四十四話 門番たちの「退屈な」仕事へ
総力戦が終わって、十日。
王都の城門は、
ようやく「戦時仕様」から
いつもの顔つきに戻りつつあった。
門の上に張り出されていた
臨時の当直表は剥がされ、
代わりに、
いつもの「昼番」「夜番」「交代時間」が
整然と並んだ板が掛け直されている。
門の外に並ぶのも、
荷車と旅人と、
たまにケンカを売ってくる酔っ払いぐらい。
――あの十日間のように、
『戻ってくる兵』の列が
途切れずに続くことは、
もうなかった。
*
城門の上にある
小さな詰所で、
一人の門番が
しきりに椅子から立ち上がっては
すぐに座り直していた。
「……落ち着け、俺」
自分で自分に言い聞かせる。
彼の名はカイン。
総力戦十日間のあいだ、
「迎えの門」を守る役に回され、
『出ていく者の見送り』より
『戻ってくる者の迎え』を
任され続けてきた。
門番という仕事に誇りはあった。
だが、あの十日間――
特に、十日目。
血と泥と疲労に塗れた顔が
次々と門をくぐり、
そのたびに
「おかえりなさい」と声をかけ、
数を数え、
「『戻ってきた』という事実を
誰かの前で確認する」役を
担い続けた時間は、
今までの門番人生とは
まるで別物だった。
(……あのときは、
座る暇もなかったのにな)
今は、
座る時間しかない。
通行許可証を確認し、
荷車の底を軽く覗き、
怪しい者がいないか目を光らせる――
いつも通りの仕事。
それは、
それ自体価値のある仕事だと
頭では分かっている。
だが、
身体がまだ「総力戦モード」を
抜け切れていなかった。
何も起こらない時間が、
妙に落ち着かない。
「……門の外、一周してきます」
思わず立ち上がったカインを、
隣の年長の門番が
片手で制した。
「却下」
「え、でも――」
「巡回は一刻ごと。
さっき行ったばかりだろうが」
年長の門番――ベルトが、
渋い顔で言う。
「『『何かしなきゃ』って気持ちは分かるがな。
『『何も起こらない』のを見張るのが
門番の仕事だ」
「……『『何も起こらない』、か」
カインは、
窓から外を見た。
行き交うのは、
荷物を積んだ商人や旅人。
平時の門の、
いつもの光景。
(十日目のあの日も、
『『何も起こらない』で終わるように』って、
皆して頑張ってたんだよな)
頭では分かっている。
分かってはいるのだが――
手持ちぶさたな指が、
無意識に机の上をトントン叩く。
そのとき、
詰所の扉が軽く叩かれた。
「城門勤務、お邪魔しまーす」
明るい声とともに顔を出したのは、
勇者庁のナナだった。
*
「ナナ様?」
カインだけでなく、
ベルトも目を丸くする。
勇者庁の人間が、
門番の詰所にわざわざ顔を出すなど、
そうそうあることではない。
「『様』はいいよ、『ナナ』で」
ナナは、
ひらひら手を振った。
「今日は、これを持ってきたの」
彼女が胸元から取り出したのは、
一枚の紙だった。
見覚えのある字。
カインは、
すぐに思い出す。
「……それ、
十日目の朝に渡した――」
「そう、『門の板』に貼ってあったやつ」
ナナは笑って紙を広げた。
《十日目 門番
『出ていく者を見送る』ではなく、
『戻ってくる者を迎える』ために立つ》
十日目の朝、
カインたち門番が
勇者庁に渡した文言。
「アレクがね、
『せっかくだから門番さんにも返したほうがいい』って。
あの十日間、
『門のほうも総力戦だった』からって」
ナナは、その紙を
詰所の壁にぺたりと貼った。
「――で、今日からはこれ」
その下に、
新しい紙をもう一枚。
《平時 門番
『何も起こらない日々を見張る』ために立つ》
「勇者庁広報院と労務局からの共同案」
ナナが、
どこか得意げに胸を張る。
「『『総力戦中だけ特別な門番』だったんじゃなくて、
『『総力戦でも平時でも、
『『門を守る』って仕事は変わらない』って
ちゃんと書いておきましょう』って」
ベルトが、
貼られた紙をじっと見た。
「……『『何も起こらない日々』ね」
「『『何か起こったら困る門』って、
ありますからね」
ナナは笑う。
「勇者庁だってそうだよ。
『『毎日事件が起こってる』ほうが、
むしろ困るから」
「それは……確かに」
カインも、
苦笑せざるをえなかった。
「でも、
あの十日間の『迎えの門』と比べると、
今は、どうしても
手が余ってるような気がして」
「だからこそ、だよ」
ナナは、
真面目な顔になった。
「『『今は手が余ってる気がする』くらいで
ちょうどいいの。
『『あの十日間』みたいな日々を
続けるわけにはいかないから」
そう言って、
彼女は詰所の隅の板に目をやる。
城門勤務表。
そこには、
『昼番』『夜番』『門上』『門下』『外周巡回』と
整然と役目が並んでいる。
――その下に、小さく。
《焚き火○(門番用)》
という欄が増えていた。
「……『焚き火○』?」
カインが首を傾げると、
ベルトが肩を竦めた。
「勇者庁から『ぜひ』って押し込まれた」
「『『月に一度でいいから、
『門番さんたちにも焚き火○を』ってね」
ナナが、
どこか照れくさそうに笑う。
「『『総力戦十日間だけ』の焚き火○だと、
『『特別なときだけ火を囲めばいい』って話になっちゃうから。
――平時のほうが、
むしろ必要なときだってあるでしょ?」
ベルトが、
半分ため息、半分笑いを漏らす。
「『『門番が月に一度火を囲む』って、
なんだかサボってるみたいだがな」
「『『総力戦の十日間』で、
さんざん働いたんだから、
