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悪役令嬢は脇役に徹するつもりでした  作者: 九葉(くずは)


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第10話 鎖付きの法典と、読み替えられる条文

 額縁の中の私が浮かべていた微笑みは、絵の具が乾いても決して崩れることはない。


 けれど、現実はそうはいかない。

 私は王宮の最奥、一般には公開されていない「禁書庫」の重い扉を押し開けた。

 鼻腔をくすぐる埃と、古びた羊皮紙の匂い。ここには王国の歴史のすべて、そして王位継承に関わる法的手続きの全貌が眠っている。


 エリオット殿下が私にここの閲覧鍵を渡してくれた意味は明白だ。

 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」。

 第一王子派閥を法的に追い詰めるための材料を探せ、という指示だろう。


 私はランプを掲げ、書棚の奥へと進んだ。

 目当てのものはすぐに見つかった。

 **鎖で棚に繋がれた、分厚い黒革の古書**。『王位継承法典・第一版』。


 私は手袋をはめた指で、慎重にページをめくった。

 記述を追う目が、ある条文で止まる。


 『王位ヲ継グ者ハ、四大公爵家ノ承認、或イハ「精霊ノ加護」ヲ持ツ伴侶ヲ得ルベシ』


 ――やっぱり。

 私は重いため息を吐き出した。

 アルフェン家は伯爵位だ。四大公爵家ではない。そして私に「精霊の加護」などというファンタジーな能力はない。

 つまり、現行法において私は「王太子妃の要件」を満たしていないのだ。


 第一王子派が私を「相応しくない」と攻撃するのは、単なる嫌がらせではなく、この法典に基づいた正当な主張だったわけだ。


「……難しい顔をしているね」


 静寂を破る声に、私は弾かれたように顔を上げた。

 エリオット殿下が、書架の隙間から私を覗き込んでいた。手には珈琲のポットが握られている。


「休憩しないか? 根を詰めすぎると毒だよ」

「申し訳ありません。ですが、重大な記述を見つけてしまいまして」


 私は鎖が鳴らないようそっとページを押さえ、該当箇所を彼に示した。


「この条文です。私の身分では、殿下の王位継承の妨げになる可能性があります。法改正の手続きを急ぐか、あるいは四大公爵家への根回しを――」

「ああ、それか」


 エリオット殿下は、まるで天気の話でもするかのように軽く肩を竦めた。

 そして、あろうことかその貴重な法典をパタンと閉じてしまった。


「そんなカビの生えた文章、気にする必要はない」

「で、ですが! これは王国の根幹です!」

「時代は変わる。法も変わるべきだ。……私が王になれば、そのような不合理な条件はすべて撤廃する」


 彼の碧眼が、ランプの火を映して揺らめく。

 その瞳に宿るのは、強烈な野心と、革命家のような熱。


「愛する者が誰であれ、隣に立つ資格がある。そうだろう?」


 ――ドキン、と心臓が鳴った。

 なんてロマンチックで、そして計算高い言葉だろう。


 私は瞬時に彼の意図を「解読」した。

 彼が法を撤廃したい理由。それは私のためではない。

 将来、彼が本当に愛する「運命のヒロイン」――おそらくは平民や下級貴族出身の、守られるべき可憐な少女――を迎え入れるために、今のうちに悪法を掃除しておきたいのだ。


 私はそのための「前例」だ。

 身分不足の私が婚約者として座り続け、既成事実を作ることで、法改正の議論を巻き起こす。

 私が批判の矢面に立っている間に、彼は裏で法を変え、舞台が整ったところで本命を呼ぶつもりなのだ。


 胸の奥がずきりと痛む。

 けれど、それは甘い痛みでもあった。

 そこまでして守りたい人がいるなんて、彼はなんと一途なのだろう。


「……素晴らしいお考えです、殿下」


 私は古書の表紙を撫で、鎖の冷たさを確かめた。


「その『新しい時代』が来るまで、私がこの古い法典の重みに耐えてみせましょう。批判も、異論も、すべて私が受け止めます」


 エリオット殿下は驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに破顔した。


「ありがとう、リディア。君なら私の理想を理解してくれると信じていた」

「ええ。よき理解者でありたいと願っていますから」


 理解していますとも。

 貴方のその「理想」の中に、私は含まれていないということを。


 彼は満足げに珈琲を注ぎ始めた。

 私はその横顔を見つめながら、心の中で誓う。

 この鎖付きの法典のように、私は貴方を「王位」という棚に繋ぎ止めるための、重たくて頑丈なアンカーになります。

 いつか貴方が、その鎖を自らの手で断ち切るその日まで。

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