六話 追撃戦と、限界を越えさせないライン
追撃は、想像していたよりずっときつかった。
ただでさえ前線へ向かう行軍で削られている足に、さらに鞭を入れるような全力疾走。
冷たい空気が肺の奥を焼く。
胸の内側で、心臓がドアを叩くみたいに暴れていた。
「……はあ、っ……!」
「レオン、息を整えろ。肩で吸うんだ」
横を走るリシアが、短く声をかけてくる。
「監査官がここでへばったら、笑い話にもならんぞ」
「その笑い話を報告書に載せたくはないですね……!」
軽口を返す余裕は、ぎりぎり残っていた。
残っているうちに、やれることをやらないといけない。
俺は前方を走る隊列に目を凝らした。
アルズ、ガロン、エルミア。
そのすぐ後ろに、足の速い騎士たち。
そのさらに後ろに、俺とリシア。
追撃隊は計十数名。
足跡をなぞるように、土を蹴って進んでいく。
「前方、距離およそ三百! 魔力反応あり!」
偵察役の騎士が叫んだ。
「敵、こちらに気づいて――!」
言葉が終わるより先に、前方の茂みが爆ぜた。
黒い影が数体、飛び出してくる。
角の生えた獣人、背の曲がった小鬼、骨の鎧を纏った魔族兵。
「構えろ!」
アルズの号令と同時に、炎が剣を包んだ。
追撃隊は、勢いを殺さずそのまま敵陣にぶつかる。
*
戦いは、一瞬で混沌になった。
足を止めて盾を構えるガロンの前に、獣人が突進してくる。
槍を振りかざす魔族兵の横をかすめるように、炎の斬撃が走る。
エルミアの祈りの声が、光の膜を作って矢を弾いた。
「リシア! 右!」
「了解!」
リシアが俺の前へ踏み込み、小鬼の振り下ろした刃をはじき返す。
跳ねた刃が俺の肩当てをかすめ、鈍い音を立てた。
(……近い!)
喉の奥まで悲鳴が上がるのを、必死に噛み殺す。
「監査官、下がりすぎるな! 離れたら守りづらい!」
「了解!」
足は震えているのに、頭だけは妙に冷えていた。
ここは戦場だ。
“労働環境”どころか、“生死”が一瞬で決まる場所だ。
それでも――そんな場所だからこそ、見えるものがある。
*
敵の数は二十強。
だが、その動きは鋭いというより、どこか荒れていた。
息が乱れている。
武器の振りは大振りで、無駄も多い。
角の獣人の足取りも、わずかにふらついている。
(……こっちと同じだ。全力疾走でここまで来て、そのまま戦闘に入ってる)
魔王軍側にも、“余裕”はない。
勇者パーティーと騎士たちの連携がはまり、数分も経たないうちに敵は半数以上が地に伏した。
「まだだ、奥に魔力が残ってる!」
エルミアが叫ぶ。
次の瞬間、後方の茂みから鋭い風切り音がした。
「上っ!」
誰かの声と同時に、俺は反射的に盾を上げた。
がんっ、と鈍い衝撃。
視界の端で、黒い槍が弾かれて落ちる。
「ちっ……!」
低い舌打ちと共に、木陰から一回り大きな魔族が姿を現した。
片目に傷を持ち、骨の胸甲をつけたオーガだ。
その手に握られた投槍が、ひときわ禍々しい魔力を帯びている。
「隊長格か!」
ガロンが盾を構えて前に出る。
「リシア、監査官を下げろ!」
「――すみません、少しだけ待ってください!」
俺は咄嗟に叫んでいた。
オーガの動き。
息遣い。
そして、その足元。
地面にめり込む足跡が、不自然なほど深い。
(……さっきまで、もっと遠くを走ってたな)
足跡の向きと、深さ。
そこに残った泥の乾き具合。
全部が、“かなりの距離を全力に近い状態で走ってきた”ことを物語っていた。
つまり――今、この瞬間は。
「ガロンさん!」
「なんだ、余計な口を挟むとぶっ飛ばすぞ!」
「“一撃目”を正面で受けないでください! あいつ、今は肩で息してます!」
