九話 捕虜交換と、“聞いていいこと・悪いこと”
砦の当直表に赤線を引いてから、三日が過ぎた。
夜明け前の見張り台には、違う顔が立つようになった。
「夜目が利くから」という理由で毎晩のように登らされていた兵士たちは、今は一晩おきに別の持ち場に回されている。
「どうだ、ヘンリー伍長」
土塁の上で声をかけると、夜明け前の見張りを終えたばかりのヘンリーが、目をこすりながら笑った。
「正直、まだしんどいっすけどね。
でも、“三晩連続”がなくなっただけで、体の中のどこかが、“あ、今日は死ななくていいんだ”って言ってます」
「物騒な表現だな」
「前はマジで、“落ちたらそのまま寝ちゃっていいか”って思う瞬間ありましたから」
笑いながら言うあたり、本人はもうだいぶ吹っ切れているらしい。
「それに、回数表の板、あれ効きますね」
「効く?」
「“今月、お前もう四回入ってるぞ。じゃあ次は俺がやるわ”って、自然と口に出るようになったんすよ。
今までも思ってたんですけどね、“あいついつも当直じゃね?”って。でも、なんか言い出しづらくて」
それは、どこの職場でもよく見る光景だ。
黙っていれば、黙っているやつに仕事が寄っていく。
“言いやすい人間”と“言いづらい人間”で、負担が偏っていく。
そこに板一枚差し込んだだけで、こんなに空気が変わるのだから、数字というのはやっぱり侮れない。
「お前がここを離れても、板は残しておきますよ」
ヘンリーが照れ臭そうに笑った。
「あとで“本部の偉い人に怒られたからやめます”とか、ナシですよ?」
「本部の偉い人は、むしろ増やせって言うタイプだ」
俺は笑い返した。
「心配しろ。面倒なほうに走る」
「安心しましたよ、監査官殿」
皮肉とも本心ともつかない言葉を背中に受けながら、俺は砦の門へ向かった。
――今日は、いったん王都へ戻る日だ。
*
前線監査の初回は、ここで一区切り。
勇者パーティーは引き続き黒鉄山脈方面の任務に当たり、俺とリシアは王都に戻って報告書を提出する。
そして――もう一つ。
“魔王軍との捕虜交換会談に、労務局代表として出席する”。
「……どう考えても、ただの監査官の仕事じゃないよな」
砦を離れた馬車の中で、俺は思わず呟いた。
向かいの席で、リシアが脚甲を外しながら肩をすくめる。
「そうですね。“お役所初の外交デビュー戦”ってやつでしょう」
「縁起でもない表現はやめてくれ」
「でも、軍務省も外務局も、“労務局の話を一度魔王軍側に聞かせてみたい”と思ったんでしょうね」
リシアは窓の外を見やる。
「向こうも向こうで、“こっちの捕虜の扱いをどうするか”で頭を抱えてるはずですし。
“人間側で働き方にうるさい役所”が出てきたら、どういう顔をするか、ちょっと興味があります」
「“こっちのブラック事情を棚に上げてよう言うわ”って顔をされそうだが」
「それは少し……あるかもしれませんね」
あっさり肯定されて、返す言葉に詰まる。
人間側の砦の当直表に赤線を引いたばかりだ。
魔王軍の前線拠点を見て、「あっちも相当ブラックだ」と笑ってはいられない。
むしろ、“お互いに人の使い方が下手な連中同士で、どう着地点を見つけるか”という話になるのだろう。
「レオンは、会談で何を言うつもりですか?」
リシアの問いに、しばし言葉を探す。
「……まず、“こっちの捕虜は、これだけの基準で扱っています”って話をする」
俺は指を折る。
「寝床の確保、拘束時間、食事の回数。
“労務局としては、このラインを下回る扱いは認めない”って線を示す」
「それ、軍務省の人たちに嫌われませんか?」
「嫌われるところまでは既定路線だ」
自分で言っておいて、頭が痛くなってきた。
「その代わり、“魔王軍側がこっちの捕虜をどう扱っているか”も、数字で聞きたい」
「“何時間働かされているか”“どこで寝ているか”“殴られる回数”……とか?」
「最後のはさすがに外交の場でストレートには聞けないが、まあ、そういう感じだ」
俺が苦笑すると、リシアもつられて笑った。
「“聞くべきこと”と“聞いちゃいけないこと”のラインを決めるのも、準備の一つですね」
「そう。“聞ける範囲で最大限”だ」
馬車の揺れに身を任せながら、俺は窓の外の景色を眺めた。
前線に向かうときに通った同じ道だが、帰り道の色は少し違って見える。
砦の当直表の線が、頭のどこかでまだうっすらと光っているからだろう。
――あれと同じような線を、今度は“魔王軍の側”にも引けるのか。
それは、まだ分からない。
*
王都に戻ると、労務局の庁舎はいつものように少しだけ埃っぽい空気で迎えてくれた。
「レオンさん!」
扉を開けた途端、突風のように飛び込んできたのはミーナの声だ。
