八話 勇者の報告書と、魔王軍のブラック事情
勇者一行の帰還からしばらくのあいだ、砦の中庭は妙な熱気に包まれていた。
敵別働隊は追い払われた。
砦の被害は小さくはないが、致命的でもない。
“とりあえず今夜を越せる”という安堵が、あちこちでため息になって漏れている。
――その一方で、“これからの夜”の話もしなければならない。
(とりあえず、アルズたちの話を聞いてからだな)
医療テントで簡単な手当てを済ませた勇者一行は、砦の一角にある小さな作戦室に通されていた。
俺は記録札と報告書用の板を抱え、扉をノックする。
「王立労務局、レオン・グラハムです。入っても?」
「おう、ちょうど呼びに行こうと思ってたところだ」
扉の向こうから返ってきたのは、アルズの声だった。
*
作戦室の中には、勇者一行とハロルド、リシア、それに数名の将校がいた。
地図の上には、黒鉄山脈と、その手前にある魔王軍前線拠点の簡易なスケッチ。
そこに、アルズの描いた赤い線と、ガロンの荒っぽい字が書き込まれている。
「お疲れさまです、勇者殿」
「ああ。そっちも、“当直表にケンカ売る仕事”ご苦労だったな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
軽口を交わしながら、俺は空いている席に腰を下ろした。
エルミアが湯気の立つカップを差し出してくれる。
「ハーブティーです。興奮を少し落ち着かせてくれますよ」
「ありがたく」
甘い香りに、張り詰めていた神経が少しだけ緩む。
「――さて、本題に入るか」
ハロルドが咳払いをした。
「アルズ、向こうの前線拠点のようすを、あらためてまとめてくれ。
さっきの口頭報告も聞いていたが、今度は“労務局視点”も含めてな」
「労務局視点、ねえ」
アルズがちらりとこちらを見る。
「まあ、確かに“働き方がおかしい連中”ではあったな、向こうも」
「おかしい、と?」
俺は記録札にそっと指を当てた。
魔力が走り、淡い光が札の表面に浮かぶ。記録開始だ。
「まず、人員の回し方だ」
アルズは地図の上に置かれた駒を、一つひとつ動かしながら説明を始めた。
「見張り台は全部で四つ。
表門側に二つ、側面に一つずつ。
そこに常時、魔族兵が二人ずつ立っていた」
「交代は?」
「一刻に一回……と言いたいところだが、どうも怪しい。
こっちが張り付いて見ていた一刻のあいだ、表門側の見張りだけは三回交代していたが、側面のほうは一度も交代がなかった」
「……偏ってるな」
ハロルドが眉をひそめる。
「“正門の見栄えは良くする”けど、“側面は放置”ってやつですかね」
俺が言うと、ガロンが「どこも似たようなもんだな」と笑った。
「面白いのは、交代してくる連中の“息の上がり方”だ」
アルズが続ける。
「正門側の見張りに上ってくる魔族兵は、どいつも肩で息していた。
呼吸が落ち着く前に持ち場に立たされてる感じだったな」
「ってことは、交代のあいだに――」
「別の仕事をさせられてる。
たぶん、裏手の魔力炉か、物資運びだ」
俺はその言葉を聞きながら、魔王軍前線拠点のスケッチを見た。
黒い柵の奥、中央付近に描かれた大きな円。
そこが、魔力炉の位置だ。
「魔力炉のまわりには、どれくらい人がいました?」
「五、六人。……いや、一度交代のタイミングで、十人近く集まっていたな」
エルミアが記憶を補う。
「魔力炉のそばに立っている魔族たちは、魔力の揺らぎが大きかったです。
あの距離であれだけ揺れているということは……」
「“長時間、魔力炉の近くに立たされている”ってことか」
魔力炉は、膨大な魔力を集めて循環させる装置だ。
そのそばに長時間いれば、それだけで精神に負荷がかかる。
魔族は人間より魔力に強いが、それでも限度はあるはずだ。
「魔力炉の近くにいたやつらは、足元がおぼつかない感じだったな」
ガロンが言った。
「こっちがちょっと音を立てたとき、一人でやけにビクついてた」
「被曝しすぎの新人みたいな反応でしたね」
リシアが肩をすくめる。
俺は記録札に、“魔力炉周りのシフト”とメモを添えた。
「――つまり、こういうことですね」
言葉をまとめながら、指で紙の上に線を引く。
「一.見張りと魔力炉と雑務を、“同じメンバー”にぐるぐる回している。
二.“正門側”だけはちゃんと交代を回しているが、その分、裏のほうの負担が増えている。
