11 伯父
亜佐美の朝は早い。
子供の頃から朝は苦手だが、子供を持ちお弁当とつくるとなるとそうは言っていられない。
6時にはとりかかることにしている。
ざっと顔を洗って紅茶用のお湯を沸かしながら冷蔵庫から材料を取り出すのだ。
前日の夜にはたいだいの下準備を終えている。
亜佐美はそれほど器用ではない。そのうえ起きぬけはぼんやりとしているのでなおさら時間がかかる。
何度か手早くしようと時間を決めてとりかかってみたが、お弁当に詰める頃にはぼろぼろに疲れてしまって味もそうだが美しそうに出来上がらない。
その度、茜に「あーちゃん、今日のお弁当はひどがったよ」と言われているのだ。
時間に余裕をもって自分のペースで作らないとだめだと何度も反省している。
その日の気分の茶葉で熱々のお茶を淹れ、飲みながら作るのが亜佐美流だ。
月曜日はお弁当を4個作った。
7時には完成し、茜を起こして一緒に朝食を摂る。
以前の朝食はコーヒー1杯だけで何も食べなかったが、お弁当作りは結構お腹が空くので食べる習慣がついた。
茜が登校準備をし始めるころにはお弁当は冷めているので、蓋をしてランチボックスに入れたり包んだりと少し慌しくなる。
7時半頃に相次いで登校前や出社前の注文主が訪れる。
今日は週3日予定の50歳くらいのサラリーマンと今週だけという期間限定の高校生だ。
サラリーマンの男性は単身赴任中の栄養のバランスを考えていて、しばらく実験的に注文してくれた。
近所の男子高校生は母親が風邪で寝込んだので今週だけ代わりに作ってほしいと昨日電話が入ったのだ。部活をしているのでお弁当だけでは足りないのだが、1週間コンビニ弁当や学食というのも味気ない。同じ町内ということもあるので電話をもらってすぐにその家までお弁当箱を預かりにいった。
茜の小さくてかわいいお弁当と、4個めは隣駅で商売をしている伯父の分だ。
先週のうちに義伯母から電話があって、伯父のところまで来るならお弁当届けてよというものだった。気さくな人で亜佐美にもよく電話をくれる。その日は義伯母は女友達と人気のイタリアンで昼食の約束があるらしい。出かける前は慌しいので亜佐美ちゃんが作ってくれると助かると笑ってお願いされた。
2人がお弁当を取りに来て茜を学校に見送ったあと、ほっと一息つくためにコーヒーを淹れた。
1杯をゆっくり丁寧に飲んでから、リビングの隣にあるハーブコーナーに行って水をやる。
それが終わったら掃除にとりかかる。なるべく手早く、四角い部屋を丸くてもいいからとりあえず掃除してしまうというのが彼女の流儀だ。苦手なものを先に済ませて午後はのんびりしたいというのが心情だ。基本的にぐうたらな亜佐美である。
両親亡き後、部屋が乱雑になってしまうのにそれほど時間はかからなかった。姉に徹底的にしごかれたおかげで今では好きではないもののひととおりは掃除ができるというところまできた。今は茜が居るからお手本にならなくちゃと頑張っているが、茜が居なかったらこの家はどうなっていることか。
掃除を終え、シャワーを浴びて化粧をすればもう午前11時だった。
そろそろでかけたほうがよさそうだ。
伯父は隣駅の駅前で不動産屋を経営している。亜佐美の父とは1歳違いの兄で、亜佐美と茜にとっては一番近い親戚になる。物件の賃貸契約は全部伯父に任せている。今日はアパートの契約更新がひとつあるので訪れるわけだが、それ以外にも時々会いたくなる陽気な伯父だ。
短大を出てから父の不動産事務所で少しだけ事務などを手伝っていたので一般的な契約書の内容は亜佐美にもわかっていたが、もしも何か不備があったら対応できるとはとうてい思えない。
契約に関しては伯父に任せ、大家としての修繕や管理は亜佐美が対応していた。
「伯父さん、こんにちは。亜佐美です」
来客用の駐車スペースに車を停めて、店のドアを開けながら声をかけるとデスクに座っている伯父が顔を上げた。
「おぉ、久しぶりだな」
「先週会ったじゃないですか」と亜佐美が笑いながら答える。
「あの時はうちのとばかり話してたじゃないか。俺とは全然話してないぞ」と拗ねている。
「今日はおばさんに頼まれてお弁当を持ってきました」
