四十三話 戦後の仕事、誰に何を背負わせるか
総力戦が終わって、一週間。
王都の空気からは、
ようやく「焦げた匂い」が薄れてきていた。
砦から戻ってきた兵たちは、
曲がった剣と凹んだ鎧を鍛冶屋に預け、
長屋の共同井戸で泥だらけの靴を洗っている。
瓦版屋はもう、
総力戦の大見出しを
別の話題へと差し替え始めていた。
――だが、
総力戦の「あと始末」は、
数字の上では終わっても、
人の暮らしの中ではまだ続いている。
*
王都北区・長屋街。
いつもの広場の片隅で、
今日もマルタの鍋はぐつぐつと音を立てていた。
豆と野菜と、
少しだけ塩漬けの肉。
十日間のあいだ、
ほとんど変わらなかったはずの味が、
今は不思議と「贅沢」に感じられる。
「――ただいま戻りました」
少し引き締まった声が、
共同部屋の入口から響いた。
振り返ると、
まだ若い男が一人、
簡素な軍服の上着を腕に掛けて立っていた。
脚を引きずるように歩いている。
「おや、リオ坊。
『坊』って年でもなくなってきたけどね」
マルタは、
鍋から手を離して迎えに出た。
「思ったより顔色はいいじゃないの」
「『顔だけ』は元気です」
リオは苦笑し、
右足を軽く叩く。
「こっちは、『『今日ここまで』って言いたがってますけど」
足首には、
まだ包帯が巻かれていた。
「『骨はくっついた』けど、
『前線にはしばらく出せない』って言われました。
――それで、『街での仕事を探せ』って」
その言葉に、
共同部屋の空気が少しだけ変わる。
戦場から戻ってきた兵の多くが、
同じ問題を抱えていた。
「立てないわけではないが、
前と同じようには走れない」足。
「喋れないわけではないが、
大声を出し続けると息が上がる」胸。
「生きて帰ってきた」ことと引き換えに、
何かを置いてきた身体。
「……『前と同じ仕事』に戻るのが難しいやつが、
うちの長屋でも増えてきたね」
マルタは、
小さくため息をついた。
「『総力戦が終わった』っていうけど、
『『戦争の人』から『街の人』に戻す仕事』は
これからよ」
*
同じ頃、王立労務局。
新しく掲げられた「日々労務局板」の前に、
レオン・グラハムは立っていた。
板の右側には、
先日書き足した小さな欄がある。
《戦後:仕事の再配置》
「――長屋街と商人ギルドから、
また相談が来ています」
ミーナが、
報告書の束を抱えてやってくる。
「『怪我明けの兵を、
どの仕事に回せばいいか』って」
「『『前と同じ』に戻そうとすると、
どこかで折れる。
『『前とは違う』仕事を作れば、
どこかで誰かの仕事が減る」
レオンは、
板の「前線」の欄から目を離し、
新しい欄に視線を移した。
「――今日は『戦後の仕事』の線を引く日か」
*
午後。
長屋街の共同部屋に、
珍しく「きちんとした服」を着た男がやって来た。
商人ギルドの下っ端……
と見せかけて、
実はそこそこ発言力のある中堅商人、グレゴル。
そしてその後ろには、
王立労務局から派遣された補佐官――
ヨアナの姿もあった。
「どうもお邪魔します。
こちらが噂の『長屋の板』ですね」
グレゴルは、
共同部屋の壁を見上げて目を丸くした。
《今日ここまで》
『洗濯』『床掃除』『豆の仕込み』『靴』『鍋』『桶』……
日々の雑多な仕事が、小さな字で並んでいる。
「『商人ギルドの板』とは
だいぶ趣が違いますな」
「そりゃそうでしょ」
マルタは、
腰に手を当てて笑った。
「こっちは『誰がいくら儲けたか』じゃなくて、
『誰がどこまで倒れずにやれたか』を書く板なんだから」
「……その言い方、
ギルドにも一枚欲しいところですね」
グレゴルが苦笑する。
ヨアナは、
手帳を開きながら本題に入った。
「本題に入ります。
総力戦で怪我をして戻ってきた人たちの、
仕事の再配置について――
長屋側と商人ギルド側で、
意見を聞かせてください」
*
広間の片隅に簡易の板が立てられ、
ヨアナがチョークを走らせる。
《戦後の仕事》
『前線復帰可』
『軽作業なら可』
『立ち仕事不可だが、手先は動く』
『力仕事不可だが、声は出せる』
リオを含む何人かが、自分の名前の隣に印をつけた。
「俺は……『立ち仕事は出来ますけど、