少しくらいサボってもバチは当たらないですよ」
ナナは軽やかに言った。
「――それに、
アレクが言ってた。
『『退屈な門を守れる日々を
ちゃんと退屈だって言えるように』って」
「……あの勇者様が?」
カインが目を丸くする。
「はい。
『『あの十日間』を『当たり前』にしたくないから、
『退屈』って言葉を
きちんと取り戻してやれって」
ナナは、
その言葉を思い出して
少し笑った。
「『『何も起こらない門』を守っているときに、
『『退屈だな』ってぼやけるほうが、
世界としてはずっとまともだって」
*
その日の夕方。
勇者庁の裏庭では、
小さな焚き火○が行われていた。
集まっているのは、
勇者庁の面々と、
城門の門番たち。
アレクは、
火のそばでマグを両手で抱えながら
門番たちの顔を眺めていた。
「――十日目の朝の紙、
ちゃんと貼ってくれた?」
問いかけると、
カインがうなずく。
「ええ、『総力戦の日』の横に、
『平時の日』の紙も」
「よかった」
アレクは、
どこかほっとしたように笑う。
「『『迎えの門』って言葉、
けっこう気に入ってるんだ」
「勇者様が、ですか?」
「『『出ていく場所』より
『『帰ってくる場所』のほうが、
よっぽど大事だからね」
アレクは、
火を見つめながら言う。
「『『退屈だ』って顔して
門を守ってる日々のほうが、
『『十日目』みたいな日より
ずっといい。
――そのことを、
あの十日間で嫌というほど思い知ったから」
カインは、
焚き火の火がゆらめくのを見ながら
ゆっくり言葉を探した。
「……正直に言えば、
『『あの十日間』が
忘れられない自分がいます。
『『迎えの門』として立ててた時間が、
忘れたくないくらい、
強く残ってる」
「うん」
アレクは、
否定しない。
「忘れなくていいよ。
あれを忘れたら、
きっとまた同じことを
『当然だ』って顔してやり始めるから」
彼は、
少しだけ火から視線を上げた。
「ただ――
『『あの十日間』を
『一生続けるべき毎日』だとは
思わないでほしい」
「……」
「『『あの十日間』で
『『もう二度とやりたくない』ってくらい
頑張った』からこそ、
『『退屈だな』ってぼやける門を
守る日々を
堂々と楽しんでいい」
カインは、
焚き火の火を見つめていた。
火の中に、
十日目の夕暮れの光景が
ちらりと重なった気がした。
泥だらけの顔。
驚いたような笑顔。
涙の匂い。
――そして今、
この火の周りには、
防具を脱いだ門番たちと、
鎧を外した勇者たち。
誰も剣を抜いていない。
「……そういうのを、
『贅沢』って言うんでしょうね」
カインが、
自分で自分に言うように呟いた。
アレクが笑う。
「そうそう。
『『何も起こらない門番の一日』は、
とても高級な贅沢品なんだよ」
*
焚き火○のあと。
城門に戻ったカインは、
詰所の壁に貼られた二枚の紙を
もう一度見上げた。
《十日目 門番
『出ていく者を見送る』ではなく、
『戻ってくる者を迎える』ために立つ》
《平時 門番
『何も起こらない日々を見張る』ために立つ》
その下に、
小さく一行書き足した。
《※『退屈だな』と言える日は、勝ち取った日》
ベルトが、
肩越しにそれを覗き込み、
ふっと笑う。
「……悪くないな」
カインは、
ようやく椅子に腰を落ち着けた。
門の外には、
今日も荷車と旅人だけが行き交っている。
剣戟の音も、
叫び声も聞こえない。
(――こういう日が、
ずっと続けばいい)
そう願いながら、
彼はいつものように
通行許可証を確認し始めた。
指先の落ち着かなさは、
さっきよりだいぶ薄れていた。
*
同じ頃、勇者庁。
裏庭の焚き火○跡のそばで、
広報院用の板の一角に
新しい欄が増えていた。
《門番欄》
『総力戦十日間中:迎えの門』
『戦後:退屈な門』
その下に、
マリア・ロウが小さく書き足す。
《※『『退屈だ』とぼやける門番がいるうちは、
世界はまだ少しだけマシ》
それを見たフィルが、
ペンを止めて言った。
「……『『世界は少しだけマシ』って言葉、
労務局の板にも書いてましたね」
「まあ、あっちもこっちも
同じこと考えてるってことでしょう」
マリアは笑う。
「『『門』の話も、『板』の話も、
そのうち一度、
まとめて話し合う必要があるかもしれないわね。
――向こう側の『板の人』も含めて」
アレクが、
その言葉に軽くうなずいた。
「中立地での会合の話、
労務局が水面下で動かしてるそうだしね。
『『光側の板の人』と、
『『闇側の板の人』を一度同じ焚き火○に座らせよう、って」
「……その焚き火○、
火の扱いが難しそうですね」
フィルが苦笑する。
「『『燃え上がらず』『消えもせず』、
ちょうどいい温度で」
「だからこそ、
うちの出番でしょう」
マリアは、
板に小さくこう書き添えた。
《※中立地会合案:『板の人』対話》
*
世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――
少なくとも、
「総力戦が終わったから」と言って
門番をただ「暇だ」とからかうだけだった世界に、
『十日目の迎えの門』と、
『平時の退屈な門』の両方を
板に書き留め、
紙にして貼り、
焚き火○の前で笑い話にする勇者たちと門番たちが
確かに何人かいる分だけ。
そして、
「『何も起こらない日々を見張る』という
贅沢な仕事」を、
少し照れながらも
胸を張って名乗れる門番が
城門の上に立っている限りは。