言いながら、自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。
だがガロンは、一瞬だけこちらを見て、にやりと笑った。
「なるほど、“力任せに突っ込んでくるバカ”ってことか」
オーガが咆哮と共に槍を構える。
筋肉が膨れ、魔力が槍の穂先に集まり――
「来るぞ!」
土を抉る勢いで、オーガが突進してきた。
ガロンはあえて半歩だけ横にずれ、盾を斜めに構えた。
どごん、と鈍い音。
槍が盾を滑り、ガロンの肩をかすめて岩に突き刺さる。
その瞬間、オーガの体勢がわずかに崩れた。
「そこっ!」
その隙に、アルズの炎が走った。
赤い閃光が、オーガの武器を持つ腕を狙い撃つ。
腕が焼け、槍が地に落ちた。
オーガが痛みに吠えたその背後から、今度はリシアの刃が走る。
「――っ!」
膝裏を斬られ、オーガが崩れ落ちた。
その首元に、ガロンの盾の縁が叩きつけられる。
地面が、どすんと揺れた。
「……ふう。言ったとおりだな、“一撃目を真正面で受けるな”」
ガロンが息を吐きながら笑う。
「いや、普通なら真正面で受け止めに行きますからね、あの人」
リシアが苦い顔をする。
オーガの背中で、血のような赤ではなく、どこか煤けたような黒い汗が光っていた。
(こいつも、“限界ギリギリで走らされてる”側なんだろうな)
魔王軍の労働環境――などと考える余裕は、さすがに今はない。
ただ、頭の片隅に“後で必ず報告書に書く”とメモしておく。
*
短いが激しい戦闘が終わった頃には、追撃隊もかなり削れていた。
切り傷、打撲。
弓兵の一人は足をひねり、まともに体重をかけられなくなっている。
「エルミア、治療は?」
「急を要する重傷者はいませんが……全員、かなり疲労しています。
魔力の残量も、勇者様を除いて半分以下です」
「俺も半分くらいだ」
アルズがあっさりと認める。
「ここでのんびりしている時間はないぞ。砦がどうなっているか分からない」
「指揮官殿」
俺はハロルドを見る――つもりで振り向きかけて、そこで思い出した。
ここにいる最高責任者は、今この場ではアルズだ。
ハロルドは、砦側の指揮を取っている。
「……勇者殿に、提案があります」
「またか?」
アルズが少しだけ苦笑する。
「聞くだけ聞く。言ってみろ」
「この場で、“全員の疲労度をざっくりでいいので自己申告させてください」
「自己申告?」
「はい。
“まだ走れる”
“歩くなら行ける”
“正直、もう足を引っ張る側に入ってる”
この三段階でいいので」
兵士たちがざわ、とざわついた。
「なんだよそれ」「正直に言ったら置いていかれそうで怖え」「でも……」
そんな声があちこちで聞こえる。
「大丈夫だ」
アルズが、低く一言だけ言った。
「“もう足を引っ張る”って言った者を責めるつもりはない。
むしろ、“言わなかったほうが責められる”と思ってくれ」
その言葉に、空気が少し変わる。
ガロンが大きく手を上げた。
「俺は、“歩くなら行ける”だな。走り続けろって言われたら文句を言う」
「素直でよろしい」
エルミアも少し考えてから、手を上げる。
「わたしは……“歩くなら”。回復魔法の負担が大きいので、走ると集中が切れそうです」
騎士の一人が、苦い顔で手を上げた。
「すみません、俺は“正直、足を引っ張る側”です。さっきの小鬼に肩をやられて……剣は振れますけど、走ると腕が痺れます」
「それを言わずに走られて、途中で倒れられるほうが困る」
アルズが即座に言い切る。
