四十二話 総力戦明けの報告会、数字は誰の声か
総力戦が終わって、三日。
王都の喧騒は、
ようやく「非常時」から「いつもの忙しなさ」に戻りつつあった。
パン屋の前には早朝から行列ができ、
鍛冶屋の前では、
曲がった剣や凹んだ鎧を抱えた兵たちが
番号札を握りしめて文句を言っている。
街角の瓦版売りは、
「総力戦十日間の舞台裏!」などと
派手な見出しを叫んでいた。
――その「舞台裏」の、
さらに裏側にいた場所が、
王立労務局だった。
*
王城・大広間。
いつもは舞踏会や表彰式に使われる場所に、
今日は長い長い机が並べられている。
机の向こう側には、
軍の将軍たち、商会の代表、勇者庁の幹部、
教会の高位神官、市民代表――
揃いも揃って「一癖ある顔」が並んでいた。
そして、
机のこちら側、壁際には、
王立労務局からの数名。
レオン・グラハムは、
その先頭に立ち、
小さな皮の手帳と、
分厚い紙束を抱えている。
王は、
上座の椅子に腰掛け、
静かに場を見渡していた。
「――では、始めよう」
宰相が立ち上がり、
場のざわめきを一喝する。
「本日の議題、
『総力戦十日間における労務運用の総括』。
報告は王立労務局監査官、
レオン・グラハムが行う」
注目が、一斉に集中する。
軍の将軍は腕を組み、
商会代表は片眉を上げ、
勇者庁のアレクは
いつもの軽い笑みを封じて少し真面目な顔をしていた。
(……十日間、板の前で数字を見続けたあとで、
今度は人間の顔をまとめて見るのか)
レオンは、
内心でぎこちない笑みをこぼした。
だが、表情は崩さない。
紙束を机の上に置き、
一枚目をめくる。
「王立労務局より、
総力戦十日間の労務運用について
ご報告いたします」
*
「まず、
総合的な数字から」
レオンは、淡々と読み上げる。
「灰の谷第一・第二方面、
および王都防衛線において――
『前線における『即時死亡』の人数、
十日間合計、ゼロ。
『負傷者総数は、当初想定より増減なし。
『十日目終了時点での兵員生存率、
対【事前最悪想定】比+一割五分。
――以上が、
板に載った数字としての結論です」
場が、
わずかにざわめいた。
軍の将軍が、
片目を細める。
「『即時死亡ゼロ』……?
あの密度の戦闘で、
前線の『その場で死んだ者』が
一人もいないと?」
「はい」
レオンは頷く。
「『前線四日連続禁止』『雨天時の前線後退』『決戦前日の圧力抑制』など、
総力戦板に記録した
各種の線引きによって――
『『立てなくなる前に前線から外す』ことを徹底した結果です」
「……つまり『押し切らなかった』結果でもあるな」
別の将軍が、
低く呟いた。
「『『総力戦』と銘打った十日のうち、
七日目に焚き火○をし、
八日目に前線を一刻後ろに下げ、
九日目に圧力を抑えた。
そのせいで『あと一刻分』『あと一里分』
押し込める機会を逃したのではないか?」
その言葉に、
商会代表のひとりが頷く。
「商売の観点から言っても、
『あと一里前に出てくれていれば』という思いはありますな。
『守る村』が減れば、
『補給線』も短くなる。
『復興にかかる金』も少なくて済む」
列の真ん中で、
誰かが小さく舌打ちした。
「『焚き火○』だの『板』だの、
若い監査官の気まぐれに
前線を振り回されたおかげで、
逃した獲物もあっただろうよ」
一瞬、空気が冷えた。
宰相が口を開きかける。
だが、
王が軽く手を上げて制した。
「――聞こう」
王の声は、静かだった。
「『『押せなかった分』をどう見るか』は、
今日この場で
必ず通る話だ。
監査官、続けよ」
レオンは一礼し、
次の紙をめくった。
「ご指摘の点について、
補足いたします」
*
「まず――
『押し切らなかった三日間』で、
『何を失い、何を守ったか』」
レオンは、
ペンの先で紙面の数字を指し示す。
「七日目。
『前線四日連続禁止』の線を越えそうになったため、
勇者庁と協議のうえ、
『焚き火○』という形で
前線の一部を丸ごと
『戦果計上対象外』とした夜がありました」
広間の何人かがざわついた。
瓦版で「勇者たちが焚き火を囲んだ夜」が
噂になっているのを
