表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界労務局は魔王にも「今日ここまで」を言わせたい  作者: ひろボ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/50

五話 初めての戦場と、倒れる前に止めるということ

 夜明け前の空は、まだ墨を流したように暗かった。


 砦の中庭に集められた一行の吐く息が、白く揺れる。

 焚き火の橙色と、東の空のかすかな青だけが、世界の輪郭をかろうじて照らしていた。


「行軍前点呼、始める!」


 ハロルド指揮官の声が、冷たい空気を裂いた。


 勇者パーティー。

 同行する歩兵十名。

 弓兵五名。

 護衛騎士リシアと、その小隊。

 そして、王立労務局監査官一名。


 ……最後の一つを、自分で数えて、小さく苦笑する。


「レオン、大丈夫か?」


 隣でリシアが声をかけてきた。


「顔色が少し悪い」


「初めての前線行きなんですよ。顔色ぐらい悪くもなります」


「それもそうか」


 リシアは短く笑い、俺の胸元の護符を指で軽く弾いた。


「その護符と、その頭でどうにか乗り切れ」


「頭のほうが先にダメになりそうですがね」


 軽口を返していると、前方からアルズの声が飛んだ。


「出発だ。目標は黒鉄山脈手前、“第七前線拠点”周辺の偵察。

 基本は接触回避、必要に応じて排除。いいな?」


「了解!」


 兵士たちの声が重なる。


 俺も小さく息を吸い込み、鞄の肩紐と盾のベルトを締め直した。


 ――監査官も、歩かなければ現場は見えない。


 *


 砦を出てしばらくは、街道沿いの緩やかな丘だった。


 馬車の轍がまだ残る土の道。

 枯れかけた草を踏む音。

 朝露の冷たさ。


 やがて道はだんだんと細くなり、岩の多い獣道へと変わっていく。


「足元に気をつけて。こっから先は“魔王軍がよく使う抜け道”だ」


 先頭を行くガロンが振り返り、低く告げた。


「特にあんた、レオン。書類は踏んでも破けねえけど、この斜面は踏み外したら腕の一本じゃ済まねえぞ」


「ありがたい例えですね」


 言いながら、俺は足元に意識を集中させる。


 石。根。泥。

 普段なら何でもない凹凸が、全身装備をした今はやけに重く感じられた。


(これで“普通の荷物”扱いなら、荷運び要員はどれだけ大変なんだか)


 セリーヌの背負っていた荷袋を思い出す。

 魔道書と杖だけでなく、薬草や補給品、場合によっては味方の遺品まで詰め込まれることもあると聞いた。


「息、上がってきてない?」


 後ろから、白い法衣の気配が近づいた。


「エルミアさん」


「前に出すぎると危ないから、あまり無理はしないでくださいね。

 勇者様は“監査官だからって特別扱いする必要はない”って言ってましたけど」


「勇者様の“普通”は、たぶん世間の“普通”じゃないので」


 エルミアが小さく笑う。


「……それは、わたしも最近ようやく分かってきました」


 そう言って、彼女は腰のポーチから小瓶を取り出した。


「魔力回復薬と一緒に、“疲労軽減用”の簡易ポーションも持ってきています。

 兵士たちにも配りますけど、レオンさんも限界が近いと思ったら遠慮なく言ってください」


「“限界を自覚する”のが、一番難しいんですがね」


「だから周りが声をかけるんです」


 エルミアの静かな言葉に、ふと胸の奥が軽くなる。


 ――「声をかける」ことが、昔は誰もしてくれなかった。

 そして、自分もしてこなかった。


 それを、今は自分の仕事にしているのだと思うと、少しだけ足取りが軽くなった気がした。


 *


 正午を少し過ぎた頃、一行は小さな谷に差し掛かった。


 岩肌が剥き出しになった斜面と、細い川。

 その向こうには、黒鉄山脈の始まりを告げる黒いシルエットが連なっている。


「一旦ここで休憩だ」


 アルズの号令で、一行は腰を下ろした。


「休憩、何刻ですか?」


 思わず口から出た問いに、アルズは少しだけ驚いた顔をした。


「……昔だったら、“必要ない”って言ってたな」


「今は?」


「三分の一刻。……いや、半刻にしておくか」


 周囲の兵士たちが、ほっとしたように息を吐く。


 リシアが小声で囁いた。


「半刻も取るなんて、勇者殿も変わりましたね」


「労務局の是正勧告の効果だと考えておきましょう」


「まだ出してないでしょう」


「予告編ということで」


 軽口を交わしながら、俺は木陰に腰を下ろした。


 水を一口飲み、鞄から小さな板を取り出す。

 歩兵たちの顔色。汗の量。足取り。

 簡単なメモを走り書きする。


(出立からここまで、約四刻。休憩は一回だけ。

 前線行きが日常になれば、これが当たり前になる……か)