三.魔力炉担当の交代が遅く、“長時間の魔力被曝”で精神的にへばっている者が出ている」
「まとめると、向こうも“ブラック”ってことか?」
「完全にブラックです、勇者殿」
アルズが思わず笑う。
「いや、笑いごとじゃないんだがな……」
「向こうの働き方が悲惨だからって、手を抜いてやるつもりはありませんけど」
俺は首を振った。
「ただ、“向こうの無理の仕方”を知っておくのは、こっちにとっても意味があります。
『相手がどこで限界を越えるか』が分かれば、“そこを狙われる前に叩く”こともできる」
「……“戦場における労務情報”ってわけか」
ハロルドが低く呟く。
「相手の働かせ方を知れば、どこに歪みが出るかも分かる。
そこを突けば、少ない戦力で大きな効果を出せる可能性がある」
「労務局の情報が、軍務に役立つとはな」
「本来なら、“どっちもまともな働き方”をして、その上で戦ってくれるのが一番なんですけどね」
ため息まじりに言うと、エルミアが苦笑した。
「レオンさん、“魔王軍の労務改善”まで考えてましたよね、さっき」
「考えましたが、口には出してませんよ?」
「顔に出てました」
セリーヌに言われたのと同じことをエルミアに指摘され、思わず頭を掻く。
アルズが椅子の背にもたれ、面白そうに俺を見る。
「“異世界労務局は魔王にも裁定できるのか”って顔してたぞ」
「できるようになったら、たぶん世界は今よりはマシになりますね」
「……やっぱり本気か、お前」
笑いがこぼれる。
冗談のようでいて、まったくの絵空事でもない。
人間も魔族も、“働き過ぎれば戦えなくなる”という点では同じだからだ。
*
「それで、魔王軍側の“穴”としては――」
ハロルドが地図を見つめながら言った。
「見張り台の交代の偏り。魔力炉の担当。
それから、さっき言っていた“別働隊”の状態も気になるな」
「ああ、あいつらも“走らされ過ぎ”だったな」
ガロンが頷く。
「追いかけてぶつかったとき、向こうはもうゼエゼエだった。
普通なら“待ち構えて有利な位置で迎え撃つ”はずなのに、“砦まで走り切ること”ばっか考えてる動きだった」
「たぶん、“砦側の上官が怖い”んでしょうね」
リシアが肩をすくめる。
「“少しでも遅れたら殺される”とか、“任務失敗は許されない”とか。
味方の砦の顔色見ながら全力疾走して、そのままこっちとぶつかってきた感じです」
「へえ。……“上の顔色を優先しすぎて、現場の安全を投げ捨てる”か」
俺は思わずペンを止めた。
「それ、どこの国の話でしたっけ?」
「お前の前職の話じゃないのか?」
アルズのツッコミに、作戦室に小さな笑いが広がる。
(……会計局時代、“締め切りに間に合わせろ”って言われて、徹夜で帳簿とにらめっこしてた頃を思い出すな)
人間も魔族も、上司の顔色は魔王並みに怖い――という点では一致しているらしい。
*
「まとめると」
ハロルドが指で机を叩いた。
「魔王軍側は、“短期で戦果を出すために現場をすり減らすやり方”をしている。
当直の偏り、魔力炉の長時間勤務、別働隊の全力疾走……どれも長くは持たん」
「“長くは持たない”やり方をしている相手と、“長く続ける戦争”をやっているわけですね、俺たちは」
俺はペン先を見つめた。
「だったらこっちは、“長く持たせるやり方”を選んだほうがいい。
“短期決戦で勝ち逃げ”を狙うより、“相手が先に疲弊して折れる”ほうが現実的です」
「そのためには、“こっちの現場を潰さないこと”が前提になる」
ハロルドはゆっくりと頷いた。
「さっきの当直表の赤線も、その一つだな」
「ええ。砦の当直、勇者パーティーの稼働、補給部隊の休息――全部まとめて、“どこを削らないか”を決めていく必要があります」
俺は新しい紙を引き寄せた。
「“戦場労務監査”の初回報告として、こういう項目でまとめて提出します」
ペン先が、ひとつひとつ見出しを刻んでいく。
『一.人間側前線拠点における夜勤体制の改善案』
『二.勇者パーティーの稼働基準(暫定)』
『三.魔王軍前線拠点における労務状況の観察メモ』
「三つ目、“観察メモ”ってのがミソだな」
アルズが覗き込む。
「“是正勧告”じゃないのか?」
「現時点で、“向こうに勧告する窓口”がありませんからね」
俺は苦笑した。
「でも、“メモ”として蓄積しておけば、いつかどこかで使えます。
たとえば、“捕虜の取り扱い”とか、“停戦交渉”とか、“人魔共通の安全基準”とか」