茶色の髪をひとつに結んだ書記が、半分走りながら駆け寄ってくる。
「無事でよかった……! 砦が襲撃されたって話、軍務省から回ってきて、こっちは心臓に悪かったんですからね!」
「俺も心臓に悪かったが、生きて帰ってきてるから許してくれ」
「“次も無事かどうかは分からない”って顔してますけど」
こっそり本音を指摘されて、思わず目を逸らす。
その横から、眼鏡をかけたヨアナが、いつもの落ち着いた調子で声をかけてきた。
「お帰りなさい、レオンさん。
前線監査の資料、軍務省から先に写しだけ届いてます。“当直表に手を入れた”って噂が、早くも歩き始めてますよ」
「噂の歩幅が早すぎないか」
ヨアナは肩をすくめる。
「“勇者パーティーに口を出した役人が、今度は前線の当直に赤線を引いた”って、王都の酒場で話題になってるそうです」
「いつの間にそんな話に……」
ため息をつきかけたところで、奥の扉が開いた。
「レオン。帰ったか」
禿げかかった頭をさすりながら現れたのは、我らが局長、バルドだ。
小柄な体に似合わない太い声で、俺を手招きする。
「とりあえず、こっちだ。“帰還報告”と“次の面倒ごとの説明”をまとめてやる」
「前半はともかく、後半の言葉が重いんですが」
「今さらだろう」
バルドは鼻を鳴らし、執務室へ向かう。
*
局長室の机の上には、すでに書類がいくつか積まれていた。
前線拠点の夜勤体制の改善案。
勇者パーティーの稼働状況の報告。
そして、魔王軍前線拠点の観察メモ。
その隣に、一通の封書が置かれている。
「軍務省からの正式な通達だ」
バルドが封書を指で叩いた。
「“捕虜交換に関する予備協議”に、労務局から代表一名を出せ。候補として、お前の名前が挙がっている」
「“挙がっている”というか、“決まり”なんですよね、こういう言い方のときって」
「賢くなったな。会計局で鍛えられただけはある」
バルドは苦笑しながら腕を組んだ。
「軍務省の連中も、“魔王軍の働かせ方”については前から情報を集めたがっていた。
ただ、“捕虜の扱い”という問題が絡むと、軍務省だけで動くと角が立つ」
「だから、“労務局”を盾にするわけですか」
「“人道的な立場から”って大義名分が付くからな」
局長らしからぬ率直さだったが、俺も似たようなことを考えていたので、特に驚かなかった。
「異論はあるか?」
問われて、少しだけ考え、首を振る。
「……行きますよ。どうせ誰かがやるなら、現場を見たやつのほうがまだマシです」
「そう言うと思っていた」
バルドは机の引き出しから、別の紙束を取り出した。
「軍務省との合同調整会が、明日の午後だ。
“聞いていいこと”と“聞いちゃいけないこと”を、あいつらはきっちり分けたがるだろうが――お前はお前の“線”を持って行け」
「“軍務省の線”と“労務局の線”がずれた場合は?」
「そのときは俺が王都で怒られる。お前は前線で怒られろ」
乱暴な励ましだが、バルドなりのフォローなのだろう。
「……了解しました」
*
翌日、軍務省の会議室は、鈍い金色と重い空気で満ちていた。
壁には武勲を示す盾や槍が飾られ、その下に長いテーブルが一つ。
片側に軍務省の将軍たちと、外務局の役人。
もう片側に、バルドと俺、それに教会から派遣された神官が一人。
「では、早速だが」
白髪混じりの将軍が口火を切った。
「今回の捕虜交換会談の目的は、“互いの捕虜の引き渡し条件を確認し、実務を進めること”だ。
“魔王軍の労務事情”に口出しする場ではない」
「基本線は理解しました」
俺は素直に頷いた。
「ただし、“互いの捕虜をどう扱うか”の話をする以上、“最低限の労働・拘束環境”について触れることは避けられません」
「そこまでは認めよう」
外務局の男が、眼鏡の奥からこちらを見た。
「貴殿には、“人道的観点からの意見”を述べてもらう。
だが、“こちらの内部事情”を必要以上に晒すことは勘弁願いたい」
「“こちらはこういう基準で扱っている”と言うだけでも、“内部事情”になりませんか?」
「……言い方の問題だな」
将軍が咳払いをした。
「“理想としてはこうだが、現場には課題がある”ぐらいの言い方にしておけ」
(現場の課題のほうが紙より目立ってるんだがな)
心の中でだけ毒づいておく。
教会から来た神官が、そこで穏やかな声を挟んだ。
「捕虜の扱いに関しては、教会としても関心があります。“報復の連鎖”は、何としても避けたい。
こちらが捕虜を粗末に扱えば、向こうも同じようにする。
逆に、“一定の線を守る姿勢”を見せれば、魔王軍側にも多少なりとも影響を与えられるかもしれません」
「だからこそ、労務局だ」
バルドが短く言った。
