表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は脇役に徹するつもりでした  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/36

第23話 木製のメトロノームと、転写される微笑み

 銀の茶漉しに残った出涸らしは、既に捨てられた。

 今の私は、新しい茶葉を最高の一杯に仕上げるための「熱湯」にならなければならない。


 離宮の一室、ダンスホールとしても使える広い部屋に、乾いた音が響いている。

 カチ、カチ、カチ、カチ。

 ピアノの上に置いた**木製のメトロノーム**が、無機質なリズムを刻み続けている。


「背筋を伸ばして。顎を引いて。視線は常に五メートル先へ」

「は、はいっ! ……あふっ」


 頭の上に分厚い本を乗せたアリア様が、よろめきながら床に膝をついた。

 本が落ち、鈍い音を立てる。

 彼女は涙目になりながら、すぐに本を拾い上げて立ち上がった。


「ご、ごめんなさいリディアお義姉様! もう一度、もう一度お願いします!」


 そのひたむきな姿に、私は教鞭きょうべんを持つ手に力を込めた。


 彼女は天才だ。

 王宮のマナーなど何も知らないはずの辺境育ち。けれど、私が一度手本を見せれば、次の瞬間にはそれを模倣してみせる。

 まだ動きはぎこちないが、その所作には天性の華がある。

 どんなに泥臭い練習をしていても、彼女の周りだけキラキラとした光の粒子が舞っているようだ。


 ――これが、「主役」の輝き。

 努力してメッキを塗り重ねた私とは違う、骨の髄からのダイヤモンド。


「謝る必要はありません。今のターン、足運びは完璧でした。あとは重心の移動だけです」

「本当ですか? えへへ、お義姉様に褒められた!」


 彼女が花が咲くように笑う。

 その笑顔の破壊力に、同性である私でさえドキリとする。

 悔しいけれど、誰も勝てない。彼女は愛されるために生まれてきた存在だ。


「……アリア様。休憩にしましょう」


 私はメトロノームの針を止め、カチリと音を消した。

 静寂が戻る。


「あのね、お義姉様。私、もっと頑張ります。エリオット様のためにも、お義姉様のように立派になりたいんです」


 アリア様がタオルで汗を拭きながら、憧れの眼差しで私を見つめてくる。

 私のように。

 その言葉が、胸の奥を鋭利な刃物でえぐる。


 貴女が私になってはいけません。

 貴女は私を超えて、私を過去にする存在になるのですから。


「……では、少し高度なテクニックをお教えしましょう」


 私は扇を開き、口元を隠して彼女に近づいた。


「殿下は、正面から見つめられるよりも、少し斜め下からの視線に弱いのをご存知ですか?」

「えっ、そうなんですか?」

「ええ。顎を五度下げて、上目遣いで、でも媚びないように凛と微笑む。……こうです」


 私は実践してみせた。

 鏡の前で何千回も練習した、エリオット殿下が最も優しく反応してくれる「黄金の角度」。


 アリア様は真剣な顔で私の顔を覗き込み、そして鏡に向かって同じ顔を作った。


「こ、こうですか?」


 ――完璧だ。

 鏡の中に映る彼女は、可憐で、守ってあげたくなる儚さと、芯の強さを同時に表現していた。

 私というフィルターを通すことで、彼女の魅力は何倍にも増幅されている。


 パチパチパチ。

 入り口の方から、拍手の音が聞こえた。


「素晴らしい。見違えたよ、アリア」


 エリオット殿下だった。

 公務の合間を縫って、視察に来たのだろう。

 アリア様がパッと顔を輝かせ、教えたばかりの「角度」で彼を振り返る。


「エリオット様! 見てくださいましたか?」

「ああ。立ち居振る舞いが、随分と洗練された。……まるで、リディアが二人いるようだ」


 彼は満足げに頷き、そして私に視線を移した。


「さすがだな、リディア。君の色に染まると、彼女の魅力が一層引き立つ」


 「君の色に染まる」。

 その言葉を聞いた瞬間、私は自分の役割の正体を完全に理解した。


 これは「データ移行」だ。

 私が長年かけて築き上げた「第二王子妃としてのノウハウ」や「彼に愛されるための振る舞い」というソフトウェアを、アリア・ミルストンという最新かつ最高スペックのハードウェアにインストールしているのだ。


 移行が完了すれば、古いハードウェア(私)は廃棄される。

 当然だ。同じ機能を持つなら、より美しく、より「正統性(聖なる力)」を持つ方が選ばれるに決まっている。


「……お褒めにあずかり光栄です。アリア様は吸収が早くていらっしゃるので、私の持てるすべてを授けるのも、そう時間はかからないでしょう」


 私は扇を閉じ、一歩下がって二人の姿を視界に収めた。

 並んで立つ二人は、一枚の絵画のように美しい。


 エリオット殿下は、アリア様の成長を喜んでいる。

 それはつまり、私という「代用品」が不要になる日が近づいていることを喜んでいるのと同じだ。


「引き続き頼むよ、リディア先生」


 彼の無邪気な信頼が、残酷な鞭のように私の背中を打つ。


 私はメトロノームの蓋を閉じた。

 この機械仕掛けのリズムが止まる時、私の教育係としての任も、そして婚約者としての任も終わる。


 あと少し。

 私の全てを書き写し終えるまで、どうか壊れずに動いてくれ、私の心。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