「その“いつか”ってのは、何年先の話だ?」
「さあ。十年かもしれないし、もっと先かもしれません」
適当ではなく、本音だ。
今のところ、魔王軍と“労務”を語り合うテーブルなど、想像もつかない。
だが――今日も魔王軍のどこかで、“倒れるまで働かされている誰か”がいることだけは、ほぼ確実だった。
(その“誰か”のことまで、今から全部背負うつもりはない)
そんな余裕は、今の労務局にはない。
まずは、自分たちの側からだ。
それでも、どこかで頭の片隅に残しておきたい。
“いずれ手を伸ばすべき場所として”。
*
「――そういえば、ハロルド」
報告書を書きながら、ふと気になって尋ねた。
「今回のこの“前線監査”の話、王都にはどこまで上がってるんです?」
「軍務省と王宮には、事前に知らせてある。
“新設された労務局が、勇者パーティーと前線拠点の働き方を監査する”とかな」
ハロルドが腕を組む。
「で、さっき通信魔道具で“初動報告”も送った。“当直体制の改善案”と、“勇者一行の稼働調整の相談”の件もな」
「返事は?」
「“詳しい報告書を待つ”だそうだ。お前の仕事が増えたな」
「それは最初から覚悟してきました」
俺は肩をすくめる。
そのとき、不意に通信魔道具の水晶が明滅した。
「……今呼ばれたぞ」
ハロルドが水晶に手をかざし、魔力を通す。
水晶の表面に、小さな文字が浮かび上がった。
その目を走らせたハロルドの眉が、ぴくりと動く。
「どうしました?」
「いや……“思ったより、事が大きくなりそうだ”ぞ、監査官」
「嫌な予感しかしませんが」
「王都からの通達だ。“前線監査の結果を踏まえ、魔王軍との“捕虜交換会談”に労務局代表を出席させたい。候補としてレオン・グラハムを指名する”」
部屋の空気が、ぴたりと止まった。
「捕虜交換会談……?」
リシアが目を見開く。
「しかも、“労務局代表”って……」
アルズが、じろりと俺を見た。
「おい。“異世界労務局は魔王にも裁定できるのか”って冗談、さっき言ったばかりなんだが」
「いや、俺だって冗談のつもりでしたよ?」
思わず天井を仰ぐ。
冗談半分で口にしていた“魔王軍の労務”という単語が、急に現実味を帯びてきた。
「場所は?」
「まだ未定だが、“一時的停戦地帯”が設けられるらしい。
日取りも、追って連絡するとある」
ハロルドは水晶を机に置き、こちらを見た。
「――というわけだ、監査官。
お前は“人間側の当直表に赤線を引く”だけじゃなく、“魔王軍の働き方”についても質問されることになるかもしれん」
「それ、“世界で一番面倒な聞き取り調査”じゃないですか」
「世界で一番面倒だから、お前のところに回ってきたんだろう」
ハロルドの言葉に、作戦室のあちこちから苦笑が漏れた。
アルズが椅子の背にもたれ、ニヤリと笑う。
「いいじゃないか。“勇者パーティーに是正勧告を出した男”って肩書きも大概だが、“魔王軍にも口を出した”ってなれば、もはや伝説だぞ」
「伝説になりたくて労務局入ったわけじゃないんですけどね……」
とはいえ、断れる話でもない。
労務局が、“働く者を守るための役所”として本気でやっていくなら。
戦場の片側だけを見ていても、いつか限界が来る。
(……魔王軍の捕虜に、“夜勤は何時間ですか”とか聞く日が来るとはな)
想像するだけで頭が痛くなるが、それでも――少しだけわくわくしている自分もいた。
数字と現場と、勇気を持って扉を叩いた誰かの言葉が、世界の線を少しずつ変えていく。
その次の一歩として、“魔王軍との捕虜交換会談”があるなら。
「――分かりました」
深く息を吸い込んでから、俺は言った。
「呼ばれたからには、行きます。
人間側の働き方も、魔王軍側の働き方も、“どこまでおかしいのか”を、数字と言葉で示すために」
「よく言った」
ハロルドが頷き、アルズが笑い、エルミアがそっと祈りの印を切る。
リシアが、少し呆れたように肩をすくめた。
「……労務局って、こんなに前線に出る役所でしたっけ」
「たぶん、予定では違ったんだろうな」
自分で言いながら、笑いがこみ上げる。
王立労務局は、今日も“誰も行ったことのない場所”に、紙とペンと是正勧告を持って踏み込んでいく。
次は――魔王軍との交渉の場だ。
そこで、どんな“働き方”が見えてくるのか。
それは、まだ誰にも分からない。