 数字だけ見れば、“最悪”ではない。


 だが、“もう少し楽にできるはず”という感覚も、頭のどこかにある。


「――黙って見てるだけってのも、難しいもんだな」


 ぽつりと呟いたつもりが、近くの耳まで届いていたらしい。


 アルズが水袋を口から離し、こちらを見る。


「最初から全部変えようとするな。

 少しずつ、“ここなら変えられる”って場所からやれ。そうじゃないと、現場はついてこない」


「勇者に現場の説得方法を教えられるとは思ってませんでした」


「俺だって学んでるところだ」


 アルズは遠くの山を一瞥した。


「……あそこに、“変えられないやつら”もいるんだがな」


 黒鉄山脈の向こうには、魔王軍の本隊がいる。


 彼らは、条文も是正勧告も知らない。

 あるのは“命令”と“結果”だけだ。


 そこにどうやって、“労務”なんて概念を持ち込むのか。

 それはきっと、今すぐの話ではない。


「とりあえず今日は、“人間側”の範囲から始めますよ」


「それでいい。……ああ、そろそろだな」


 アルズが立ち上がる。


 その瞬間だった。


 谷の向こう側、岩陰から何かが閃いた。


「――伏せろ!」


 反射的に叫んだのは、ガロンだった。


 次の瞬間、空気を裂く音。

 俺の頬の横を、黒い何かが駆け抜ける。


 ばしん、と背後で音がした。

 振り返ると、さっきまで座っていた岩に、黒光りする棘状の矢が突き刺さっていた。


「インプの投槍だ! 敵――!」


 叫ぶより先に、アルズの剣が抜かれていた。


「各自、散開! 弓隊、上を押さえろ!」


 瞬く間に、世界が戦場に変わる。


 岩陰から飛び出してくる小鬼たち。

 黒い皮膚と、ぎらついた目。

 その手には短い槍や、粗末な弓。


「リシア!」


「分かってる!」


 リシアが俺の前に飛び出し、迫る槍を弾いた。


 金属がぶつかる甲高い音と共に、火花が散る。

 盾越しに伝わる衝撃で、腕が痺れた。


「大丈夫か!」


「……生きてます!」


 胸元の護符が、かすかに熱を帯びている。

 さっき頬をかすめた投槍の、断片的な衝撃を受け止めてくれたのだろう。


(これが、“現場の一撃”か)


