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バイトの日。
この店は夜になるとお酒も出す。
高校一年の頃、酔ったお客さんに絡まれたことがあった。
そのとき、従姉妹の高宮日和――よりちゃんに相談した。
「舐められない見た目も大事」
そう言われて、メイクを教えてもらった。
しっかりめのアイライン。
整えた眉。
少し強めのリップ。
それ以来、バイトの日は少し大人びた顔になる。
メイクは好きだ。
これが鎧みたいに学校でも使えたらいいのに、なんて思う。
⸻
「今日から入ります、山崎です!」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
「……え?」
エプロン姿の山崎陽翔。
「白石さん?」
こっちも驚いている。
店長が笑う。
「知り合い? じゃあ澄ちゃん、色々教えてやって」
そう。
バイト先ではみんな澄を“澄ちゃん”と呼ぶ。
奈津子のお兄さんがそう呼び始めたから、自然と定着していた。
「澄ちゃん、これお願い」
「澄ちゃん、グラス足りない」
飛び交う声に、陽翔が少し目を丸くする。
「へえ、澄ちゃんなんだ」
くすっと笑う。
忙しさが少し落ち着いた頃。
「山崎くん、これお願い」
澄が声をかけると、横から女性の先輩が振り向いた。
「あ、私?」
「あ、そうだった!違います!」
同じ苗字。
一瞬、ややこしい空気になる。
陽翔が吹き出す。
「これさ、俺も下の名前でよくない?」
「え?」
「山崎だと二人いるし」
確かにそうだ。
「じゃあ……陽翔くん?」
口に出してみると、少しだけくすぐったい。
「うん、それで」
軽く笑う。
そこから自然と、
「陽翔くん、これお願い」
「陽翔くん、そこお願い」
と呼ぶようになった。
そんな流れのまま。
「澄ちゃん、これどこ置く?」
て呼ばれた名前。
「あ、やば」
「ん?」
「今、澄ちゃんって言った」
少し照れた顔。
「ごめん。なんかみんなそう呼んでるから、つられた」
澄は思わず笑う。
「ふふ、いいよ別に」
「……ほんと?」
「うん。そのままでいいよ」
一瞬、間があく。
「……じゃあ澄ちゃんで」
少しだけ、嬉しそうだった。
⸻
一日一緒に動いてみて、陽翔くんは覚えが早いし、明るいし、物怖じしない。
すぐに先輩たちとも打ち解けていた。
「え、顔良……」
カウンター越しのひそひそ声。
やっぱり、イケメンなんだなと思う。
⸻
高校生組は十時上がり。
「おつかれー」
制服に着替えて、ふたりで店を出る。
夜風が涼しい。
「どうしてバイト始めたの?」
「久我と遊ぶのにPC欲しくて」
「ゲーム?」
「うん。クロスプレイだと限界あってさ」
笑う。
「仲いいんだね」
「一年からずっと。時間合えばやってる」
確かに、二人でいるとき楽しそうだと思っていた。
「二人とも、一緒にいるとき楽しそうだもんね」
「そう?」
少し照れたように笑う。
他愛ない話をしながら歩く。
気づけば澄も自然に笑っていた。
駅に着く。
反対方向。
「じゃあ、また明日」
「うん、おつかれ」
手を振って別れる。
電車に乗ったところで、スマホが震えた。
一番上に固定してある、恒一とのトーク。
澄からの「今日バイト」で止まっている。
既読のまま、返信はない。
胸が少し冷える。
通知は、その下。
陽翔くんから。
『今日はありがとう。これからよろしくな、澄ちゃん』
最後の四文字に、少しだけ笑う。
バイト中も、帰り道も。
嫌なことは、全部忘れていた。
暖かくて優しくてイケメンで、太陽みたい。
――私もしっかりしなきゃな。
よし。
ちゃんと聞かなきゃ。
なんで、あのとき何も言ってくれなかったの?
スマホを握りしめた。




