1 おろかもの
ある日僕は逃げ出した
僕が住んでいた小さな町から
僕を受け入れなかった小さな世界から
僕はいつも怒り、嘆いていた。
僕を幸せにしない、全てを憎んでいた。
何故僕をみんなは遠ざけるんだ、何故僕にみんなは優しくしないんだと、人並みに扱われてもそうわめいた。
『僕はいつ何時でも優遇されるべきなのだ』……そんなひどく勝手な論理で。
僕に優しくない世界を僕は恨み、そんな僕を世界は拒絶した。
僕が見た世界は僕を映す鏡のようなものだった。
全てが歪み、間違いだらけの世界。全てが歪み、間違いだらけの僕。
自分の醜さから目をそらし、わからないふりをしていつも怒り、嘆き、何も持たずに他者を攻撃してばかりの情けない男を、僕自身を、僕はひどくかわいがった。
僕は優れている。
僕は正しい。
世界が間違っているのだ。
僕が間違うなんて、ありえない!
ずっとそう思い込んでいたのに……ある日、全てが破綻した。
両親を早くに亡くした僕はずっと孤独で、自分の価値をひたすら守り、自分の考えだけを信じて生きてきた。
最初は優しく接してくれた人も、すぐに僕を疎んじるようになり、皆が僕を遠ざけた。
それは僕の皆への態度を考えると、当然のことだろう。
僕は皆の優しさを、感謝もなく当然のことと受け止めて、相手の話を聞かずに自分の主張ばかりで、間違いを正当化して間違い続け、それで相手の気分を損ねたのがわかると非難されたように感じ腹を立て相手を猛烈に批判した。
そんな風に失礼に失礼を重ねながら僕は平然としていた。
僕は善で、他は悪であった。
僕を良い方向に導こうと説く人間もいたが、僕はプライドや自己防衛で相手を攻撃するばかりで受け入れず、空っぽの自分自身を頑なに守り大人になった。
好意に甘え続けた僕は、仕事が長続きしなかった。仕事に就いては仕事を把握する間もなくすぐに辞めて、またはくびになり、そうして技能も知識も何も身に付かないままなのに、職を転々とすることで色々なことを経験したような気になっていた。
才能もなにもない。正しい行いをする知力も善意もない。魅力もない。知識もない。何も、全く何もない。
空っぽだ、と言われた。
いつもなら僕はめちゃくちゃに全力で僕をかばい相手を否定するのに、この時僕はこぶしを握り震えているだけだった。
それは僕が勝手に格下だと決めつけて接していた、僕が世話をしていると思い込んでいた人間からの言葉であった。
きっと我慢の限界だったのだろう、ずっと大人しく僕の言うままだったのに、突然叫び声をあげた彼に僕は初め呆然となった。
まずは世話をしてやっているという自負が崩れ、それからその言葉に僕を守っていたものが崩れ、弱さをさらけ出した僕がいた。
そうかもしれない。
ずっと僕は邪険にされ続けたが、それは僕が悪かったのだ。誰でもない、この僕が。
僕は空っぽで、なんの役にもたたない。誰かの邪魔になるばっかりの存在なのかもしれない。いない方がいいのかもしれない。
僕はその場を逃げ出し、走りながら頭の中ではぐるぐるとそんなことばかり考えていた。
危うくその考えに飲み込まれそうになった僕であったが、しかし頭を振って考えを散らし、現実から目を背けた。
……いや、違う。そうではない。
今回は不運が重なり、悪条件が重なった。
この町に住む人間特有の閉鎖的な考えも悪い。
そもそも僕の人生を取り巻く状況が悪かったのだ。
ここでは僕を発揮することができない。
ああ、そうなのかもしれない。
そうなんだ、きっと。
いや、絶対に。
そうしてギリギリで目をそらし、僕は町から逃げ出した。
遠くへ行けば何か変わるかもしれないなんて、随分幼稚で短絡的な考えだと思う。
僕が変わらないのに、場所が変わるだけで世界が変わるわけないのだ。
そんなことにも愚かな僕は気付かずに、涙目に強がった笑顔を浮かべ、これで全部うまくいくに違いないと思い込み、馬力の足りない車のアクセルを目一杯踏み込んだ。
ぼろぼろの車に乗って、僕はどこに行くあてもなくこの町を出た。