 机の上の数字では、絶対に伝わらない重さだった。


「集中しろ! 監査官だからって死んでいい理由にはならん!」


「言われなくても!」


 俺は盾を握り直し、リシアの背中にぴったりと付いた。


 アルズの剣が炎の軌跡を描き、小鬼たちを薙ぎ払う。

 エルミアの祈りの声と共に、光の壁が矢を弾く。

 弓兵たちが素早く弦を引き、一体ずつ敵を地に落としていく。


 数分も経たないうちに、谷には静寂が戻った。


「敵、撃退。負傷者は?」


「歩兵二名、中程度の傷! 応急処置を開始します!」


 伝令の声が飛び交う。


 俺は思わずその場にへたり込みそうになった。


 膝が笑っている。

 手のひらは汗で濡れ、盾の革が変な匂いを放っている。

 心臓の鼓動が、耳の奥でうるさいほど鳴り続けていた。


「レオン、大丈夫?」


 エルミアが駆け寄り、そっと肩に手を置く。


「すぐに治療が必要な怪我は……なさそうですね」


「……自尊心ぐらいですかね、傷ついてるの」


「それなら治療対象外です」


 エルミアが、冗談めかして微笑んだ。


 微笑みに救われるとは、こういうことを言うのだろう。


 *


 負傷した二人は、エルミアと同行の衛生兵によって応急処置を受けた。


「こいつは深いな。今日の偵察には連れていけねえ」


 ガロンが一人の足を見て顔をしかめる。


 槍が脛をかすめ、骨までは届いていないものの、動かすたびに痛みが走るらしい。


「歩けないことはないっす。大丈夫っすよ」


 本人は強がって笑うが、その額には脂汗が浮かんでいる。


 ハロルドではなく、今回の同行部隊長が険しい顔をした。


「戦力が減ると、偵察の安全度が下がる。どうする、勇者殿」


 アルズは少しだけ考え込み、それから短く首を振った。


「置いていく。戻りの護衛部隊に合流させろ」


「ですが――」


 部隊長が歯切れ悪く言いかけた瞬間、俺は一歩前に出た。


「“ですが”ではありません」


 視線が一斉にこちらに向いた。


「この状態で前線偵察に連れていけば、“ただ歩くだけの荷物”になります。

 危険を避けるために戦力を割く必要が出て、その分、全体の安全度が下がる」


 俺はあえて淡々と言葉を重ねた。


「それに、この状態で連れていけば、“負傷者を行軍に使った前例”ができます。

 次も、その次も、“やろうと思えばできる”と判断されるかもしれない」


 部隊長の眉間に皺が刻まれる。


「……現実を知らねえ理屈に聞こえるな」


「現実を知らない理屈なら、俺はここに来ていません。

 “数字だけ”見ているほうがよほど楽でしたから」


 鞄の中の記録札を軽く叩く。


「ここで一人の戦力を諦めることで、残り全員が帰って来られる確率が上がるなら、そのほうが“合理的”です。

 労務局としても、“怪我人を偵察に連れ出した”という記録は、好ましくありません」


 最後の一文に、アルズがわずかに口角を上げた。


「監査官の“是正勧告予告”ってやつだな」


「予告を出しておけば、“二度目”は減りますから」


「……分かった」


 アルズは負傷兵の肩に手を置いた。


「お前はここまでだ。戻りの部隊に任せる。

 “戦場で生き残ること”も、立派な仕事だ」


 兵士の目がかすかに揺れ、次の瞬間には涙が滲んでいた。


「……了解しました、勇者様」


 その姿を見て、部隊長も渋々と頷く。


「一人減る分、警戒線を少し縮める。弓隊の配置を変えろ」


 命令が飛ぶ。


 “無理をさせない”決断をした分、どこかを調整しなければならない。

 そこから先が、現場の腕の見せ所だ。


 ――これが、“倒れる前に止める”ということだ。


 *


 谷を抜け、さらに半刻ほど進んだところで、景色がまた変わった。


 黒鉄山脈の裾野に近づくにつれて、地面は黒ずんだ岩や焦げ跡が目立つようになる。

 ところどころに、崩れかけた木製の柵や、焼け焦げた旗が突き刺さっていた。


「ここで一度、全員止まれ」


 アルズが手を上げる。


「この先は、魔王軍の偵察も頻繁に出てくる。声を抑えろ」


 ささやき声だけが、風と一緒に流れる。


 俺は息を殺しながら、足元の焦げ跡に目を落とした。


(……ここで、誰かが焼かれたんだろうな)


 数字にも、報告書にも載らない、“名前のない誰か”。


 その痕跡を踏みしめながら、自分が何をしに来ているのか、もう一度胸の中で確認する。


(“誰が、どこで、どれだけ無理をしているのか”を見に来たんだ)


 それが分からなければ、机の上でいくら条文をこねくり回しても意味がない。


 *


「見えてきたぞ」


 先行していた偵察兵が戻り、小声で告げた。


 アルズたちが屈みながら岩陰へと進み、そのあとを俺たちも続く。


 岩の隙間から覗いた先――そこに、魔王軍の前線拠点があった。


 黒い木材と骨で作られた柵。

 棘だらけの見張り台。

 青白い炎を灯した魔道具のランタン。

 その周りを、角や翼を持つ魔族たちが忙しなく行き交っている。


「……思ったより、大きいな」


 リシアが息を呑む。


「これが、“噂レベル”でしか上がってきていなかったのか」


「人間側の偵察隊がここまで近づけること自体、少なかったからな」


 アルズが低く返す。


「今のうちに、見えるものは全部見ておく。交代のタイミング、見張りの人数、魔道具の配置――」


 その言葉を聞きながら、俺も記録札にそっと魔力を通した。


 魔族の動き。

 柵の高さ。

 拠点の奥にちらりと見える、大きな影。


(……あれは、“魔力炉”か?)


