15 コンビニ
茜はあの公園から帰った日、伯父に問い詰められ学校でのことをポツポツと語り出した。
やはり学校にいじめっ子が居るらしい。
ただ、ランドセルや靴が汚れていたことは直接手をだされたわけではなく、いじめっ子が来たので帰り道を変えようときびすを返した時に後ろから来た子にぶつかって転んだということらしい。
派手に転んだのでかえっていじめっ子に見つかって、ひと騒ぎあったとのこと。
いじめっ子の一人はクラスメイトの男の子で、茜を見ると大きな声で茜の嫌がることを言ったりする。掃除当番のときには掃除の邪魔をしたりするらしい。
もうひとりはその男の子と仲のよい女の子で、かならずその男の子が居ないときに茜に声をかけてくる。
あの日は早く帰ろうとする茜を掃除当番だった男の子が掃除を代われと引き止めたのだが、それを振り切って帰ろうとしたところに女の子のほうにばったり会った。
そして茜に酷いことを言ったらしいのだ。
何を言われたのかは茜は言おうとしない。
そんな茜に伯父が「わかった」とひとこと言った。
「今日は亜佐美ちゃんに心配掛けたことはちゃんと謝るのよ」と伯母に言われてこくんと肯いた茜に「わかったら『はい』と声に出して言うんだ」と伯父が言う。 小さな声で「はい」と茜は伯父に答えた。
その夜、亜佐美はお風呂から上った茜の髪を乾かしながら「学校のことは心配しなくていいよ。私も伯父さんたちも気をつけて何か考えるから。
いじめっ子のことは、触ったり叩いたりされたらすぐに言いなさい。」と茜に言ってみる。
茜は顔をしかめたものの静かに肯いた。
「茜を殴ったらこのあーちゃんが殴り返してあげるから」と言うと、「あーちゃんが殴っちゃだめだよ」とクスクス笑う。
「いじめっ子が言うだけなら言わせておきなさい。あまり煩いようだったら、『根も葉もないこと言わないで!誰も信用してないよ?』と言い返してもいいよ?」
「え~~~?そんなこと・・・」とまた茜は俯いてしまった。
「茜が言い返すことによって相手が手を出したら、あーちゃんの思うツボよ!後は私が相手を叩きのめすなり、警察に突き出すなりするからねっ!」と言うと、「それ、この前見たドラマと同じストーリーだよ、あーちゃん」と茜が笑った。
「あ、バレた?」と亜佐美も一緒に笑う。
「よく聞いて、茜。茜はちっとも悪くない。悪いのはいじめっ子のほうだから、何を言われても放っておきなさい。茜はいつも胸張って堂々としているのよ?わかった?」
「うん」と茜が肯いたので、「はい!でしょ?」と亜佐美が訂正した。
ちょっと間があったけどやがて茜は「はいっ!」と返事した。
「は~い。じゃ、そろそろ寝ようか。明日も学校だしね。準備は終わってる?」と亜佐美が言い出すと、「うん、もう終わったよ」が答え、「そういえば今日の男の人、ちょっと変わった人だったね」と言葉を続けた。
「時々見かけるよ、あの人」と茜が言う。「そうなんだ」と亜佐美がそっけない返事をすると、「いつもそこのスーパーの角曲がってうちの前を通ってる」と言った。
「伯父さんが変な人だと間違われちゃったね」
「うんうん、大きいじいじの顔見た?怖かったんだよ~」と二人は顔を見合わせて笑った。
翌日伯父から電話があった。茜の担任に話したほうがいいと言うのだ。
ちょうど次の週に担任の家庭訪問がある。その時に伯父も同席してくれることになった。
亜佐美は担任になんと切り出して良いのかよくわからなかったので、伯父の参加は心強いばかりである。
あの日以来亜佐美は保坂を時々みかけるようになった。
気がつけば会釈するようにしている。保坂のほうも気がつけば会釈を返す。
ほとんどは朝で、茜を見おくる時や、お弁当をとりに来た人に渡すときなど勝手口まで行くときがあるのだ。
通勤路なんだから毎日のように亜佐美の家の前を通るので今までも見かけていたのかもしれない。
ただ保坂が気がつかない場合も多く、亜佐美が無言の挨拶をしている前をすっと素通りしてしまうこともある。
最初は自分だけが気がついたことに恥ずかしさを感じていたけれど、無視されているのではなくほんとうに気がついてない様子になんだか苦笑すら出るこの頃である。
朝が苦手な人なのかもしれないと亜佐美は思うのだった。
そうやって何日か過ぎ、来週には亜佐美のことが掲載されているタウン紙が発行されるという。茜の担任の家庭訪問も終わった。担任の先生は学校での茜といじめっ子の様子を気に掛けてくれることを約束してくれたのでほっと一安心だ。
夏本番が近づき暑い日が多くなってきた。そろそろ茜も夏休みである。
ある夜、TVを見ていた茜がアイスクリームが食べたいと言い出した。
