事の話でもあるから、夕方そちらにお邪魔して仕事の話が終わったら食事にでどうですか?」
「はぁ、仕事の話ですね。でわ、わかりました」
仕事と言うと亜佐美はとたんに興味がでるらしい。
「1時間ほどで済むと思いますので、そうですね、5時ではいかがですか?」
「はい。わかりました」
「よかった。僕も一度ゆっくりと話したいと思っていたんです」
「では、明日、お家を出るときにお電話でもメールでもいただけますか?」
「わかりました」
ととんとん拍子に明日会うことを取り付けて保坂は電話を終えた。