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君がいる街へ  作者: 芙美
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10 違い

 僕は部屋に戻り、いつまでも落ち着かない心臓と、頭の中で繰り返される記憶に苦しめられた。

 関わらないようにしていたのに、自ら近寄ってしまった。

 その上思い出したくない僕のあの言葉。

『行く?』という一言。

 間の抜けた軽薄な、誘い文句のようではないか。

 いや。しかしあれは誘い文句ではない。そうだ。

 彼女が僕とは関係なしに、花火大会に行くかどうか、それを確かめるただの世間話。僕はそのつもりだった。そのはずだ。花火大会という言葉を大事そうにつぶやいた彼女に、どうするかと聞いていただけだ。単なる世間話に、何を思い悩むことがあるというのだ。

『はい』僕への彼女の言葉。返答。

 これは、いいだろう。

 この返事より、その前の表情だ。

 彼女の少し驚いた顔。あの表情は突然何を言い出すんだ、という表情ではなかったか。何故私が、どうしよう、という困惑の表情ではなかったか。

 いや。いや違う。きっといつも挨拶だけの人間が突然話しかけて驚いたのだ。

 ……こんな風に延々、いつもするように様々な角度から『大丈夫、大丈夫』と自分に言い聞かせた。

 それでも駄目だった。

 落ち着いたように思えても、ふとした時にあの場面が甦る。

 そして心が乱れる。

 彼女は僕を笑いやしないか、陰で馬鹿にしてはいないか。あんな男が、と。


 何日たっても不安定で、僕は彼女に会わないように、前より更に気を配った。

 彼女に出くわし挨拶をされても、僕は会釈をする余裕すらなく素通りしてしまい、部屋でより一層じたばたと考え込む。目も合わせず無視をしてしまったのに、彼女の気持ちも考えない。僕は相変わらず自分のことばかり。最低だった。

 

 早朝や深夜、僕は彼女が出歩かないと信じ外に飛び出た。

 部屋に籠っていると、息が苦しくなるのだ。

 外に出た僕は、全力で走った。運動は嫌いだが、僕の心にある衝動を解消させる為に体を動かした。

 マラソンのようにペースを保って走るのではなく、短距離走のように全力で走り、立ち止まり、また走り。疲れるまで、気が済むまで続ける。

 ある日の早朝、あのレストランの店員が釣り道具を持って前から歩いてきた。

 僕はあまりの疲労に下を向き歩いていて、でもまた彼女の顔が浮かんできて、余計な考えを振り払う為にもう一度走ろうと顔をあげた。すると店員がいて、僕はなんとなく立ち止まった。そして釣り道具を眺める。

 いつもなら何食わぬ顔で通り過ぎただろう。でもこの時の僕はひどい疲労で頭がぼんやりして、釣りに行く彼が楽しげに見えてうらやましく思い、『いいなあ』と思うままの顔で見つめてしまった。趣味を持つ人間に対する憧れが、そんな顔をさせたのだ。いつもなら憧憬を否定し強がって目を背けていたかもしれないが、疲労を抱える僕は素直だった。

 手元ばかり見て、店員の顔は見ていなかった。きっと僕の様子に戸惑ったことだろうと思う。

 ぼんやりしていた僕は、すぐに自分を取り戻して、また走りだした。

 

 僕はその些細な出来事を、すぐに忘れてしまった。

 きっと、走っている途中に出会ったのが店員ではなく隣の娘で、その時僕が同じような行動をしてしまったら、走り去った後何度も思い出し苦しんでいただろう。

 僕にとって彼女は、他の人間と、違う。

 そんなことに気づかないまま、じたばたしながら一か月が過ぎて、とうとう花火大会の日がやってきた。




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