「“足を引っ張る側”だと申告した者は、ここから“通常速度で砦へ向かう組”に回ってくれ。
俺たち勇者一行と、“まだ走れる”やつらで多少前に出る」
「“歩くなら行ける”組は?」
「適宜判断だな」
そこで、アルズは俺を見た。
「監査官」
「はい」
「“歩くなら行ける”ってやつらが、ここから先で“走れ”って言われないようにするのが、お前の役目だ」
それは、約束の要求だった。
俺は、短く頷いた。
「了解しました。記録札にも、その約束を書いておきます」
冗談半分だったはずの言葉に、周囲から小さな笑いがこぼれる。
だが、その笑いの奥には、ほんの少しだけ安心も混じっていた。
*
追撃隊は二つに分かれた。
勇者一行と、「まだ走れる」と申告した数名。
そして、残りの兵士たち。
俺は迷わず後者に付いた。
「“現場を見に来た”んじゃなかったのか?」
アルズが意地悪く聞いてくる。
「“誰がどこで無理をしているか”を見るために来たんですよ。
今一番無理をしやすいのは、“走れと言われたら走ってしまう人たち”のほうです」
「……理屈は分かった。お前はやっぱり監査官だな」
アルズはふっと笑った。
「いいか、監査官。無茶はこっちが担当する。
お前は、“無茶の後始末”と、“次の無茶を減らす方法”を考えておけ」
「それは“世界を救う”仕事より地味ですよ?」
「でも、長く続けばこっちのほうが効く」
短い言葉のやり取りのあと、アルズたちはさらに前へと走り出した。
炎の剣が、朝日の中で小さく光る。
その背中を見送りながら、俺は自分たちの隊列を振り返った。
肩で息をしながらも、足を前に出し続ける兵士たち。
(……この人たちが、砦で“またすぐに夜勤に入れ”と言われないようにする)
それもまた、監査官の仕事だ。
*
砦が見えてきたとき、空には薄い煙が残っていた。
「……間に合ったか?」
リシアが眉をひそめる。
門の上では、ハロルドが双眼鏡を構えていた。
こちらを認めると、少しだけ肩の力を抜いたのが遠目にも分かる。
「追撃組は?」
「先行しています。敵の別働隊に追いついているはずです」
「そうか……」
砦に入ると、すぐに目に飛び込んできたのは、慌ただしく動く衛生兵と、包帯を巻かれた兵士たちの姿だった。
「小規模な強襲だ。こっちはどうにか押し返したが、向こうの被害は――」
ハロルドの報告を聞くより先に、俺の足は医療テントに向かっていた。
白布のテントの中。
簡易ベッドの上で、何人もの兵士がうめき声を漏らしている。
その中に、“見覚えのある顔”があった。
「……ヘンリー伍長」
当直表で、三日連続で夜明け前見張りに入っていた兵士だ。
彼は右腕に包帯を巻かれ、顔色も悪い。
それでも俺に気づくと、無理に笑顔を作った。
「よォ、監査官殿……追撃はどうだった?」
「詳細はこれからです。砦は……どうなりました?」
「敵の数は多くはなかった。けど、向こうも慣れてやがる。
“いつも当直に入ってる奴の癖”まで読まれてたみてえだ」
ヘンリーは苦笑し、咳き込んだ。
「二晩連続で当直に入ってた奴らから、順番に狙われた。
動きが鈍るのは、敵にだって分かるらしい」
その言葉は、重く胸に沈んだ。
(――“限界ギリギリで回す”ってことは、“敵にとっても狙いやすい穴を作る”ってことだ)
味方の都合だけの話ではない。
戦力をすり減らすやり方は、そのまま敵の“狙い目リスト”になる。
それは、数字以上に致命的な問題だ。
「……もう一度、当直表を見せてもらえますか」
俺は低く呟いた。
初めての現場監査は、ようやく“どこから是正すべきか”の輪郭を見せ始めていた。