「“働く者はきちんと眠って飯を食え”という理屈は、人間も魔族も変わらん。
それを言うのに、軍務省の看板はちと重すぎる」
将軍は渋い顔をしたが、否定はしなかった。
「……では、レオン・グラハム」
外務局の男が、数枚の紙をテーブルに滑らせる。
「これは、我々が用意した“質問案”だ。“捕虜交換の実務”に関するものが中心だ。
それに、貴殿の“労務局として聞いておきたい事項”を重ね合わせ、当日の質問事項を整理しておきたい」
「承知しました」
紙には、こんな項目が並んでいた。
『一日あたりの捕虜の食糧支給量』
『捕虜の収容場所の構造』
『捕虜にさせている作業内容』
『病人・負傷者の扱い』
実務的だが、どれも大事な点だ。
そこに、俺は自分のペンでいくつか項目を付け足していった。
『拘束時間と休息時間の配分』
『夜間の見張り・点呼の回数』
『魔力炉など、高負荷環境での作業の有無』
『“懲罰”としての追加労働の扱い』
「“懲罰”の項目など、相手が素直に答えると思うか?」
将軍が半眼で俺を見る。
「素直に答えるとは思っていません。
ただ、“その質問を出した瞬間の顔色”くらいは見られます」
俺が返すと、外務局の男がふっと笑った。
「なるほど。“沈黙も情報のひとつ”というわけだな」
「それは会計局で学びました」
黙っている経理担当ほど、帳簿が怪しいものだ。
*
準備会議のあと、労務局に戻ってからも、俺はひたすら質問票とメモを作り続けた。
「“捕虜一人あたり、月に何日休みがあるか”……いや、“休息日と称される日があるかどうか”か」
紙の上で言葉を転がす。
ミーナが湯気の立つカップを持ってきて、心配そうに覗き込んだ。
「レオンさん、顔こわいですよ」
「自覚はある。今、“相手のブラックさをどうやって丁寧な言葉に包むか”で頭を悩ませているところだ」
「……やっぱり、労務局って怖い職場ですね」
「怖くしてるのは現場だ。俺たちはただ、“見たまま”を書いているだけだ」
そう言いながら、魔王軍前線拠点で見た光景が頭に浮かぶ。
息を切らしながら見張り台に上っていた魔族兵。
魔力炉の脇でふらついていた魔族。
全力疾走のあと、そのまま戦場に投入された別働隊。
(こっちと、やってることは同じだ)
人を“使い切る”ことしか知らない指揮官。
“任務”と“面子”のためなら、現場の限界を平気で越えさせる上層部。
そこに、人間か魔族かの違いはあまりない。
「……ミーナ」
「はい?」
「もし、この仕事がうまくいって、“人間も魔族も、捕虜の扱いが少しマシになりました”ってなったとして」
自分でも何を聞きたいのか分からないまま、言葉を続ける。
「それでも、“同じ戦場で、誰かはまだ倒れるまで働かされている”わけだろ?」
「……そうですね」
ミーナは少し考えてから、静かに答えた。
「でも、“一人も救えないかもしれないから、誰も救わない”って選択より、“目の前の誰かの拘束時間が二刻減りました”のほうが、私は好きです」
「それは、労務局向きの考え方だな」
「そういう上司の下で働いてますから」
ミーナが笑う。
その笑いに、少しだけ肩の力が抜けた。
*
そんなこんなで質問票をこね回していると、夕刻、通信魔道具が明滅した。
ヨアナが応対し、すぐにこちらを振り向く。
「軍務省から。“捕虜交換会談の日取りと場所が決まった”そうです」
「早いな」
バルドが出てきて、水晶に手をかざす。
浮かび上がった文字を読み上げた。
「“三週間後、王都と魔王領の中間にある“灰の谷”に、一時的停戦地帯を設ける。
各国代表、捕虜交換担当、そして労務局代表を出席させること”」
「“灰の谷”か……」
リシアが難しい顔をする。
「昔、魔術戦で森が一つ丸ごと焼けた場所ですね。あそこを“二度と同じことを繰り返さない場所”にしたい、っていう王の意向もあるのかもしれません」
「焼け跡で、捕虜の働き方の話をするわけか」
俺は紙束を見下ろした。
人間側の当直表。
魔王軍の前線拠点のスケッチ。
質問案。
そして、“灰の谷”という名前。
(ここまで来たら、やるしかないか)
王立労務局監査官、レオン・グラハム。
次の現場は、“戦場の真ん中に開かれる交渉の席”だ。
そこで、“聞いていいことと悪いことの境目”を探りながら、少しでもマシな働き方に線を引けるかどうか。
「局長」
「ああ?」
「三週間、“まともに寝てから”準備していいですよね」
「当たり前だ。徹夜で質問票を作るような働き方をしてたら、俺が是正勧告を出す」
局長のその一言に、思わず笑いがこぼれた。
――まずは、自分たちの働き方からだ。
灰の谷での会談に向けて、労務局の仕事は、まだまだ増えそうだった。