「そっか、そっか。亜佐美の手料理とは嬉しいな」
「おばさんもお料理上手なのに。でもたまには変わった味もいいでしょ?」
「大歓迎だよ」
「お茶淹れようか?」
「あぁ、ちょっと早いけど昼にするかな。でもその前に更新の件、報告しとくよ」
伯父は亜佐美に来客用のソファを勧めながら書類を取り出した。
伯父からひととり説明をうけて、書類と計算書とお金を引き継いでそれらを亜佐美は鞄に仕舞った。
お茶を淹れながら、「あとでそこの銀行に行く間、車停めといていい?」良いのはわかってるが一応伯父に聞いてみる。
「あぁ、いいぞ。銀行だけじゃなくて、いつでも遠慮するな」
「だってお客さん用だからさ。ダメなときは銀行の駐車場い入れるから」
「そんなの気にするな」と伯父はいつも言ってくれる。
亜佐美はお金が入ったらすぐに銀行に入れることにしている。そうしないと使ってしまいそうで怖い。お金の記録がないと確定申告のときに困るのは亜佐美自身だからだ。
パーテーションで仕切ったミーティングコーナーで弁当を食べ始めた伯父の前に座り、とりとめのない話をしていく。
伯父には子供が3人居て長男と次男は別に暮らしており、今は長女と伯父の母親、つまり亜佐美の祖母と同居している。女3人に囲まれて窮屈な毎日だと伯父はいつもこぼしている。祖母と義伯母とはいつも何かしらバトルがあるらしい。
家に祖母と居るのも窮屈らしくて義伯母は伯父の仕事を手伝っていた。
「最近さ、俺が飲み会で遅くなるとあの二人は一緒になって俺を責めるんだぜ。そういうときだけ息ぴったりなんだよ。仲が良いのか悪いのかわかん!」
「伯父さんさ、こんな田舎の飲み会で朝帰りなんかするからじゃないの?」
「おっと、もう聞いてるのか」
従兄妹達とは幼馴染だし伯父の一家とは子供時から頻繁に行き来しているので、伯父一家の情報は随時更新されている。しかも今日は他から新ネタが入っている。亜佐美は伯父を少し困らせることにした。
「スナックKのケーコさんと温泉に行く約束してるんだってね?」
「お~~~~、お前何故・・・・どうして」と伯父は絶句して、卵焼きを取り落とした。
「何故そんなこと知ってるんだ?」
伯父はありえないくらいうろたえている。
「ケーコ、同級生だよ」
「えっ?同級生?」
「しかも高校のとき3年間同じクラスだったの」
「マジかよ。しかし、同級生には見えないな」
「ケーコは大人びてたからね、昔から」
ふぅ~と伯父は大きなため息を吐いた。
「あそこの大ママ、ケーコのお母さんなの。親の家業を手伝い始めたんだけど、ちょっと年上に見えるようなお化粧してるのよ」
先日街でばったり景子に会って立ち話をしたばかりだ。わざわざお茶するような付き合いでもないが、会えば気軽に近況報告するくらいの仲だ。
そこで伯父の話がでた。景子はもちろん伯父と温泉に行く気などないが、それを亜佐美に活かせということなんだろう。
食後のお茶を淹れながら、「ケーコ、引っ越したいらしいよ。その時は物件探してあげてね」と伯父に言うと、「おぉ、わかった」と伯父は力なく答えた。
「ところで、お前彼氏居るのか?」と伯父が突然言い出した。
「え?居ないよ。知ってるでしょ?」
「やっぱり居ないか」
「うちの次男坊はどうだ?」
「あははは、やめてよ」
「年下だぞ?流行ってるだろ、そういうの」
「伯父さん、何考えてるんだか。怒るよ~」
「ま、うちの次男は冗談として、そろそろ結婚考えてみないか?」
「ん~~~」ほんと困る。先ほどのケーコの件の仕返しかもしれない。
「いや、うちのとおばばがそんな話してた」
「嫁と姑でそんな話してるんかいっ」
「亜佐美のところに直接話が行くのも時間の問題だな」
「伯父さん、未婚の母だよ、私」そう言うと伯父はまたため息を吐いた。
「茜は元気そうに見えるけどまだ姉さんの死から立ち直ってないし、しばらくはあの子の生活の場を安定させないと」
「そうだよな。まだ1年経ってない」
「でしょ?」
茜のいじめのことはまだ伯父には話せなかった。
伯父の食べ終えた弁当箱を仕舞ってから、「そうそう、おばさん、欲しいバッグがあるって言ってたよ」と言って店を後にした。