うちの愛犬、お前の浮気相手のブラジャー咥えてリビングに来たぞ 〜浮気現場で最新の犬語翻訳機が火を吹く〜
「ただいまー」
私がマンションのドアを開けた瞬間、出迎えてくれたのは愛犬のゴールデンレトリバー、ヨーダの熱烈な歓迎……ではなく、リビングから漂う妙に落ち着かない空気と、同棲三ヶ月目の彼氏、健太の引きつった笑顔だった。
「お、おかえり透子。……今日、仕事遅くなるんじゃなかったっけ?」
健太はソファに座り、テレビもつけていないのにリモコンを握りしめている。額にはうっすらと汗。
典型的な「何か隠してます」という顔だ。
「会議が巻いたのよ。それより、これ見て」
私は健太の動揺をスルーし、バッグから手のひらサイズの機械を取り出した。最新型の犬語翻訳機『バウリンガル2.0』だ。
「なにそれ、おもちゃ?」
「おもちゃじゃないわ。AIが犬の鳴き声とか生体反応を解析して、言語化する最新ガジェットよ。ヨーダの本音が聞きたくて」
私は早速、ヨーダの首輪にその四角いデバイスを装着した。
健太は「そんなのデタラメだろw」と鼻で笑い、ポテトチップスを口に放り込む。
「犬の気持ちがわかるなんてオカルトだよな。なぁ、ヨーダ?」
健太がヘラヘラとヨーダの頭を撫でようとしたその時だった。
『ピッ――解析完了。音声出力、開始。』
首輪のスピーカーから、やたらと重厚で戦場を生き抜いてきた軍人のような勇ましい合成音声が響き渡った。
『――ゴシュジン、オカエリ。コノ、オス、クサイ』
「えっ……?」
「クサい? 健太、あなたお風呂入ってないの?」
私が冷ややかに問い詰めると、健太は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「ち、違う! なんだよこの機械、壊れてるぞ! ほら、ヨーダも違うって言えよ!」
健太が焦ってヨーダを小突く。しかしヨーダは尾を振るどころか、じっと寝室のドアを見つめたまま再び吠えた。
「ワンッ!」
『解析結果――シンシツ、シラナイ、メス、カクレテル。メツボウセヨ』
翻訳機の無慈悲な宣告が静かな部屋に再び響いた。
「健太、あんた今、寝室に誰か隠してるの?」
「な、何言ってんだよ! そんなわけないだろ。この機械、絶対バグってるって!」
健太は必死に否定するが、声が二オクターブほど上ずっている。
そんな動揺などどこ吹く風で、ヨーダは「トタトタ」と爪の音を響かせ、悠然と寝室へと消えていった。
「あ、おい! ヨーダ、勝手に入るな!」
健太が止めに入るより早くヨーダが何かを咥えて戻ってきた。
そして私の足元へ、戦利品を差し出す兵士のように「ポイッ」とそれを置く。
――それは見覚えのない派手な、そして明らかに私のものより二回りほどカップの大きな黒いブラジャーだった。
「…………これ、何?」
「そ、それは……、その、お前のじゃないのか!? ほら、たまに気分転換で派手なやつ買うだろ!?」
健太の苦しすぎる言い訳に、間髪入れずバウリンガルが反応する。
『ピポッ――解析結果。』
『シンシツ、シラナイ、メス、カクレテル。コノ、ヌノ、クサイ。メスノ、ニオイ、メツボウセヨ』
勇ましい合成音声がリビングに響き渡る。
私はヨーダが持ってきたブラジャーを指先でつまみ上げ、じろりと健太を睨みつけた。
「私のサイズ知ってて言ってる? これ、どう見ても私のじゃないわよね」
「いや、それは……、その、洗濯物に紛れ込んでたとか……!」
もはや支離滅裂な健太に、私は冷めた視線を送ったままヨーダに話しかけた。
「ヨーダ、もっと詳しく教えて」
ヨーダは一度、大きく「ワンッ!」と吠える。
『解析完了――ベッドノ、ニオイ、クサイ。ゴシュジンイガイノ、メスト、コノ、オスノ、ニオイ、マザッテ、スゴク、フカイ。メツボウセヨ』
翻訳機から「メツボウセヨ(滅亡せよ)」という物騒な単語が飛び出す。
ヨーダの瞳は、もはや獲物を追い詰めたハンターのそれだった。
「『混ざって』……。ねぇ健太。私のベッドで、その『メス』と何をしたの?」
「ち、違うんだ透子! 信じてくれ、俺は……!」
健太の言い訳を遮るようにヨーダは再び鼻先をフンフンと鳴らし、次なる獲物を求めて寝室へと走り出した。
「おい、そのインチキ機械を外せ! ヨーダ、こっちに来い、ケージに入れ!」
顔を真っ赤にした健太が、捕獲しようとヨーダに飛びかかった。
