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君がいる街へ  作者: 芙美
6/16

 6 部屋の中

 家にいて何もすることがない時は、天井を眺めて過ごした。寝転がって、ただぼんやりと模様を目で追う。退屈な時間つぶしだ。

 眺めるだけの退屈に耐えられなくなると、天井に散りばめられた斑点のような小さな黒い線を数えた。

 退屈しのぎにしてはこれもひどく退屈な作業で、自分のやっていることのバカバカしさに何もしない方がましなのかもしれないと考えながら、数え続ける。虚しさがじわじわと僕を包むが、僕は気づかないふりをする。

 何もしない時間を出来るだけ作らないように家事を熱心にやっても、まめにするほど後でやることがなくなって、結局斑点を数える時間が増えることになる。

 空いた時間を趣味に費やせばいいのだが、僕は趣味を持たなかった。

 テレビや本やゲームなんかは、他人の才能を目の前に突き付けられているような気になり、自分がそれらに夢中になるほど嫌になるので、手をつけないようにしていた。演者や作り手の輝きが、僕の心を焼きつけるのだ。

 創作に関しては一切何も思いつかないし、勉強を始めても集中できず進まない、植物は興味もないから育てる気にならないし虫が怖い。

 何か時間をつぶすことがあるだろうか手にできるものがあるだろうかと時々何かやる気をだそうとするが、世間知らずな上に無知を認めたくもない気持ちも手伝って、調べることもせずに天井をだらだらと眺め無駄な時間を過ごし、結局だそうとしたやる気は僕の頭の中をぐるっとまわってどこかに消えてしまう。

 きっと調べたとしても難癖をつけて何もしなかっただろう。僕はそういう人間だった。


  *


 いつものように部屋でぼんやりしていると、隣の部屋から大きな声が聞こえてきた。僕の部屋はしんとしているから、声や物音がよく響く。

 隣には母と娘が暮らしているようだ。

 二人とは時々玄関口で出くわすが、すれ違っても僕も母親も挨拶をしない。素通りだ。知らない人間同士なのだから、僕にとってはそれが当たり前だった。

 しかし娘はいつも笑顔で僕に声をかけてきて、それに対して僕は良く見ないとわからない程度の会釈を返す。

 そんな僕にも構わず娘は会う度僕にあいさつをしてくれる。とても無邪気な笑顔で。

 隣の部屋で何を言っているかよくわからなかったが、気にしないようにして天井を見つめた。

 しかし内容がわからなくても、声のトーンや調子から感情は伝わるものなのだ。いま母親は、嘆いている。

 母親が感情的になり、大きな声をだして嘆いたり怒鳴ったりする様子は、壁を通して頻繁に僕の耳に届いていた。隣の部屋から笑い声はここに来てから一度も聞こえてきたことがない。

 大抵声はすぐに止むのだが、それでも息苦しい気分になった。

 二人は僕がたまに会に行くパン屋で働いていた。パン屋で働く母親は声が小さく気弱でおとなしい印象だった。

 部屋で聞く声と二人の外でのイメージは重ならないが、きっとそういうものなんだろう。

 おとなしい母親は家に帰ると外での鬱憤を娘にぶつけ、娘はそれに耐えて外では笑顔を作る。他の誰にも知られないように。

 これはもちろん単なる僕の妄想だが、壁の向こうから聞こえてくる一方的な母親の声から、もうそんな風にしか考えられなかった。

 声を聞き、娘の無邪気な笑顔が悲しみに沈む様を思い浮かべると、胸にもやもやとしたものが広がる。気が滅入る。

『1、2、3……』

 声を聞かないように、何も思い浮かべないように、最低な気分で僕は退屈な作業を始める。集中できず大きく数え間違えてばかりだけど、気にせず続けた。

 次の日二人を見かけても、僕はいつもと同じようにすれ違う。

 こうして、何事もないような顔をして日々は過ぎていく。


  *


 この町で秋と冬を過ごした。秋も冬も町の空気によく馴染んでいて永遠に続くような気がしたが、寒さが和らいで少しずつ暖かくなり、きちんと春はやってきた。

 この寂しい町にも春は花を咲かせ、多少の慰みを僕達に与えてくれる。

 どこにでも、春は来る。

 真っ暗な迷路をさまようような、明るい兆しの全く見えない生活だった。

 日常という暗闇を僕たちはこれからも歩き続ける、そう当然のように考えていた。

 しかし気付かないだけで、光はすぐそばにあるのだ。

 日常はたやすく壊れるのだ。ちょっとした勇気や思いやり、そんなものによって。

 僕は春の来ない冬も、明けない夜も、止まない雨もあると思っていた。

 ずっとそれらから逃げ出しもがこうとしていたが、この町に来て、それが日常になればどうということもなくなるのだと、諦め始めていた。

 しかしやはり、冬が来れば春が訪れ、夜はやがて朝になり、雨は止み青空に虹をかける。

 素朴で優しくてあたたかいありふれたもの、そんなものが僕の中にもあることを、僕はまだ気が付いていなかった。


 

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