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悪役令嬢は脇役に徹するつもりでした  作者: 九葉(くずは)


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第9話 重厚な額縁と、修正困難な構図

 冷めきった紅茶の表面に映っていた自分の顔は、能面のように静かだった。


 あれから数日。私は再び「見られる」ための準備をしていた。

 王宮の画廊。鼻をつくテレピン油の匂い。

 今日は、婚約発表用の公式肖像画を描く日だ。

 この絵は国中に複製が出回り、リトグラフとなって新聞に刷られる。私たちの関係を証明する、最も強力なプロパガンダだ。


「では、お二人はあちらの長椅子へ」


 髭を蓄えた王宮画家が、パレットを片手に指示を出す。

 エリオット殿下が先に座り、その横のスペースを掌で示した。


 私は一瞬、椅子の配置と、背後のカーテンの位置を確認した。

 そして、彼から拳一つ分だけ距離を空け、少しだけ斜め後ろに引いた位置に腰を下ろした。


 ここだ。

 ここなら、将来私たちが婚約破棄をした時、私の部分だけを上から背景色で塗りつぶしやすい。あるいは、キャンバスをカットして彼単独の肖像画として再利用することも可能だ。

 「去りゆく者」としての、最後にして最大の配慮。我ながら完璧なポジショニングだ。


 扇を開き、慎ましやかなポーズを取ろうとした、その時。


「……遠いな」


 ぽつりと呟いたエリオット殿下が、私の腰に手を回し、強引に自分の方へ引き寄せた。

 ずるりとシルクの座面を滑り、私の体は彼の太腿に触れるほど密着させられた。


「で、殿下? これでは近すぎます。公式の肖像画としては、品位が――」

「婚約者同士だ。これくらい親密でなくてどうする?」


 彼は悪びれもせず、私の手を自分の膝の上に重ね、指を絡めた。

 体温が伝染する。心臓の音がうるさい。

 こんな構図で描かれてしまっては、後で修正が効かないじゃないか。私の腕を切り落とさなければ、彼の絵も残せない。


 ――ああ、そうか。

 私は彼を見上げ、納得した。

 これは「不可逆」のアピールだ。

 第一王子派閥に対し、「二人の絆は修正不可能なほど強固である」と視覚的に叩きつけるための演出。

 後でどう処理するかなど度外視して、今この瞬間の政治的インパクトを最大化しようとしているのだ。


 合理的だ。実に彼らしいハイリスク・ハイリターンな戦略。


「……動かないでくださいね、リディア」

「はい。殿下の仰せのままに」


 私は覚悟を決め、彼に身を預けた。

 画家が筆を走らせ始める。


     * * *


 一時間が経過した頃、画家が困ったように筆を止めた。


「あの……殿下。恐れながら」

「なんだ? 疲れたか?」

「いえ、そうではなく。……殿下の視線が、常にリディア様に向いておりまして」


 画家は苦笑しながら、描きかけのキャンバスを指差した。


「正面を向いていただかないと、公式肖像画になりません。今のままでは、ただの『恋する青年の絵』になってしまいます」


 侍女たちがくすくすと笑い声を漏らす。

 私は驚いてエリオット殿下を見た。

 彼は「おや」とわざとらしく目を丸くし、それから私の耳元で囁いた。


「君があんまり綺麗に笑うから、つい見惚れてしまった。……演技指導が必要かな?」


 甘い吐息が鼓膜を震わせる。

 私は赤くなりそうな頬を、必死に鉄の意志で抑え込んだ。


 恐ろしい人。

 画家や使用人たちまで巻き込んで、「溺愛されているリディア」という既成事実を固めようとしている。

 彼の視線は、愛おしさではなく、自分の作り上げた「作品」の出来栄えを確認する職人の目だ。

 「よし、今日も完璧に演じているな」というチェックの眼差しを、画家は恋心と勘違いしたのだ。


「……殿下。前を向いてくださいませ。私も、困ってしまいます」

「君に頼まれては仕方ないな」


 彼はようやく正面に向き直った。

 けれど、絡めた指の力だけは、撮影が終わるまで決して緩むことはなかった。


     * * *


 数日後、完成した絵が運び込まれた。


 重厚な**金色の額縁**に収められた私たちは、まるで物語の主人公のように幸せそうに微笑んでいる。

 背景の薔薇も、ドレスの光沢も、すべてが輝いている。

 嘘の世界。


 私は額縁の硬いふちを指でなぞった。

 この枠の中にいる限り、私は守られる。けれど、一歩外に出れば、私はただの「捨てられた令嬢」に戻る。


 いつか本命が現れた時、この重たい絵はどうなるのだろう。

 王宮の地下倉庫で、埃を被って忘れ去られる運命か。

 それとも、エリオット殿下が笑いながら暖炉にくべるのだろうか。


「……綺麗に描けていますね」


 私は背後に立つ彼に、最高評価を下した。


「これなら、誰も私たちの仲を疑わないでしょう」


 エリオット殿下は何も言わず、ただじっと絵の中の私を見つめていた。

 その横顔が、なぜか少しだけ切なそうに見えたのは、きっと夕日のせいだ。


 私はもう一度、絵の中の自分と目を合わせた。

 笑いなさい、リディア。

 この額縁が外されるその日まで、幸せな夢の住人であり続けるために。

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