だがヨーダはゴールデンレトリバー特有のしなやかな身のこなしで、ひらりとそれを回避。逆に健太は自分の足に躓き、リビングの床に無様に五体投地する形になった。
「ワンッ!」
『解析――敵対行動検知。コノ、オス、ハナシ、ツウジナイ。メツボウセヨ』
翻訳機の勇ましい声に見送られ、ヨーダは再び寝室へ突撃した。
もはやそれは「デリバリー」という名の波状攻撃だった。
トタトタ、ポイッ。
一品目。画面の点いたスマートフォン。ロック画面には健太と、胸元を強調した派手な女のツーショット自撮りが堂々と映し出されていた。
トタトタ、ポイッ。
二品目。伝線したストッキング。生々しい生活感がリビングの清潔な空気を汚していく。
「あ、あああ……っ!」
健太が絶望の声を上げる中、ヨーダは最後の一撃と言わんばかりに、寝室のサイドテーブルの奥から「それ」を咥えて戻ってきた。
トタトタ、ポイッ。
三品目。パカッと開いた小さな箱。中には私の好みとは180度違う、やたらと派手で成金趣味なダイヤモンドの婚約指輪が収まっていた。
「……健太。これ、私にくれるつもりだったの?」
私の氷点下の問いに、健太は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
この三ヶ月、私の誕生日はスルーされ、記念日も「金がない」とぼやかれていた。その金で、この「ミル」とかいう女に指輪を買っていたわけだ。
「ワンッ!」
『解析――コノ、オス、スクイヨウナイ。ゴシュジン、イマスグ、セイバイ、シテヨシ。オス、メツボウセヨ』
バウリンガルの無機質な合成音声が、もはや判決を下す裁判官のように響く。
「……ち、違うんだ透子! それは……、道で拾ったんだ! 届けようと思って……!」
健太は床に額を擦り付けついに土下座の姿勢をとった。
あまりに苦しく、あまりに情けないその姿を、ヨーダは冷ややかな黄金の瞳で見下ろしている。
「指輪を道で拾う? そんな奇跡が起きるなら今すぐ宝くじでも買ってきたら?」
私が冷たく言い放つと健太は床にへばりついたまま震えだした。
だが、ヨーダの「仕事」はまだ終わっていない。彼は悠然と寝室へ戻ると、今度はクローゼットの引き戸に鋭い鼻先を差し込んだ。
「あ、おい! そこは開けるな! やめろっ!」
健太の制止も虚しく、大型犬のパワーで扉が勢いよくスライドする。
「キャアアアアアッ!」
中から飛び出してきたのは、私のTシャツ一枚を無理やり被っただけの半裸の女だった。彼女はクローゼットの隅で小さくなっていた反動で、無様に床へと転がり出た。
「……こんにちは。ずいぶん狭いところでくつろいでいたのね」
私が一歩踏み出すと、女は「ひっ」と短い悲鳴を上げて後退る。
そこへヨーダが威嚇の唸り声をあげながら詰め寄った。
「ウゥゥ……ワンッ!」
『解析完了――シラナイ、メス。ワタシノ、テリトリー、ヨゴスナ。カムゾ。イマスグ、メツボウセヨ』
バウリンガルの勇ましい重低音が逃げ場のない寝室に響き渡る。
女は顔を引きつらせ、「な、なによこの犬! 怖いんだけど!」と叫んだが、ヨーダの黄金の瞳には一切の容赦がない。
私はそんな二人を冷めた目で見下ろしながら、ポケットからスマートフォンを取り出した。
床に散乱した女の衣類、派手なブラジャー、スマホ、指輪。そして情けなく土下座する健太と、腰を抜かした半裸の女。
パシャッ、パシャッ。
無機質なシャッター音が、彼らの「終わり」を記録していく。
「透子、やめてくれ! 話し合おう、な!?」
「話し合う? 必要ないわ。証拠はこれだけ揃ってるもの」
私はスマホをしまい、ヨーダの頭を優しく撫でた。
ヨーダは満足げに尾を一度だけ振り、翻訳機は『ミッション、カンリョウ』と短く告げた。
「ヨーダ、もういいよ。お疲れ様」
私は顔を上げ、まだ何か言いたげな健太をゴミを見るような目で見据えた。
「この『オス』、保健所――じゃなくて、実家に返品するから。今すぐ荷物まとめて出ていって。あ、その女もセットで引き取ってね。不法侵入で警察呼ばれたくなかったら、五分以内によろしく」
私の迷いのない宣言に、健太は絶望に顔を歪めた。
「五、四、三……」
私が無機質にカウントダウンを始めると、健太と女は文字通り這うようにして、散乱した証拠品をひっつかんで玄関へと逃げ出した。
バタン! という景気のいい音と共に、私の生活から「害獣」が完全に排除される。
「ふぅ……。明日にでも、鍵、交換しなくちゃね」
