19 笑顔
マクドナルドに向かいながら亜佐美はさきほど二人が一緒に笑っていた光景を思い出していた。
茜の帽子を持って扉を押したとき、一瞬茜が若い男性と話しているのにビックリしたのに加え、男性をよくみるとスーツ姿じゃない保坂だったことにも驚いた。
ジーンズにシャツ姿の保坂は若く見え、何気ないシンプルな服装でもイケメンはどこまでいってもイケメンなんだということがわかった。
そして何より、茜の屈託の無い笑顔は姉が亡くなってから初めて見たものである。
もちろん保坂の笑い声にもどきっとしたが、茜の笑顔に勝るものは何もない。
この二人、何時の間に仲良くなったんだろうと不思議に思った。
土曜日のマクドナルドは混んでいたがなんとか3人座れる席を確保した。
茜はオレンジジュースと結局アイスクリームを買ってもらっていた。亜佐美と保坂はアイスコーヒー、そして皆で食べようとポテトも買った。
アイスコーヒーを一口啜った亜佐美が「さっきは二人とも何故あんなに大笑いしていたの?」と聞くと、茜が嬉しそうに説明を始めた。
「私がディズニーランドに行きたいって言うと、おじさんがパスポート持ってるか?って聞いたの」
「僕はてっきりロスのディズニーランドに行くのかと思って、海外へ行くにはパスポートが必要だって言ったら、茜ちゃんが一日パスポートは入り口で買えるって・・・」と二人でくすくす笑い始めた。
亜佐美は「一体どこにカリフォルニアのディズニーランドに行く人が居るんですか」と呆れてしまった。
「しかも、今からお手伝いしたくらいでは本場まで行けませんって」と言うと二人は再び笑い始めた。
「おじさんは行ったことあるの?」とようやく笑いが収まった茜が聞いた。
「うん、あるよ」と保坂が答える。
「茜ちゃんは初めて行くの?」
「そう、初めて。どきどきしちゃう」
「ディズニーランドっていうのは、とっても広いし乗り物もたくさんある。だから行く前にどれを見たいのか、どれに乗りたいのかよく考えておくほうがいいんだよ」
「へぇ~、そんなにたくさんあるの?」
「そうなんだ。うかうかしてるとあまり見れなかったりする」
「うわっ、どうしよう」
「夜のパレードも見たいんだろ?」
「うん、行ったことのある子がパレード見たって言ってた」
「だろ?だから行く前にうんと調べておきなよ」と二人はすっかり打ち解けて話している。
「まぁ、とりあえず今夜はディズニーランドまでどうやって行くのか、電車を調べようね」と亜佐美が茜に言った。
「うん」と返事する茜に、「はい、でしょ?」と亜佐美が直す。茜は「はいっ」と言い直してオレンジジュースを飲み始めた。
「あ、確か二条さんとおっしゃいましたよね?僕は保坂一也と言います。二駅向こうの工場に勤務しています」と保坂が自己紹介をした。そういえば、まだ名前を知らなかった。
「あ、私も気がつかずにごめんなさい。二条亜佐美と言います。こちらは茜です」
「二条茜、9歳だよん」とピースサインでおちゃらける茜を「茜、大人にそういう言葉遣いはいけません」と亜佐美が嗜める。
「できればこれからはおじさんと言わずにお兄さんくらいは行ってほしいな」と保坂は茜に頼んだ。
「は~い。保坂のお兄さん」茜は保坂を見てクスクス笑った。
それからしばらく茜のアルバイトの話になった。
一つお手伝いする度にリビングに置いた貯金箱に100円、亜佐美が入れることになっている。
本当は10円くらいが相場なんだけど、ディズニーランドはたくさんお小遣いが要るので今回にかぎり奮発して100円になったそうだ。
今のところ、外の掃除、庭の水遣り、食事の手伝いなどを考えているが、他に茜が思いつけばその都度お掃除の場所を増やして良いらしい。
今時10円というのはないだろうとは保坂は思ったもののそのことについては何も言わないことにした。
茜と亜佐美の会話で少しずつ茜の夏休み計画が保坂にもわかってきた。
気がつけば外はすっかり夕暮れになっていた。
「あ、いけない」と亜佐美が慌て出した。茜も「あーー」と言っている。
「今日は伯父のところに行くと約束しているんです」
「お時間、間に合いますか?」
「はい、間に合いますけどあまり余裕がなくて・・・」と亜佐美が言うので、「僕はこれから本屋に行くだけですので、どうぞお先に出てください」と保坂が片付けを請け負った。
亜佐美はほんとうに急いでいるらしく、「じゃ、ご馳走様でした」と自分たちの飲んだカップだけ持って立ち上がった。
お礼もそこそこに帰ってきた亜佐美たちは、大急ぎで着替えて亜佐美の伯父の家に急いだ。
時々夕飯を食べにいくのだが、今日も夕方から呼ばれていたのだ。
