1
カフェの窓から見える桜並木は、もうほとんど色を失っていた。
数日前まで薄桃色だった道は、今は花びらが踏まれてくすんでいる。
風が吹いても、新しく散る花はもうない。ただ、残ったものが転がるだけ。
春が終わるんだな、と澄は思った。
テーブルの上のスマホが震える。
――駅つく。
彼氏である武田 恒一からのLINEに、澄は小さく笑った。
トレーを返し、カフェを出る。
駅前は同じ高校の生徒たちでにぎわっていた。
――まだかな……。
さっきまで読んでいた小説をもう一度開き、数行だけ目で追う。
「澄」
呼ばれて顔を上げる。
恒一は少し汗ばんでいて、練習帰りの匂いがした。
「おつかれさま」
そう言うと、恒一は軽くうなずく。
学校から一番近い駅ではなく、商店街を十分ほど歩いた先の駅を使うのが、二人の帰り道だ。
さっきまで一緒にいたのだろう、十人前後の野球部の集団が少し後ろにいた。
澄はぺこりと頭を下げる。
集団の中でひときわ背の高い森川 颯真が気づき、小さく会釈を返してやわらかく笑った。
その隣で、川端 大智が一瞬こちらを見た気がした。
「えぇ!?」
坂本 大和の大きな声が響く。
次の瞬間、どっと笑いが起こる。
何の話かは聞こえない。
聞こえないのに、胸の奥が少しざわついた。
――自意識過剰だよね。
澄はそう思い直す。
高校に入ってから、なんとなく野球部の集団が苦手だった。
森川は、親友のなっちゃん――藤原 奈津子の幼なじみらしく、少し言葉を交わしたことがあるから平気だ。
けれど、さっき目が合った川端と、体も声も大きい坂本は、どうしても得意になれない。
「ん」
恒一が手を差し出す。
一年間、何度も繰り返したやりとり。
最初は断っていた。自分で持てる、と。
でも今は、素直にカバンを渡す。
「ありがとう」
恒一は澄のカバンを肩にかけ、何も言わずに歩き出す。
商店街は夕方の匂いがする。
クラスのこと、テストのこと、バイトのこと。
他愛もない話が続く。
電車に乗ると、ちょうど一つ空席があった。
「座れ」
澄を先に座らせ、恒一はつり革につかまる。
お年寄りや子どもが乗ってくれば、さりげなく席を譲る。
そういうところ、ほんとうに優しいなと思う。
二人きりの時間は、ゆっくりと流れる。
駅を降り、澄の家までの道を歩く。
恒一にとっては少し遠回りだ。
家の前に着くころ、澄はなんとなく息を整える。
――あ、くる。
「澄」
呼ばれて、腕を引かれる。
一か月前からの新習慣。
恒一からのキス。
一瞬目が合い、どちらともなく赤くなる。
やわらかくて、短い。
離れたあと、恒一は少し照れたように視線を逸らす。
「じゃあな」
「うん、またね」
恒一の背中が、だんだん小さくなる。
澄は家の前で、しばらく見送った。
ふと指で唇に触れる、思わず口角が上がってしまう。
胸の奥はあたたかい。
さっきのざわつきなんて、もう思い出せないくらいに。
家の前は桜が散ってピンク色の絨毯みたい。
澄の恋心を表してるようだ。
そう思って、ご機嫌になんとなくくるりと一回転して家に入った。
駐車場入口のグレーチングには踏まれた桜の花びらが、薄く張りついて少し黒ずんでいた。
春は、終わりかけている。