私は大きく伸びをしてから、内側からしっかりとサムターンを回した。
数分前まで地獄のような空気だったリビングは、今や驚くほど静かで、そして清々しい。
「お待たせ、ヨーダ。大活躍だったわね」
私は冷蔵庫の奥から自分へのご褒美に買っておいた「一袋二千円」の黒毛和牛ジャーキーを取り出した。
これまでは健太に「贅沢だ」と文句を言われるのが面倒で隠していたが、もうその必要はない。
袋を開ける音に反応して、ヨーダがキラキラとした期待の眼差しを向けてくる。
一枚差し出すと、ヨーダは行儀よく「待て」をしてからパクリと最高の音を立てて頬張った。
『ピポッ――解析結果』
またしても、あの勇ましい軍人のような合成音声が響く。
『ゴシュジン、ツギハ、イヌノヨウニ、セイジツナ、オス、ニシテ。ウワキスル、オス、メツボウセヨ』
「……言うわね。でも、本当にその通りだわ」
私はヨーダの柔らかい耳を撫でながら、ふっと肩の力を抜いて苦笑した。
翻訳機の言う通りだ。尻尾を振って嘘をつかない愛犬の方が、よっぽど人間として信頼できる。
「善処するわ。次はあなたみたいにずっと私だけを見てくれる『オス』を探すことにする」
私の言葉に応えるように、ヨーダが力強く「ワンッ!」と吠えた。
『翻訳――了解。ワタシガ、シンサスル。アンシンシテ』
静かな部屋に一人の女性と一匹の勇猛な「守護神」の笑い声(と機械音声)が、心地よく響き渡った。
健太と浮気相手を叩き出してから二週間。
私のスマホには見知らぬ番号から何度も着信があった。
「透子ぉ! 頼む、話を――」
「あ、健太。今、スピーカーにするから。ヨーダ、何か言ってあげて」
私は新しく買い替えたふかふかのソファでくつろぎながらヨーダに話しかける。
「ワンッ!」
『解析完了――コノ、マケイヌ、シツコイ。メツボウセヨ』
「なっ……! お前、実家の親にまであの動画送っただろ! 会社にも変な噂が広まって……、ミルとも速攻で別れたんだよ!」
どうやら披露宴用に貯めていた共有口座を全額解約し、慰謝料として徴収したのが効いたらしい。さらに例の「土下座とブラジャー」のセット画像を彼の両親に送りつけた結果、健太は実家からも勘当の危機らしい。
「自業自得でしょ。不法侵入と不貞行為。記録はバッチリ残ってるんだから」
私が冷たく言い放つと健太は電話越しに情けない声を上げた。
「……なぁヨーダ、お前からも言ってくれよ! 俺たち、散歩仲間だっただろ!?」
「ワンワンッ!」
『解析――記憶消去済み。ウワキオス、タダノ、ソダイゴミ。サヨナラ、メツボウセヨ』
プツッ、と通話を切る。
ヨーダは「よくやっただろ?」と言わんばかりに、私の膝に大きな頭を乗せてきた。
「本当に優秀ね、バウリンガル2.0。……あ、誰か来た」
インターホンが鳴る。
注文していたピザの配達員さんだった。
ドアを開けると爽やかなお兄さんが「お届けに上がりました!」と笑顔で立っている。
「ありがとうございます。おいくらですか?」
財布を出そうとしたその時、背後で待機していたヨーダがお兄さんの脚のあたりを「フンッ」と一嗅ぎした。
『ピッ――生体解析開始』
お兄さんが「え、何その機械?」と目を丸くする。
『解析結果――コノ、オス。ドウブツアイゴセイシン、タカイ。ネコノケ、イッパイ。ウソ、ツカナイ。ゴウカク』
「えっ……、あ、はい。猫三匹飼ってます」
お兄さんが照れ臭そうに笑う。
私はピザを受け取りながら、ヨーダの「審査」の厳格さに苦笑いした。
「……ヨーダ。ピザ屋さんは別に付き合う相手じゃないから、合格出さなくていいのよ」
「ワンッ!」
『警告――ゴシュジン、チョロい。ワタシガ、マモル。フセイジツナ、オスハ、メツボウセヨ』
どうやら私の次の恋路は、この高性能な「守護神」の許可が降りるまで当分先になりそうだった。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヨーダの「メツボウセヨ」に少しでもスカッとした、あるいは「うちの犬にも翻訳機をつけたい」と思ってくださった方は【☆☆☆☆☆】を押してもらうとヨーダが新しいジャーキーを貰えて大変喜びます!
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浮気をする人間より、誠実なワンコの方がよっぽど信頼できる。そんな思いを込めて書きました。浮気、ダメ、ゼッタイ。