長距離は勘弁して欲しい』、ですかね」
リオは、
少し照れながら言う。
「『前線に戻れ』と言われれば
行きたい気持ちはありますけど――
十日目のとき、
『ここで線が引かれた』のを
この目で見てますから」
「灰の谷の?」
「はい。
『四日以上前に出さない』って線を
守るために、
『『まだ行ける』って思ってた自分たちが
後ろに下げられたんです」
リオは、
自分の右足を軽く叩いた。
「『『あのとき無理をしてたら、
今こうして長屋に戻ってこれなかったかもしれない』――
そう思うと、
『また前と同じように走らせてくれ』とは、
言えなくなりました」
その言葉に、
マルタが静かに頷いた。
「『『今まで通りに働かせてくれ』って言うのは、
聞こえは良いけど、
『『今まで通りに壊れてくれ』って言ってるのと
同じときもあるからね」
「……耳が痛い台詞ですね」
グレゴルが頭を掻く。
「商売のほうでも、
同じ問題を抱えてまして。
『『総力戦のあいだ、命懸けで荷を運んだ御者たち』を
『戦後も同じ条件で走らせていいのか』、って」
ヨアナが、
板に新しい欄を増やした。
《御者・荷役・職人》
「商人ギルドのほうでは、
どんな案が出ているんですか?」
「正直を申し上げますと――
『『怪我をした御者』を
『店番や帳簿付け』に回す案が出ております」
グレゴルは、
顔をしかめながら続けた。
「『『足は悪いが、目と頭は働く』。
『店番に回すにも、
『元々その仕事をしていた者』がいる。
――『『前線から戻った者』を守ろうとすると、
『『今まで店を守っていた者』の仕事が減る」
「『守りたい相手』が増えると、
板に載せる名前も増える」
ヨアナが、
板の上で名前と矢印を書き足す。
「『『ここを守るために、ここを削る』。
どこで線を引くか、ですね」
「そこで、
労務局の出番と」
グレゴルが半ば苦笑で言う。
「『『板の人』に、『どこまで』って書いてもらおうと」
*
議論は、
夕方まで続いた。
「前線に戻れる者」と、
「戻らせてはいけない者」。
「軽作業に移せる者」と、
「それでも負荷が大きい者」。
そして、
「今までの仕事を手放したくない者」。
マルタは、
長屋の女たちの代表として
何度も口を開いた。
「『『怪我をした兵』を守るのは当然よ。
でもね――
『『怪我をしてなくても、
十日間ずっと『今日ここまで』って言えなかった女たち』だって、
ここにはいるんだわ」
洗濯物を干す手。
子どもを抱える腕。
夜中に起きて
兵の帰りを待っていた目。
「『『前線から戻った人』に優しくしたい気持ちはあるけど、
『『ここにずっといた人』の肩にも
何かを降ろしてやらないと、
いつか誰かが倒れる」
エルナも、
恐る恐る手を挙げて言った。
「『『戦争帰り』だからって、
ずっと特別扱いし続けるのは、
たぶん、その人にとってもつらいと思います。
――どこかで、
『『みんなと同じ『今日ここまで』』に
戻ってきてもらったほうがいい」
その言葉に、
リオが苦笑しながら頷いた。
「『ずっと『『英雄扱い』されてると、
いつまで『『英雄』でいなきゃいけないのか』って
思ってしまいますからね」
*
日が傾き、
板にはだいぶ線と文字が増えていった。
《戦後の仕事》
『前線復帰可』
→ 軍の再編成へ
『軽作業なら可』
→ 倉庫・補給・見張り
『立ち仕事不可・手先可』
→ 店番・帳簿・修理仕事の補助
『力仕事不可・声可』
→ 案内役・門番・読み書き教室の手伝い
そして、その下に
ヨアナが小さく書き足した一行。
《※『戦争帰り』枠は一年限り。
以後は『長屋の板』に合流》
「……一年、か」
リオが、
自分の名前の横に丸をつけながら呟く。
「『『一年だけ特別』って言われるほうが、
むしろありがたいですね。
『『ずっと特別』って言われると、
どこにも戻れなくなりそうで」
「一年のあいだに、
『『ここからの十年』の仕事を一緒に探す』」
ヨアナが説明する。
「『『戦争の十日間』の仕事だけで
人生を決めてしまわないように」
マルタが、
鍋からスープをよそいながら笑った。
「『『十日で全部終わらせるな』って、
板に書いてたんでしょ?