レオンも知っている。
「『その夜に押し込めたであろう一刻』は、
確かに失われています。
しかし――
その夜に焚き火○の周りにいた者たちのうち、
十日目前線に立った者の率は、
『焚き火○に参加しなかった者』より
約一割高い」
「……一割」
勇者庁の副官フィルが、
思わず小さく声を漏らす。
「『十日目の前線』に立てる者が一割増えたことと、
『七日目に押せたはずの一刻』を比べて、
どちらを取るか」
レオンは、
あえて淡々と言った。
「八日目。
雨天により、
灰の谷前線と砦の間の道が
ぬかるみで寸断されかけました。
このとき――
『予定どおり三日で交代させるため、
前線位置を一刻分下げる』ことを
第一砦は選択しました。
板の上では、
その決定に対し、
『十日目に前線に立てる中隊+一』と
書き添えています」
軍の将軍が、
表情をわずかに引き締めた。
「『一刻下がる代わりに、
十日目にもう一列増やす』……か」
「九日目。
『今日押し切れるだけ押し切る』という意見に対し、
『十日目のために圧力を意図的に落とす』ことを
前線・勇者庁・労務局の間で合意しました。
この三日間の決定の積み重ねが――
『十日目決戦における前線兵力』と
『生存率+一割五分』という形で
数字になっております」
レオンは、
数字の列から顔を上げ、
広間を見渡した。
「『『押し切れたかもしれない一刻』を捨てた代わりに、
『『十日目に立っている人間』を増やした』。
それが、
労務局としての結論です」
*
一瞬の沈黙のあと、
最初に口を開いたのは、
商会代表の中でも一番年嵩の男だった。
「……『馬と荷車の当直表』を
導入したのも、
その一環と見てよいのかね?」
レオンは頷いた。
「はい。
『人間の当直表』だけでは、
『馬』『荷車』『橋』『道』の損耗が
『板の外』に押し出されたままになる。
結果として、
『十日目以降の輸送能力』が
深刻に落ち込む可能性がありました。
――ですので、
『人より先に壊す予定の物』と、
『絶対に壊したくない物』を
九日目までに洗い出し、
『壊すならこちらから先に』という欄を
板に設けました」
「壊すならこちらから先に」という言い方に、
数人が苦笑する。
だが、
商会代表は真剣な表情だった。
「……確かに、
『十日目以降の商売の種』は
いくらか諦めさせられた。
壊れた荷車も馬具も、
職人にとっては金になる。
だが――」
男は、
机の上の自分の手を見つめた。
「『十日目に戻ってきた客』を見れば、
文句は言えんよ。
『壊れた荷車』じゃ酒は飲めないが、
『生きて帰った客』はまた酒を飲むからな」
広間のあちこちで、
乾いた笑いが漏れた。
レオンも、
口元をわずかに緩める。
「総力戦板の端には、
小さく《『壊れた商売』より『生きて帰る客』を優先》と
商会のほうで書き足されています。
――それが、
十日間のあいだ、
『物の損耗』に対して労務局が引いた線です」
*
話題は、
やがて「前線」から「後方」へと移っていった。
長屋の共同板に持ち込まれた「今日ここまで」の欄。
床掃除に×をつけた日。
靴の穴を『明日以降』に回した日。
それらが、
「総力戦だからといって、
家事も心も全部十日分詰め込む必要はない」という
ささやかな線になっていたこと。
教会の神官が、
静かに頷いた。
「『心が折れた者』を慰めに行くとき、
『『十日間、全部頑張れなかった』と
自分を責める者が多うございました。
『『今日ここまで』という言葉を渡せたことで、
何人かは救われました」
レオンは、
その言葉を静かに受け止める。
そして、
最後の紙をめくった。
「――以上が、
『総力戦十日間』における
労務局の仕事の総括です」
一礼して、紙束を揃える。
宰相が、
腕を組んだまま口を開いた。
「質問のある者は?」
しばしの沈黙。
やがて、
軍の将軍のひとりが
重い腰を上げた。
「……質問というより、
確認だが」
その目は、
レオンを真正面から射抜いている。
「お前たち労務局は――
『もっと押せたかもしれない一刻』を
いくつか捨てた代わりに、
『『十日目に前に立てる人間』と、