 魔力を大量に集め、前線に供給する施設。

 暴走事故を起こせば、それだけで周囲を焼き尽くす危険な代物だ。


 同時に、そこでもきっと“誰か”が働いている。


(魔王軍にも、いつか労務局が口を出せる日が来るんだろうか)


 まだ現実味の薄い未来を想像しながら、今は人間側の仕事に集中する。


「……そろそろ戻るぞ」


 ハロルドが時間を確認し、小さく頷いた。


「滞在は予定通り一刻。これ以上は危険だ」


「帰りも警戒を緩めるな。途中で待ち伏せを仕掛けられる可能性がある」


 アルズの言葉に、皆が静かに頷いた。


 *


 帰路は、往路よりも早足だった。


 魔王軍の拠点を実際に目にしたことで、全員の緊張が一段階上がっている。


「足、速すぎませんかね」


 小声で漏らすと、前を行く兵士が苦笑した。


「“さっさと帰りたい”って気持ちは、誰でも同じだよ、監査官殿」


「それは理解しますけど、“帰り着く前に倒れたら”意味がないんですがね」


「それを考えるのが、あんたの仕事なんだろ?」


「ええ。だから、帰ったら“行きと帰りのペース配分”も報告書に書きます」


「そんなもんまで……ご苦労なこった」


 言葉とは裏腹に、その声には少しだけ期待が混ざっていた。


 *


 そんな中、空気が変わったのは、砦まであと一刻という地点だった。


 先頭を行く偵察兵が、急に手を挙げて止まる。


「足跡がある」


 ガロンが前に出て、地面を確認する。


「さっきはなかったな?」


「ああ。しかも、数が多い」


 土に残された蹄と、裸足の足跡。

 さっきまでなかったそれが、砦の方向へと伸びている。


「……魔王軍の別働隊か?」


 リシアの声が低くなった。


「数は?」


「ざっと見て二十以上。もっと多いかもしれん」


 ガロンが顔を上げる。


「しかも、足跡の深さからして“走って”いやがる。

 このまま放っておけば――」


「砦が先に襲われるな」


 アルズが言葉を継いだ。


 全員の喉が同時に鳴る。


「ハロルド指揮官。どうしますか」


 リシアが問う。


 ハロルドは短く息を吸い、即答した。


「追う。ここで敵の尻を叩いておかなければ、砦が危ない。

 勇者一行と先鋒で足を速める。後続は体力と相談して付いてこい」


 その判断は、軍人としては正しいのだろう。


 だが――労務局の監査官としては、別の警鐘が鳴っていた。


(ここから“全力疾走”なんてしたら、戻ってからの体力が完全にゼロになる)


 その先に待っているのは、おそらく全員参加の防衛戦。

 夜通しの戦闘になる可能性もある。


「……指揮官殿」


 思わず声が出た。


「何だ、監査官」


「追撃自体に異議はありません。ただ一点だけ、提案があります」


 ハロルドと、アルズと、リシアと。

 複数の視線が俺に突き刺さる。


「“全員”で全力で追うのではなく、“足の速い者と、今の時点で余力のある者”に絞って追撃隊を編成してください。

 残りは“砦に先回りして防衛準備”に回したほうが、全体としての持久力が上がるはずです」


 沈黙。


 ややあって、ガロンが口を開いた。


「……たしかに、全員で走り切って、全員ヘトヘトの状態で砦防衛ってのは、一番危ないかもしれねえな」


「俺たち勇者一行は、足を速めても問題ない。魔力もまだ余力がある」


 アルズが自分の胸に手を置く。


「だが、歩兵たちは既にかなり削られている。

 “追撃組”と“先回り防衛組”に分ける、ってのは悪くない案だ」


 ハロルドはしばらく黙っていたが、やがて短く頷いた。


「……よし。追撃隊は勇者一行+騎士隊から選抜した五名。

 残りは急ぎ砦へ戻り、迎撃準備に入れ」


 命令が飛ぶ。


 兵士たちの顔に、緊張と安堵が同時に浮かんだ。


「監査官。お前はどっちに付く?」


 問われて、答えは決まっていた。


「――追撃隊に。現場を見に来たので」


 ハロルドが、わずかに口角を上げる。


「死ぬなよ」


「それは今日、何度目の忠告ですかね」


「足りないくらいだ」


 そのやり取りに、周囲から苦笑が漏れた。


 *


 追撃隊は、荷物を最小限にまとめ直し、足を速めた。


 地面を蹴る音。

 呼吸の音。

 心臓の鼓動。


 胸元の護符が、またわずかに熱を帯びる。


(ここから先は、“働き方を変える”なんて悠長なことを考えていられる状況じゃないかもしれない)


 それでも、その「変えられない状況」がどこから始まるのかを、目で確かめたい。


 倒れる前に止めるために。

 倒れたあとで悔やまないために。


 初めての戦場は、まだ序章に過ぎなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