予め作っておいたパウンドケーキとクッキーの箱を車の後部座席に置き、ようやく出発してほっとした。なんとか間に合いそうだ。
助手席に座っている茜が亜佐美に、「ディズニーランドにいつ行くの?」と聞いて来た。
「そうだねぇ。いつにしようか。どうせだったら夏休み始まってすぐにしようか?」
「ほんと~~?」
「でも、お手伝いは夏休みが終わるまでずっと続けるって約束できたらだけど?」
「する!する!もちろん終わりまでするよ~」と茜は調子よく言った。
「夜のパレード見るから、ホテルに泊まらなくちゃね」
「え~~?ホテルに?」
「うん、そうだよ。夜のパレード終わったら遅くなるから電車はもう無いと思う」
「うわ~~、凄い!楽しみ!」
「あとでどうやって行くのか、二人で調べてみようね」
「うんうん。調べようね」
「もしかしたら車で行ったほうが楽かもしれないし」
「でも車だとあーちゃんが疲れてしまう」
「そうなんだけど、電車だと荷物があるからたいへんじゃない?」
「あ、そうか。私も手伝うよ」
「ありがとね。いろいろ考えてみようね」
茜はそれからはディズニーランドのことを考えているようだった。
いじめっ子の居る学校で茜は頑張っている。この夏休みは子供らしく発散させてやりたかった。思いっきり楽しい旅行にしたいと静かになった車内で亜佐美は思っていた。
伯父の家に到着するといつものように賑やかな歓迎を受けた。
祖母と伯母が一緒にキッチンで料理をし、亜佐美と従兄妹の瑠璃は伯父にビールを持っていったり食卓の準備をした。
伯父は茜と犬を相手にビールで晩酌だ。
茜は伯父に夏休みの計画を話しているらしい。楽しげな茜の笑い声が聞こえて、祖母と伯母が手を止めた。
「今日の茜は上機嫌だね」と祖母がつぶやいてまた料理に戻った。
「今日は楽しいことがあったのよ、茜」と亜佐美が言うと「へぇ、なんだい?」と祖母が聞き返したが、皆に一度ですませたいからと午後のお茶のことは後回しにした。
「なんだか量多くない?」どんどん出来上がるおかずを見て、亜佐美は不思議に思った。
「あとで、慎や昌も来るって言ってたからね」と伯母が答えた。
伯父の長男の慎吾と次男の昌紀は家をでて暮らしているが、こういう食事には時々顔を出してくれる。
「遅くなるらしいから先に始めるけどね」と伯母が嬉しそうに言った。
二人が帰ってくるときは祖母も伯母も特別に張り切るようだ。
さあ、出来たわよという祖母の声で、皆がダイニングに集まった。
「あ、これ忘れないうちに。クッキーとキャラメル味のパウンドケーキです」とデザートを伯母に渡した。
「亜佐美ちゃんのケーキは美味しいから、ありがたいわ」と伯母が言ってくれる。
「瑠璃もちょっとはお料理しなさいよ」と祖母に従兄妹が言われている。
瑠璃は「ふん、上手な人が周りにたくさん居るんだから、私はいいの」と、とんだとばっちりがきたもんだと言いたげに亜佐美を見た。でも、目は笑っている。
可愛い顔をしている割には気性はさっぱりしてて、亜佐美はこの従兄妹が大好きだ。
「そうだ、先日言ってたタウン紙に来週出るのよ~。みなさん見てね!」取材を受けたときに伯母や伯父にもアドバイスをもらっていたので、掲載日を知らせておくべきだと思ったのだ。
「写真も撮ったんでしょ?」
「家とか?」
「顔写真は?」
一斉に話しかけられてそれに一つずつ答えていく亜佐美。
「気をつけるんだぞ」と伯父が言った。
「あ、そっか。家や顔写真が載るなら気をつけたほうがいいかも」と瑠璃も言う。
それもそうだと亜佐美は思う。
「何かあったらすぐに電話しますから」
「ほんと、そうしてちょうだいね。携帯電話はいつも側に置いておくのよ」
「そうだ、駅前の交番にもちょっと言っておくか」
「伯父さん、それはあんまりじゃない?」
「いや、あそこの新米警官の親を知ってるんだよ。何気なく頼んでおくよ」と伯父は一人で頷いている。
瑠璃が亜佐美に「諦めたほうがいいよ。超過保護なんだから」と耳打ちした。
祖母が茜に「これも食べてご覧よ」とおかずを取り分けてくれていた。
「おいしいね、貴子さん」と茜がにっこり笑ってる。
祖母は亜佐美にも茜にも頑として『貴子さん』と名前で呼ばせている。おばあさんと言われるのはどうにも気にいらないらしい。
そういう性格のせいか、家の中でもはっきり言うので伯母となにかと揉めるらしい。
それでも一緒にキッチンに立ち毎回美味しい手料理を振舞ってくれる姿を見ると、伯父が言うほど仲が悪いわけではなさそうだ。
「今日は茜は大人しいな」と伯父が言うと、「私、食べてるんもん」と茜が言う。
そのやり取りに皆で笑った夜だった。