『十日目のあとに『それから』を書ける者』を
増やした。
そういう理解で、
間違いないか?」
広間の空気が、
すっと張り詰めた。
レオンは、
一瞬だけ目を閉じる。
(――ここで、
はぐらかすわけにはいかない)
目を開け、
まっすぐに将軍を見る。
「はい。
『『今日あと一刻』を諦めた分だけ、
『『十日目に立てる列』と、
『その先の『それから』の欄』を
守ろうとした。
それが、
労務局が引いた線です」
将軍は、
しばらく無言でレオンを見つめていた。
やがて、
ふっと視線を逸らし、
大きく息を吐いた。
「……なら、
文句は言えんな」
意外な言葉に、
何人かが目を丸くする。
将軍は、
自嘲気味に笑った。
「『『前に出ろ』と命じるのは、
我ら軍の役目だ。
『『ここまで』と言え』と命じる者が
どこにもいなければ、
兵は前に出続けて
どこかで折れる。
――その役目を、
十日のあいだお前たちがやったというなら、
『押し切れなかった一刻』について
俺がとやかく言う筋合いはない」
その言葉に、
勇者庁のアレクが
小さく笑みを漏らした。
「『『六日目に焚き火○したおかげで、
十日目にまだ剣を振れた』って奴、
けっこういましたからね」
場の空気が、
少しだけ緩む。
*
最後に、
王がゆっくりと立ち上がった。
「――よくやった」
その一言に、
大広間の視線が一斉に王へ向く。
「この十日間、
『総力戦だから』という言葉のもとに、
全てを使い潰すことは容易かった。
『前線四日』『焚き火○』『今日ここまで』――
それらの線を引くほうが、
むしろ難しかっただろう」
王は、
レオンたち労務局を見た。
「数字は、
お前たちの仕事の一部を示しているにすぎない。
だが、
『即時死亡ゼロ』と
『生存率+一割五分』という数字は、
『ここまで』と言う声を
十日間やめなかった者たちが
そこにいた証だ」
静かな言葉だった。
それでも、
胸の奥にじんと響く。
「総力戦は、ひとまず終わった。
だが、
『次の十日』が来ないと
誰が言えるだろうか」
王は、
ゆっくりと広間を見渡した。
「――ゆえに、
王立労務局には今後も、
『前に出ろ』とは別の声として、
『ここまで』と告げる役を
続けてもらう」
そう宣言し、
最後に小さく付け加える。
「……もちろん、
『休め』と書かれた自分の欄を
まず守ったうえで、だがな」
ヨアナとミーナが、
後ろで同時にこくこく頷いたのを見て、
レオンは、
思わず肩を揺らして笑ってしまった。
*
報告会が終わり、
人々が三々五々大広間を後にする頃。
レオンは、
分厚い紙束を抱え直しながら
ふと窓の外を見た。
王都の空は、
厚い雲の向こうにわずかな青を滲ませている。
その向こう側――
どこか遠くの闇の谷でも、
きっと今頃、
黒板の前で誰かが数字を数え直しているのだろう。
(……こちらの『十日間』の板のことも、
あちらの誰かが
どこかで見ているのかもしれないな)
具体的な証拠はない。
ただ、
総力戦のあいだに交わした
いくつかの通信札の文面が、
そんな想像をさせるだけだ。
(そのうち――
『板の前の人』同士で
直接話す日が来るのかもしれない)
レオンは、
自分の胸の内に
その予感をそっと畳んでしまった。
今はまだ、
目の前の板のほうが先だ。
新しく掛けられた「日々労務局板」。
そこに、
今日の分の小さな丸と文字を
書き込む日が、
すぐに来る。
*
世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――
少なくとも、
「総力戦十日間」を
ただの勝敗と犠牲者数だけで語っていた世界に、
『四日まで』『焚き火○』『今日ここまで』
――そして
『十日目のあと』『それから』という
いくつもの線と欄の意味を
きちんと説明する報告会が一度でも開かれた分だけ。
そしてその場で、
数字の奥にいる誰かの顔を思い浮かべながら
紙をめくる者と、
それを聞いて「文句は言えんな」と
肩を落としながらも笑う者が
確かに何人かいたという事実が、
どこかの板に
静かに記録されている限りは。