切らしてしまっていて、冷凍庫には全然入って無い。
「あーちゃん、そこのコンビニに買いに行こうよ~」
「え~~、今から行くの?」
「すぐそこじゃん、ねぇ、ねぇ、行こうよ~」
「いったい何が食べたいの」
「えっと、えっと、さっき宣伝でやってたのがいい」
「あ、それなら私も食べたいかも」
「やっぱりあーちゃんも食べたいのね」
「違うよ~、茜が食べたいって言うから、私も仕方なく食べるのよ」
笑いながらそんなやりとりをして、亜佐美は茜と一緒に外に出た。
駅とのちょうど中間くらいにコンビニがある。ほんの数分先だ。
コンビニのお目当てのアイスクリームの冷蔵庫までの間に気になるお菓子の棚があった。
「茜、アイスクリームは最後に買おう。ちょっとここのロールケーキ見ようよ」と亜佐美が誘う。
二人であれこれ見て、茜はシュークリームを亜佐美はロールケーキを籠に入れた。
アイスクリームは2個ずつ選んで4個買うことにする。
レジに行くと保坂が並んでいた。
「あっ」と茜が先に気づき、亜佐美はその声で顔を上げると保坂の横顔が見えた。
保坂は亜佐美たちに気がつく様子は無い。
亜佐美は気がついて欲しいような、でももし気がつかなければこのままでもいいかと声をかけるのをためらっていた。
カウンターに保坂が並べたものを見ると、ビールが2本と頭痛薬の小さなボトル。
あらっと思って保坂の顔をみようとしてもすでに保坂の背中しか見えない。
保坂が会計を済ませ、コンビニの袋を取り上げたところで後ろから「こんばんは」と声をかけてみた。
保坂はその声には気つかずにレジの前から移動しようとしていた。
「こんばんは、今お帰りですか?」ともう少し大きな声で言ってみる。
ゆっくりした動作で横に移動しようとしていた保坂が振り返った。
保坂の目の焦点が合うのが少し遅いように感じたが、それでもゆっくりと保坂は亜佐美を見た。
そして亜佐美の後ろに隠れるしている茜と交互に見てから、「あぁ、こんばんば」と答えた。
アイスクリームが入った籠をレジのカウンターに置き、茜にこれで支払うようにと二千円を渡した亜佐美は、保坂を促して他のお客の邪魔にならないようにレジ横に移動した。
保坂は少し痩せたようである。そして顔色がよくなかった。
「お仕事、今終わったのですか?」と聞くと、「えぇ、」と保坂答えて会話が終了しそうになった。
「もしかして具合が悪いんじゃないですか?」と亜佐美は頑張って聞いてみた。
「いや」とだけ否定の言葉を言ったまま保坂は後を続けない。
どうしよう、声はかけたもののこの沈黙は辛いなと亜佐美は汗っていた。
「じゃ、これで」と保坂が言いかけたときに会計が終わった茜がやってきた。
3人でコンビニを出て、無言のうちに亜佐美の家までは並んで歩くことになった。
「あの」と亜佐美は保坂に話しかけた。その声で亜佐美のほうを見た保坂はどことなく元気がないように感じられた。
「保坂さん、いつもこのくらいの時間に?」
「いや、今日はちょっと早めに帰ってきました」
「お夕飯は済みました?」
「いえ、まだ」
「お昼ご飯は食べました?」
しばらく保坂は答えなかった。
「お昼は何を召し上がりました?」と亜佐美が更に聞くと、びくっと保坂が亜佐美を見た。
もう亜佐美の家の前に来ていた。
「茜、鍵あけてちょうだい」と亜佐美は茜に言ってから、「さて、保坂さん。あまり気分がよろしくないんでしょ?でも、うちで軽く食べていってください。」と保坂を家に誘った。
保坂は最初亜佐美が何を言ったのかわからないようだった。
ようやくその言葉が理解できたのか「いえ、結構です」と断ってマンションの方向に歩き出そうとしたが、亜佐美は保坂の前に回りこんで、「保坂さん、もしかして熱があるんじゃないですか?ふらついてますよ。お顔の色もよくないでし」
「僕は早く帰りたいんですよ」と保坂が言ったが、「冷たいものが飲みたいからビールですか?そして鎮痛剤でも飲んで早く寝ちまえば明日には楽になるとでも?」と亜佐美は食い下がった。保坂はとっさに怖い顔になって亜佐美を睨んでいる。
やがてほぉっと息を吐き出した保坂は、「どうも寝冷えをしたのか昨日の朝から具合がよくなくて、熱っぽくなってきたので早く上ってきたのです」とぽつぽつと話し出した。
「昼はチョコレートをひと欠片とポカリスケットをたっぷり飲みましたよ?」
亜佐美は何も言わずに保坂の顔を見上げていた。
「あなたの言うとおり喉が渇いたのでビールが飲みたくなったのです」と言った保坂の口元がちょっと上って、笑ったようだった。
そこに茜が戻ってきて、「今日はパンプキンスープだったよ。あーちゃんが作ったの」と保坂に声をかけた。