13
落ち着かない気持ちのまま、澄はカフェの席に座っていた。
窓際の、いつも恒一を待つ席。
そわそわする指先を落ち着かせるように、本を開く。
ページをめくる。
けれど、内容はあまり頭に入ってこない。
それでも読み進めているうちに、いつの間にか物語は終わっていた。
ふと時計を見る。
18:00。
野球部の練習は、だいたいこのくらいに終わる。
そこから着替えて、学校から歩いて三十分。
二人の待ち合わせは、だいたい18:30。
――あと少しかな。
澄はスマホを見る。
連絡は、まだない。
気を紛らわせようと、カバンから数学の教科書とルーズリーフを取り出す。
授業の予習でもしよう。
ペンを走らせる。
問題を解く。
また次の問題。
時間の感覚が、少しずつ薄れていく。
⸻
「すみません」
声が聞こえた。
「すみません」
「はい!」
澄はぱっと顔を上げた。
目の前にはカフェの店員さん。
よく見かける、大学生くらいのお兄さんだった。
「集中してるところごめんね。10時で閉店で、今ラストオーダーなんだ。なにか注文ある?」
「えっ」
澄は慌ててスマホを見る。
通知はなかった、21:30……
「あ、すみません! 長々と……出ます!」
急いで荷物をまとめる。
店内を見回すと、いつも半分くらい埋まっている席も、もうほとんど空いていた。
澄と、あと数人だけ。
「大丈夫だよ。いつもありがとうございます」
店員のお兄さんはそう言って、にこっと笑った。
会計を済ませて、澄は急いで店を出る。
⸻
外に出て、もう一度スマホを見る。
恒一とのLINEを開く。
画面にあるのは、
澄が送ったメッセージだけ。
「……流石に帰ってるってことだよね……」
小さくつぶやく。
連絡くらい……
してくれてもいいじゃん。
ぽろり、と
一粒だけ涙が落ちた。
⸻
気がつけば、バイトのある日みたいに遅くなっていた。
家に帰ると、リビングの明かりがついている。
「おかえりー」
ソファから顔を上げたのは、よりちゃん――従姉妹の高宮日和だった。
「澄、遅かったね。バイトだっけ?」
「うーん……いろいろ」
「ふーん……」
日和はそれ以上聞かなかった。
その少しあと。
玄関からバタバタと走り込んでくる音。
「ただいま!!!」
弟の悠真だった。
駅前の塾から帰ってきたところだ。
「姉ちゃん!!」
悠真が息を切らして叫ぶ。
「なんか恒一くん! さっき駅前で見たんだけど!」
澄の心臓が止まる。
「おれ、俺……姉ちゃんといるんだと思って」
悠真は焦ったように続けた。
「恒一くん!って俺、声かけちゃって……」
「呼んだら、ハッて振り返ったんだけど」
息を飲む。
「隣にいた人……違う女の人で」
「恒一くんの手、握ってた……」
――もう限界だった。
澄の視界がぐにゃりと歪む。
涙があふれて、止まらない。
そのまま、部屋へ走った。
「姉ちゃん!」
「悠真!」
悠真の泣きそうな声と、
日和が悠真を引き止める声が、後ろで重なった。
⸻
「おれ……余計なこと言ったかな」
自分の言葉が姉を傷つけたと気づき、悠真の声が震える。
日和は悠真を抱きしめた。
小さな頭を、ゆっくり撫でる。
澄は今、話せない。
あれはそういう泣き方だ。
悠真もとうとう泣き出した。
日和は強く抱き寄せる。
現在二十三歳の日和は、高校のころからこの家に住んでいる。
澄たちの父、総司くんが亡くなったあと、
白石家の母、透子は女手ひとつで二人の子どもを育ててきた。
……そして、日和の面倒まで。
悠真が小学校に入ると、少年野球を始めた。
澄の彼氏であり、野球をしている恒一。
男手がない白石家で、悠真は恒一に本当の兄のように懐いていた。
いや、もしかしたら。
父親に甘えるみたいに。
今回のことは、悠真にとっても大きな出来事だった。
日和はふと、澄の泣き声に耳を澄ませる。
あんなふうに泣く澄を見るのは――
総司くんが亡くなったとき以来だった。
……
澄の中学の卒業式。
日和と澄の母、透子も、あの告白を見ていた。
状況は少し強引だったけれど、
真っ直ぐな思いに見えて、微笑ましく思っていた。
それなのに。
澄を泣かせるなんて。
日和は静かに息を吐く。
悠真が少し落ち着いたのを確認してから、立ち上がる。
キッチンへ向かった。
鍋にミルクを入れる。
砂糖と紅茶。
静かに温める。
澄の部屋に持っていくための、あたたかいミルクティー。
湯気がゆらゆらと揺れるのを見ながら、
日和はもう一度、大きくため息を吐いた。