『『十日で全部決めるな』って線も
引いてくれないとね」
その言葉に、
ヨアナはペンを走らせた。
《※『十日で全部決めない』
『一年かけて『それから』を探す』》
*
夜。
議論が一段落し、
人々がそれぞれの部屋に戻っていく頃。
共同部屋に残ったのは、
マルタとエルナ、
そしてヨアナとグレゴルだけだった。
「――労務局の板と、
長屋の板と、
商人ギルドの板」
グレゴルは、
三枚の板を見比べるように
空中で指を動かした。
「『『どの板の前に立っているか』で、
同じ数字の意味が変わりますな」
「『商会の板』には、
『いくら儲かったか』って欄があるんでしょ」
マルタが尋ねる。
「もちろん」
「『『その隣に、
『何人戻ってきたか』って欄を作る気はある?」
マルタの問いに、
グレゴルは少し黙り込んだ。
やがて、
照れくさそうに頭を掻いた。
「……検討しましょう。
『『生きて帰った客』の数』って欄、
案外、悪くないかもしれません」
ヨアナが、
そのやり取りを手帳に書き留めながら笑う。
「『板』ってのは、
増やそうと思えばいくらでも増やせるんですけどね」
彼女は、
長屋の共同板を軽く指で叩いた。
「大事なのは、
『『誰の声を載せる板か』を決めること、
かもしれません」
「ここは『うちの声』よ」
マルタが、
共同板を見上げる。
「『『長屋で生きている人』の声を載せる板。
『『戦争の十日間』の話も、
そのうち『昔話』として隅っこに残るでしょうけど」
エルナが、
その隅っこに小さく
『総力戦のとき』と書き足した。
その下には、
空白が一行。
「『『総力戦のとき』に、
『『ここで何があったか』を書ける場所』は、
残しておきたいです」
ヨアナは、
それを見てふと口にした。
「――光側にも闇側にも、
似たような板があるんでしょうね」
「『『黒板』ってやつ?」
マルタの言葉に、
ヨアナは驚いた顔をした。
「え?」
「あぁ、噂よ噂。
『『向こう側』のどこかにも、
『数字を数えてる板の人』がいるんじゃないかって」
マルタは、
鍋の火を弱めながら笑う。
「『『こっち』と『向こう』で、
同じようなため息ついてるのかと思うと、
ちょっとおかしくなるでしょ」
ヨアナも、
つられて笑った。
(……その「向こう側の板の人」と、
近いうちに会う段取りを
レオンさんが水面下で組んでいる、なんて話は
今ここでは、
まだ言わないでおこう)
*
その夜、王立労務局。
「日々労務局板」の
《戦後:仕事の再配置》の欄には、
長屋と商人ギルドからの
今日の話し合いの内容が
簡潔にまとめられていた。
《怪我明けの兵・御者
『一年間の『戦争帰り枠』ののち、
『長屋の板』に合流させる。
『『十日間の戦争』ではなく、
『これからの十年』の仕事を一緒に探す》
レオンは、
その文字をしばらく見つめ、
板の端に小さくこう書き足した。
《※『戦後の労務』=『誰に何を背負わせるか』の線引き。
『『前線に戻る者』だけでなく、
『『ここにいた者』の荷物も軽くする』》
*
世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――
少なくとも、
「総力戦が終わったから」と言って
前線から戻った者を
ただ「元の持ち場」に押し込むだけだった世界に、
『一年間の戦争帰り枠』と、
『長屋の板に合流する欄』と、
『生きて帰った客の数』を
どこかの板に書こうとする商人が
ひとりでも増えた分だけ。
そして、
「『十日間』で全部決めず、
『これからの十年』のために
板の前で頭を抱える人間」が
長屋にも、労務局にも、商人ギルドにも
何人かいる限りは。




